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劉連仁(強制連行・東京第1次)訴訟東京地裁判決

平成13年7月12日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官
平成8年(ワ)第5435号 損害賠償請求事件
口頭弁論終結日 平成13年2月1日

判決

当事者の表示  別紙1「当事者日録」記載のとおり

主文

  1. 被告は,原告趙玉蘭に対し,金1200万円及びこれに対する平成8年4月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
  2. 被告は,原告劉煥新に対し,金400万円及びこれに対する平成8年4月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
  3. 被告は,原告劉萍に対し,金400万円及びこれに対する平成8年4月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
  4. 訴訟費用は被告の負担とする。
  5. この判決は,仮に執行することができる。ただし,被告が,原告趙玉蘭について金900万円,原告劉煥新について金300万円,原告劉萍について金300万円の担保を供するときは,それぞれの原告らによる上記仮執行を免れることができる。
事実及び理由
第1 請求

主文と同旨

第2 事案の概要

本件は,昭和6年(1931年)9月に始まった満州事変以降,昭和12年(1937年)7月7日の蘆溝橋事件をきっかけとする日中間の全面戦争,さらには 昭和16年(1941年)12月8日の太平洋戦争へと続く戦争の拡大と,これに伴う昭和13年(1938年)の国家総動員法の施行,昭和14年(1939 年)の国民徴用令の制定を背景として,日本政府が,昭和17年(1942年)11月27日,「華人労務者内地移入の件」と題する閣議決定を行ったことに関 し,中国山東省の住民であった劉連仁が,昭和19年(1944年)9月,被告の行為によって北海道へ強制連行された上で過酷な労働を強制され,さらにはそ れに耐えかねて太平洋戦争終戦直前の昭和20年(1945年)7月に作業場から逃走し,その後13年間の長期にわたって北海道の山中での逃走生活を余儀な くされ,これによって耐え難い精神的苦痛を被ったとして,被告に対し,その損害の賠償を求めた事案であるが,劉連仁が平成12年(2000年)9月2日に 死亡したことにより,その相続人である原告らが,これを承継したものである。

原告らは,損害賠償請求の根拠として,劉連仁に対する戦前の強制連行及び強制労働行為について,(1)国際法違反(陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約(以下 「ハーグ陸戦条約」という。)及び同条約附属規則違反,強制労働ニ関スル条約(ILO第29号条約,以下「強制労働条約」という。)違反,奴隷条約違反, 人道に対する罪違反)に基づく損害賠償,(2)法例11条,中国民法185,186,188条に基づく損害賠償,(3)安全配慮義務違反に基づく債務不履 行責任としての損害賠償を主張し,戦後劉連仁が13年間にわたって北海道での逃走生活を余儀なくされたことについて,(4)国家賠償法1条1項に基づく損 害賠償,(5)国際法違反に基づく損害賠償,(6)安全配慮義務違反に基づく債務不履行責任としての損害賠償をそれぞれ主張し,さらに,(7)戦争被害者 保護立法の不作為の違法について,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償を主張している。

第3 当事者の主張

1 原告らの主張
原告らの主張は,別紙2「原告らの主張」記載のとおりである。

2 被告の主張

被告の主張は,別紙3「被告の主張」記載のとおりである。

第4 前提となる本件の背景事情及び劉連仁に関する事実経過について

当裁判所に顕著な事実,関係各証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる(証拠等で認定した事実については,各項の末尾に用いた証拠等を示し た。なお,各項で引用する甲第1号証の1ないし5は,外務省管理局が昭和21年3月1日付けで作成した「華人労務者就労事情調査報告書」であるが,以下本 文中で引用する場合には「外務省報告書」という。)。

1 戦争の拡大と労働力の不足

(1) 関東軍は,昭和6年(1931年)9月18日,嘸天郊外の柳条湖で満州鉄道爆破事件(柳条湖事件)を起こし,これをきっかけにして満州事変が始まった。関 東軍は,昭和7年(1932年)3月1日には,満州国の建国を宣言し,同年9月には,日本政府は満州国を承認した。昭和8年(1933年)3月,日本は国 際連盟からの脱退を通告し,同年5月,日中軍事停戦協定(塘沽停戦協定)が結ばれて満州事変は終わったが,その後も関東軍は華北への進出の機会をうかがっ ていた。こうした中で,昭和12年(1937年)7月7日,北京郊外の盧溝橋で日中両国軍の衝突事件が発生し(盧溝橋事件),戦線は北から南へと次第に中 国各地に広がっていった。これに対し,中国国民の抗日救国運動が起こり,国民政府は,同年9月末には共産党と第2次国共合作を行って抗日民族統一戦線が成 立した。昭和13年(1938年)には,日本政府は,「国民政府を相手とせず」,「日満華3国連帯による東亜新秩序の建設が戦争目標である」とする声明を 発し,昭和15年(1940年)には,それまで中国各地に樹立していた日本の傀儡政権を統合し,南京に新国民政府を成立させた。しかし,国民政府は,その 後も抗戦を続け,日本は中国との全面的な戦争に至った。そして,昭和16年(1941年)12月8日,日本はアメリカ及びイギリスに宣戦を布告し,太平洋 戦争が開始された。

(2) 日中戦争が長期化し,太平洋戦争が開始され,戦争が拡大していく中で,戦争遂行に必要な石炭等エネルギー資源の確保が日本の至上命題となり,昭和13年 (1938年)4月には国家総動員法が公布され,日本政府は議会の承認なしに,経済と国民生活の全体にわたって統制する権限を得た。昭和14年(1939 年)7月には,国民徴用令が公布され,一般国民が軍需産業に動員されるようになり,さらに,同年から労務動員実施計画中に移入朝鮮人労務者を計上する等し て,朝鮮から日本内地に労務動員をするなど,朝鮮人労働者の確保も図られるようになった。太平洋戦争開始の翌年である昭和17年(1942年)2月13日 には,日本政府は,「朝鮮人労務者活用に関する方策」を閣議決定し,多数の朝鮮人労働者が日本内地に移入された。(甲18,甲96,弁論の全趣旨)

2 中国人労働者移入政策の決定

(1) 太平洋戦争開始後,日本国内における労務需給は次第にひっ迫の状況を示し,特に重筋労働部門における労働力不足が著しくなってきたため,日本政府は,日本 の産業界からの要請を受け,昭和17年(1942年)11月27日,「華人労務者内地移入に関する件」と題する閣議決定(以下「昭和17年閣議決定」とい う。)を行い,中国人労働者を日本国内に移入して重筋労働部門における労働力不足を補うという政策を採用し,差し当たり試験的に1000人程度の中国人労 働者の移入を行い,その結果を見て漸次本格的実施に移すこととした。

昭和17年閣議決定は,「第一 方針」の項で,「内地に於ける労務受給は愈々逼迫を来し特に重筋労働部面に於ける労力不足の著しき現状に鑑み左記要領に依 り華人労務者を内地に移入し以て大東亜共栄圏建設の遂行に協力せしめんとす」と定め,さらに,「第二 要領」の項では,中国人労働者を国民動員計画中に組 み込むことを明らかにするとともに,中国人労働者の移入,輸送,就労,管理等についても定めている。

そして,昭和17年閣議決定と同じ日,企画院は,「華人労務者内地移入に関する件,第三措置に基づく華北労務者内地移入実施要領」を定め,これに基づき,試験的移入が実施に移された。(甲1の1,2,甲84)

(2) 日本政府は,昭和17年閣議決定に基づき,昭和18年(1943年)4月から同年11月までの間に,中国人労働者1411人を日本国内に試験的に移入し, その後,昭和19年(1944年)2月28日,「華人労務者内地移入の促進に関する件」と題する次官会議決定(以下「昭和19年次官会議決定」という。) において,中国人労働者を毎年度国民動員計画に計上し,計画的な移入を図ることとした。

昭和19年次官会議決定の「第一 通則」の一では,「本件により内地に移入する華人労務者の供出又はその斡旋は大使館,現地軍並びに国民政府(華北よりの 場合は華北政務委員会)指導の下に現地労務統制機関(華北よりの場合は華北労工協会)をして之に当たらしむこと」と定められている。(甲1の1,2,甲 84)

(3) 昭和19年次官会議決定に基づき,日本政府は,「華人労務者内地移入手続」において中国人移入の具体的な実施細目を定め,さらに,昭和19年(1944 年)8月16日「昭和19年度国民動員実施計画策定に関する件」との閣議決定において,昭和19年度国民動員計画において3万人の中国人労働者の供給を計 上して,中国人労働者の本格的な移入を促進することとした。この結果,昭和19年(1944年)3月から昭和20年(1945年)5月までの間に3万 7524人の中国人が日本内地に移入された。(甲1の1,2)

3 中国人労働者移入政策の実際
(1)供出手続

昭和19年次官会議決定において,中国人労働者の供出又はその斡旋は,華北からの者の場合,華北政務委員会指導の下に華北労工協会に担当させる旨定められ た(外務省報告書によると,昭和18年(1943年)4月から昭和20年(1945年)5月までに移入させられた中国人労働者は3万8935人になるが, このうち,圧倒的多数を占める3万5778人が華北出身であると認められること,劉連仁も華北出身であると認められることから,以下では,華北より移入さ れた中国人労働者に限定して論ずることとする。)。

なお,華北政務委員会は,昭和15年(1940年)に中華民国臨時政府(昭和12年(1937年)に北京で成立した日本の傀儡政権で,その後,南京に日本 によって樹立された中華民国維新政府と昭和15年(1940年)に統合され,汪兆名を首班とする「新」国民政府となった。)の管轄下に設置された軍事と経 済に広範囲の権限を付与された政府機関であり,華北労工協会は,昭和16年(1941年)7月,華北政務委員会の下で華北における労働者の募集,供給等の 労務の一元的統制を行うために設立された政府機関である。

中国人労働者の供出方法には,特別供出,自由募集,訓練生供出及び行政供出の4方法があるが,華北労工協会からの供出は,約3分の1にあたる1万0667人が訓練生供出であり,残り約3分の2にあたる2万4050人は行政供出によるものであった。

訓練生供出とは,日本現地軍が作戦により得たふ虜,帰順兵で一般良民として釈放しても差し支えないと認められた者及び中国側地方法院において微罪者を釈放 した者を華北労工協会において下渡しを受け,同協会の有する労工訓練所において一定期間渡日に必要な訓練をした者の供出であり,行政供出とは,華北政務委 員会の供出命令に基づく割当てに応じ,都市郷村から供出された者の供出であった。中国人労働者の供出のうち過半数を行政供出が占めていた。

このようにして実施された行政供出は,外務省報告書中にも半強制的に実施されたとの記述があり,また外務省報告書の基礎となった「事業場報告書」の記述中 に「華労の募集(狩集め)」といった記述が存すること等に照らすと,これらの多くは強制的に実施されたものと推認せざるを得ず,移入された中国人本人の意 思を無視した強制的な連行が多くの割合を占めたものと認めるのが相当である。そして後記認定のとおり,劉連仁についての日本内地への連行は,この行政供出 の1事例であると認められる。(甲1の1,2,甲84,甲96,弁論の全趣旨)

(2) 中国人労働者の素質

中国人労働者の年齢については,昭和19年次官会議決定において「華人労務者は年齢概ね40歳以下の男子にして素質優良,心身健全なる者を選抜することとするも,なるべく30歳以下の独身男子を優先的に選抜するよう努力すること。」と定められていた。

しかし,華北労工協会からの行政供出による中国人労働者の年齢は,最低11歳から最高78歳に及び,40歳以上の中年者老年者の割合が高く,そのため作業能率は低く,死亡率,罹病率が高かった。

健康状態については,特別供出,自由募集の者は健康状態が概ね良好であったが,行政供出及び訓練生供出の者,特に昭和19年(1944年)後半以降の行政 供出による者は,健康状態が極めて悪く,多くの疾患を有し,衰弱が甚だしく,日本上陸時に辛うじて歩行できる程度の者が極めて多数見受けられる状態であっ た。これが死亡率を高くした有力な原因となり,また作業率及び作業能率を低下させた原因となっていた。(甲1の1,2)

(3) 訓練

中国人労働者の訓練については,昭和19年次官会議決定において,「中国人労働者の移入に先立って可成り一定期間(1か月以内)現地の適当な機関に於いて 必要なる訓練をなすこと」と定めており,それに基づき,前記の手続で供出された中国人労働者は,中国国内の済南,石門,青島,邯鄲,塘沽などの訓練地で訓 練を受け,日本へ渡航することとなった(甲1の1,2)。

(4)輸送

中国人労働者の日本への輸送については,昭和19年次官会議決定において「日満支関係機関に於いて之が手配を為すこと」とされていたが,当時船舶事情が ひっ迫していた状況及び危険な航海事情の下において,しかも石炭,塩等,多量の原料の輸入の要請も充足する傍らで中国人労働者を輸送することについては, 相当の問題があった。すなわち,船待ちの予定がつかず急遽乗船して食糧その他の準備が不十分であること,逆に予定以上船待ちして備蓄食糧の不足を訴えるこ と,航海日数の予定がつかず,集団輸送169件のうち未詳のもの26件を除き86件は問題なく4日から9日で着いたが,他の48件は10日から19日を要 し,甚だしいものでは20日以上あるいは30日以上を要するものもあり,最高39日を要したものもあり,飲料水や食糧等の欠乏を来したことがあったこと, 食糧ことに白麺に砂のような不純物が混入した場合もあったこと,船は概ね貨物船であり最初は医師を付き添わせたがその後は付き添わなくなりかつ船倉内の石 炭,塩,鉱石等の上に長時日寝起きしなければならない状態にあったこと,上陸後直ちに長途の汽車輸送を受けたこと等の実情にあった。その結果,3万 8935人の乗船人数に対し船中死亡564人(1.5%),事業場到着前死亡248人(0.6%),合計812人(2.1%)の死亡者を出した。

なお,中国人労働者の輸送に関しては,「華人労務者内地移入手続」において以下のとおり定められていた。

「第三 輸送

  1. 就業地職業指導所長は別途所轄警察署の発行する「渡支身分証明書」の裏面に引率者たることを記入証明すること
  2. 移入労務者の引継ぎ,輸送は全て隊編成に依るものなること
  3. 移入労務者の引継,輸送のため渡支するに当りては予め下船地及び乗船地を管轄する各警察署,関係機関と事前に十分なる打合連絡を遂げ引率輸送上遺憾なきを期すこと」(甲1の1,2)
(5) 配置状況

中国人労働者の日本国内における配置については,昭和19年次官会議決定において「華人労務者は之を国民動員計画産業中鉱山業,国防土木建築業及び重要工 業その他特に必要と認むるものに従事せしめること。尚,就労地に付いては可及的分散せしめざる如く留意すること。」と定められていたところ,昭和18年 (1943年)4月に試験的移入を開始して以来,3万8953人の中国人労務者を35事業者,全国135事業場に配置した。

産業別業者数,事業場数及び移人数は以下のとおりであった。

   
 業者数事業場数移入数
合計351353万8935人
鉱山業15471万6368人
土木建築業15631万5253人
造船業1215人
港湾荷役業216099人

 地域別に見ると,北海道の58事業場1万9631人が最も多く,中部地方の25事業場1万〇188人,九州地方の23事業場9126人がこれに次いでい る。これは,北海道及び九州における石炭採掘並びに中部山岳地方における発電所,地下工場等の緊急不可欠な作業に従事させたためであった。

中国人労働者を使用する事業場の決定については,昭和19年次官会議決定において「華人労務者の使用を認むる工場事業場は華人労務者の相当数を集団的に就 労せしむることを条件とし関係庁と協議の上厚生省これを選定すること。移入に関する細目手続は別に定むる所によること。」と定められ,移入手続の細目につ いては「華人労務者内地移入手続」において以下のように定められていた。

「第一 通則
一 華人労務者の移入雇傭を認むる事業は国民動員実施計画産業中左の事業にして緊要度特に高きものなること

  1. 鉱業(石炭山及び金属山)
  2. 国防土木建築業
  3. 重要工業(鉄鋼,造船,軽金属,化学工業関係)
  4. 港湾及び陸軍荷役
  5. その他特に緊要と認むるもの

右事業と雖も労務管理適当ならざるもの又は関係官庁の指示に従わざるものに対しては之を認めざること

第二 移入雇傭申請の処理

  1. 庁府県厚生省より華人労務者の事業主別雇傭員数の割当予定通報を受けたる時は事業主をして「華人労務者移入雇傭願」(華人労務者斡旋申請書)正副二通を所轄庁府県経由提出せしむること
  2. 厚生省の割当なきも第一に掲ぐる事業主にして華人労務者の移入雇傭を希望せるものある場合は前項に準じ厚生省に稟議すること
  3. 厚生省前二項により割当を決定したる場合は「華人労務者斡旋申請書」添付の上その旨天東亜省に通報すると共に事業場別割当表を内務省宛送付すること
  4. 天東亜省前項の通報を受けたる際はその労務者の引継輸送月日等を決定しその都度厚生省に対しこれを通報すること
  5. 厚生省前項の通報を受けたる際は関係庁府県を通じこれを事業主に通報し移入労務者の引継,輸送,到着後の措置に付遺憾なきを期せしむると共に引率責任者を選定の上天東亜省宛通報すること」

なお,昭和19年次官会議決定は「華人労務者の契約期間は原則として2年(但し往復途中の日数を含まず)とし同一人を継続使用する場合に於ては2年経過後 適当の時期に於て希望により一時帰国せしむること。」と定めていたが,中国人労働者と受入先企業との間において雇用契約あるいはそれに類する契約が締結さ れた事実は認められず,前記のとおり事業主が「華人労務者移入雇傭願」を厚生省に提出し,厚生省が中国人労働者の「割当」を決定することにより,当該中国 人労働者の意思にかかわらず,当該事業主と当該中国人との間に労使関係が生じることとされた。(甲1の1,2,甲3の1,甲18,甲84)

(6) 到着後の措置
中国人労働者が各事業場に到着した後の措置については,「華人労務者内地移入手続」において以下のとおり定められていた。

「第四 到着後の措置

  1. 移入華人労務者就業地に到着したるときは事業主をして地方長官宛「労働許可証」(明治32年7月勅令第352号)申請の手続をとらしむると共に速かにその就業地を管轄する国民職業指導所に移入労務者名簿(労務者出身地,氏名,年令)添付輸送途中の概況を報告をせしむること
  2. 国民職業指導所は右に依り移入労務者数,到着労務者数,到着年月日,輸送途中の異動状況等を直ちに庁府県宛,庁府県は厚生省宛報告すること
  3. 移入華人労務者の異動,災害,紛擾その他事件発生したる時は特に捜索,防諜等の機密保持に留意すると共に事業主をして速やかに警察署及び国民職業指導所に報告せしむること,庁府県は国民職業指導所及び警察署の報告を取纏め厚生省,内務省及び大東亜省に報告すること
  4. 事業主をして毎月末現在を以て移入華人労務者勤労状況を国民職業指導所を経由し翌月末日迄に庁府県に必着する如く報告せしむること庁府県は右勤労状況報告を事業種別に取纏めかつ集計の上翌月十日迄に厚生省及び大東亜省に報告すること
  5. 事業主は所轄警察署,国民職業指導所その他関係機関の指示に従い訓練施設,技術教育施設適切なる慰安娯楽施設を設くるの外健康診断生活訓練その他の保護指導を講ずること」(甲1の1,2,4)
(7) 処遇の状況

中国人労務者の処遇については,昭和19年次官会議決定において以下のとおり定められていた。

「第二 使用条件
二 華人労務者の管理については特に左の諸点に留意の上華人の慣習に急激なる変化を来さざる如くすること

  1. 工場事業場は現地より同行せる日系指導員を華人労務者の直接責任者として之が連絡世話に当たらしむること
  2. 華人労務者の使用に当たりては可及的供出時の編成を利用する如くし且作業に関する命令は日系指導員及び華系責任者(隊長又は把頭)を通じ之を発することとし華人労務者に対する直接の命令は厳に之を慎むこと
  3. 華人労務者の作業場所は朝鮮人労務者又は俘虜とは厳に之を区別すること
  4. 就労地到着後は充分なる休養を与えたる上就労せしむること
  5. 住宅は湿気予防に留意の上朝鮮人労務者住宅と近接せざる如く一廊を劃し設置すること
  6. 食事は可成華人労務者の通常食を給するものとし之が食糧の手当に付ては農商省に於て特別の措置を講ずること
  7. 慰安所並びに娯楽施設に付ては工場事業場において適当なる施策を講ずること

三 華人労務者の賃金は内地に於ける賃金を標準と為すも内地と現地の賃金及び物価の間に甚だしき懸隔ある実情なるを以て残留家族に対する送金及び待帰金を 確保する為所要の措置を講ずること賃金手当その他の給与の具体的細目及び之が支払方法,防疫,保険,衛生,保護救済等に付ては別に之を定むること

四 就労時間は内地の例によること

五 四大節,外暦正月三日並びに端午節,仲秋節各一日は必ず公休日の取扱を為すこと」

日本政府は,かかる決定をし中国人労働者の処遇につき意を用いたが,気候風土その他生活環境の変化が移入当時相当衰弱していた中国人労働者の健康に相当の 影響を与えた。また,戦時下において食糧その他の物資の不足の影響もあり,その他異民族労働者の取扱いに対する不馴れ等の事情もあり,さらに末端における 指導の行き過ぎ,虐待,不正取扱い等の事実もあり,中国人労働者の処遇においては不適切な取扱いがあったことは否定できない。

指導取締りの面においては,思想容疑事件,逃走事故が続発する等の状況があり,取締り,指導が強化され,中国人労働者の反感は相当強いものがあった。

食糧に関しては,戦時中重筋労働者に対する支給量を超えることはなく,空腹に耐えかねて事業場から逃走する事件も相当あり,食用油,獣肉の支給も中国人の 通常食と比較すると十分には行き亘らなかった。また,冬季におけるヴィタミン類の欠乏や食糧の質が良くなかったこともあり,これらが中国人労働者の疾病や 死亡の原因ともなった。

衣料の支給も十分とは言えず,布団や地下足袋の支給が遅れることなどもあった。

宿舎は中国人労働者のために特設したものが多く,135事業場中67を占め,改造や転用等をしたものもあった。居室は1人あたり0.63坪平均であり,畳 敷きのもの45%,アンペラ敷きのもの27%,その他ござ敷,板敷のものがあった。逃走防止のため通風採光は十分とは言えず,一般に設備は十分と言える状 況ではなかった。また,受入れまでに準備が整わなかった例もある。

医療衛生に関しては,戦時下で医師,薬品その他衛生材料の不足の状況があったが,大きな問題はなかった。ことに炭鉱等施設資材あるところでは健康診断防疫 医療等が行き届いたものが少なからず存在した。熱心で理解ある医師め存在により終戦後の紛争もなく感謝をして帰国する者もいた。他方,死亡者数に対し受診 数が極めて低い事業場もあった。(甲1の1,4)

(8) 管理体制

中国人労働者の管理に関しては,昭和19年次官決定において以下のとおり定められていた。

「第二 使用条件
二 華人労務者の管理については特に左の諸点に留意の上華人の慣習に急激なる変化を来さざる如くすること

  1. 工場事業場は現地より同行せる日系指導員を華人労務者の直接責任者として之が連絡世話に当たらしむること
  2. 華人労務者の使用に当たりては可及的供出時の編成を利用する如くし且作業に関する命令は日系指導員及び華系責任者(隊長又は把頭)を通じ之を発することとし華人労務者に対する直接の命令は厳に之を慎むこと
  3. 華人労務者の作業場所は朝鮮人労務者又は俘虜とは厳に之を区別すること
  4. 省略
  5. 住宅は湿気予防に留意の上朝鮮人労務者住宅と近接せざる如く一廊を劃し設置すること

第四 その他
  一 工場事業場は華人労務者の防諜並びに逃亡防止に付特段の配慮を為すこと」

中国人労働者の防諜,逃走の防止については特段の配慮を加え,特に朝鮮人労働者やふ虜とは,事業場や住居を区別する方針を採り,取締りに当たった内務省は,厚生省,軍需省と連名で関係地方庁に対し通牒を発し,さらに取締要領を定めその励行を命じた。
「移入華人労務者取扱要領」においては,以下のような指示がなされている。

「一 華人労務者内地移入要領第二の「一」に依り割当予定通報を受けたるときは事業者側と連絡し作業場宿舎等の選定,警戒対策の樹立其の他取締上必要なる諸般の準備を為し置くこと
二 事業者側に対しては逃亡防止並びに外部との連絡遮断に処する確実なる施設の完備と華人労務者監督の責任を負担せしむること
特に朝鮮人との接触に付いては事業場の内外を問わず之を防止する様特別の考慮を拂わしむること」

上記のとおり,中国人労務者に対する実際上の取扱いについては,現地から同行した日系指導員を直接責任者とし,連絡世話に当たらせ,日本政府が華人労務者 に対する直接の命令は厳に慎む方針を採った。警察官は,宿舎付近に駐在して外部から保護取締りの任務に当たり,業者は,日系指導員若しくは中国系責任者を 通じて作業その他の命令を行う建前とされていた。しかし,戦時に於ける間諜,反日陰謀,逃走等の行為取締りの必要性にかんがかんがみ警察当局の取締りは相 当峻厳に行われた。(甲1の1,4)

(9) 送還
中国人労働者の中国への送還については,昭和19年次官会議決定において「華入労務者は契約期間満了後工場事業場に於て原則として之を集合地迄送還するこ と。疾病その他の理由に因り就労を継続し能わざるに至りたる労務者に付ても同様たるべきこと」と定め,「華人労務者内地移入手続」において以下のとおり定 められていた。

「第六 満期帰国に関する措置
出動期間満了(満了前事業の縮小,廃止,終了の場合を含む)に依り帰国老確定したるときは次に依措置すること

  1. 庁府県は事業主をして帰国老名簿(労務者の出身地,氏名,移入年月日,斡旋年月日,斡旋機関)下船地,帰国予定年月日等を国民職業指導所及び警察署を経由して報告せしむると共に別紙様式に依り厚生省内務省及び大東亜省宛報告すること
  2. 事業主をして引率責任者を付せしめ隊組織に依り第三(省略)の輸送に準じ帰郷せしむると共に国民職業指導所及び警察署経由現地機関引渡完了の概況を報告せしむること
  3. 引率者の渡支,引率証明に関しては第三の日に準ずること」

日本政府は,移入中国人で契約期間が満了した者及び疾病その他の就労に適せざる者は戦時中といえどもこれを送還することとしていたが,船舶関係等の事情に 依り,終戦前に中国へ送還した者は1180人であり,大部分の3万0737人は終戦後送還した。すなわち,日本政府は,終戦後,中国人労働者を連やかに全 員帰国させる方針を決定し,この計画を立て実施に着手したが予期したようには進展せず,連合国軍司令部に対し積極的援助を要請した結果,同司令部からアメ リカ軍上陸用船艇による送還取扱いの提示があり,日本船舶による送還と相まって,中国人労働者の送還を概ね終了させた。

昭和21年(1946年)2月末日現在において,中国に送還した中国人労働者は合計3万1917人であり,移入人員3万8935人の82%に相当する。残 りは,同月末日迄に死亡した者6830人(17.5%),残留者が188人(0.5%)存在した。残留者のうち所在が判明していた者は100人,所在不明 者が88人であった。外務省報告書においては,所在不明者88人のうち,戦前行方不明になった21人は死亡の公算が大きく,戦後逃走による所在不明者67 人はその後帰国したか,あるいは何らかの職業に従事しているようだと記述されている。(甲1の1,2,3)

4 劉連仁に関する事実経過

(1) 劉連仁の職業,家族構成
劉連仁は,1913年7月25日(但し旧暦)に生まれ,強制連行された1944年9月28日ころは,31歳であった。当時,劉連仁は山東省諸城県柴溝区草 泊村(現在の高密市井溝鎮草泊村)に,妻である原告趙玉蘭と両親,弟4人,妹1人とともに9人の家族で暮らしており,原告趙玉蘭は妊娠中で長男である原告 劉煥新を身蝋もっていた。家族は皆農夫であり,小作で貧しい生活を送り,劉連仁の父と劉連仁が一家を支えていた。(甲26,劉連仁本人)

(2) 劉連仁が日本内地に連行されるに至った経緯
劉連仁は,昭和19年(1944年)9月28日ころ,朝自宅を出た直後,日本軍の支配下にあった中国軍の兵士から先に剣の付いた銃を突きつけられ,理由を 告げられることなく同行を求められた。劉連仁は,草泊村の役場,油呼頭村,大沙高村,張家村,康行村にある日本軍の拠点へ連れて行かれた後,高密県政府の 牢獄に収容された。このとき劉連仁同様高密県の牢獄へ集められた中国人は約200余人であった。高密県の牢獄は日本軍が管理していた。劉連仁らは,高密県 の牢獄から高密の駅に縄で縛られて連れて行かれた。同所において,劉連仁ら連行された中国人のうち約100人が逃走を企てたが,武装した軍隊が銃剣で刺し あるいは発砲する等したため逃走は成功せず,その際数人の中国人が負傷し,死亡した者もあった。劉連仁もその際銃で頭を撃たれ負傷し,一時意識を失った が,治療を受けることはなかった。逃走事件の後,劉連仁らは,日本軍から「おまえたちは青島で飛行場を造るために狩り出されてきた」との説明を受けた。劉 連仁らは,同行から約3日後,武装した日本兵と中国兵の監視の下,高密県から汽車に乗せられ,青島に連行された。

劉連仁らは,青島に連行され,中国人捕虜収容所で労工訓練所である大東亜公司に収容されたが,同所は華北労工協会の建物で,日本兵が監視しており,周囲には電流を流した鉄条網が張り巡らされていた。同所に収容された中国人は約800人になっていた。

劉連仁らは,連行後,青島を出航するまで,日本へ連れて行かれることにつき正式な説明を受けたことはなく,また,日本において働くことにつき同意を求められたこともなく,日本における労働条件などについても説明を受けなかった。

劉連仁ら約800人は,上記青島の収容所に約6日間収容された後,同年10月22日,青島において貨物船プルト号に乗せられ,船底の船倉に詰め込まれて日 本へ連行された。同月28日,劉連仁らを乗せた貨物船は門司港に到着し,劉連仁らは検疫を受けた後上陸し,税関の検閲を受け,宿泊所である昭和館に収容さ れた。

劉連仁ら約800人は,200人ずつ4隊に分けられ,劉連仁を含む200人は門司港に到着した当日に汽車に乗せられ,北海道雨竜郡沼田村幌新太刀別所在の 明治鉱業株式会社昭和鉱業所(以下「昭和鉱業所」という。)ヘ向かった。劉連仁ら200人は,門司駅から酒田駅経由青森駅まで汽車に,青森から函館まで船 に,函館駅から深川駅経由昭和駅まで汽車に乗せられ,同年11月3日,昭和鉱業所に到着した。その間,明治鉱業株式会社戸畑本社及び昭和鉱業所から派遣さ れた社員が付き添い,また,酒田警察署,青森水上署,函館水陰画署,深川警察署などの警察官も援助して,劉連仁ら200人を昭和鉱業所の宿舎に収容させ た。(甲3の1,2,甲14,甲26,証人上野志郎,劉連仁本人)

(3) 昭和鉱業所が劉連仁を含む中国人労働者を受け入れるに至った経緯
昭和鉱業所は,昭和19年度,日本政府から22万トンの出炭命令を受けたが,日本人労働者及び朝鮮人労働者のみでは労働者不足であり,命令の実行が困難で あった旨を日本政府に申述したところ,厚生省から中国人労働者200人の割当てを受け,出炭目標を達成するよう指令を受けたため,この中国人労務者200 人の移入方を厚生省及び華北労工協会に依頼した。明治鉱業株式会社は,昭和19年(1944年)9月引率者を中国に派遣し,同年10月,華北労工協会との 間で,華北労工協会が供出する200人の中国人労働者を明治鉱業株式会社が移入し2年間使用する旨の華労供出契約を締結した。引率者は,青島に至り,華北 労工協会青島出張所において供出方法を打ち合せたところ,華北労工協会より,割り当てられる中国人労働者は行政供出であり主に山東省高密県より供出する旨 を伝達された。同月16日から同月20日までに華北労工協会青島訓練所に中国人労働者が収容され,同月21日,華北労工協会から明治鉱業株式会社の引率者 へ契約人員200人の引渡しが完了した。劉連仁は,この200人の中の1人であった。(甲1の1,2,甲3の1,2,甲14,弁論の全趣旨)

(4) 昭和鉱業所における労働の実態
劉連仁らは,昭和鉱業所に到着して数週間後から,炭坑内における石炭の掘削及び運搬の作業に従事した。劉連仁らの作業時間は,昼夜2交代制で12時間であ り,朝6時過ぎに作業現場に行き,夕方宿舎に戻った。炭坑の中での休憩は,昼食時に1度あるだけであった。仕事にはノルマが課せられ,それが終わらなけれ ば棒杭などで暴行を受けることもあり,労働時間を延長させられた。休日はなかった。

衣服は,日本に連行される前に,軍用シャツ1枚とズボン1着,ゲートルの支給を受け,昭和鉱業所に着いた後,地下足袋1足と厚手の作業服上下1着,軍手, 藁で編んだ作業手袋の支給を受けた。外での作業のときには藁で編んだ草履を履いて作業をしたが,この草履は,ぼろぼろになった者から順次支給された。タオ ルは,2枚支給された。

寝具は,事業場に着いてから新たに支給されたものはなく,藁で編んだござの上に青島で支給された布団1枚を掛け,就寝した。

炭坑内で労働するようになってからの食事は,小麦粉で作った饅頭が1食に1個与えられ,野菜や肉類,汁類は与えられないということが多かった。劉連仁の体 重は,青島で測定したときには90キログラム近くあったが,炭坑に入る前に計測したときには50キログラムくらいに減少していた。

昭和鉱業所の宿舎は,木造2階建ての建物で,そこに劉連仁ら200人の中国人労働者が寝起きした。ストーブは,1階と2階の部屋にそれぞれ6個,風呂場に 1個,台所に2個,全部で15個あった。燃料の石炭は少なく,部屋の建物に隙間が多かったため,部屋の中は十分暖まることはなかった。

炭坑での労働では,埃や汗で体が相当汚れたが,劉連仁らは,昭和鉱業所に着いてから,5,6か月くらいの間風呂に入れなかった。昭和20年(1945 年)4月ころからは,毎日1回風呂に入ることができた。衛生状態が悪く,皮膚病が流行し,のみやしらみに悩まされた。

昭和鉱業所内には,病院があり,医師がいた。炭坑に働きにいけないような重い患者は,病院で治療を受けることができた。

嗜好品については,少量の煙草,煙管の支給があった。
宿舎の周りに高さ3メートルくらいの板壁が設けられ,宿舎は10人から20人程度の日本人が監視していた。劉連仁らが炭坑から宿舎に戻ると,宿舎にはすぐに鍵がかけられ,外出はできなくなった。

なお,昭和鉱業所に連れて来られた200人の中国人労働者のうち,9人が稼働中に死亡し,後記のとおり,逃走した劉連仁を含む5人を除く186人は中国に送還された。(甲1の1,甲26,劉連仁本人)

(5) 劉連仁の逃走から発見まで
終戦を約2週間後にひかえた,昭和20年(1945年)7月30日ころの夜,劉連仁は,日本人の監督に反抗したことに対するその後の処罰をおそれ,他の中 国人労働者4人とともに作業所から北海道の山中に逃走した。逃走した中国人労働者が日本人に発見されると,警察に連行され,事業所に戻されても極めて少量 の食料しか与えられないなどの厳しい不利益が課せられたことを知っていたので,劉連仁らは,日本人に発見されないよう細心の注意を払った。ともに逃走した 4人の中国人は,昭和21年(1946年)4月までに次々と発見され,以降,劉連仁は,1人で北海道の山中を逃走した。

劉連仁は,食糧を持ち出さなかったため,雑草を食べ,山水を飲み,近くの農家の畑から少量の食料を取り,海辺では昆布を食料とするなどした。衣服もぼろぼ ろであったため,飼料の入っていた麻袋を被ったり,布切れや紙くずを拾って体に巻き付け,薬や木の皮を集めて紐で巻き付けて足に履いた。

1年のうち半年以上は,雪の中での洞穴生活を強いられ,その大部分は完全に雪に閉じこめられていた。洞穴では,膝頭を両手で抱くようにし,その上に顎を載 せて体を動かさずじっとしている日が続いた。夏は,日本人に発見されないよう,毎日のように居場所を変え,冬も1年ごとに洞穴を掘る場所を変えるなど,常 に日本人に発見されないよう警戒を緩めなかった。

劉連仁は,人里に下りてくることもあったが,情報から隔離されていたため,日本が敗戦し,終戦したことを知ることができなかった。

劉連仁が逃走してから,約12年6か月経過した,昭和33年(1958年)1月末ころ,劉連仁は,北海道石狩市当別町宇材木沢の山中にて発見され,同年2月9日,数人の警察官らにより保護された。(甲1の2,甲3の1,甲4の2,甲5,甲26,劉連仁本人)

5 劉連仁発見後の日本での状況

(1) 劉連仁の札幌市内での滞在
劉連仁は,昭和33年(1958年)2月9日,日本人により保護された後,派出所に連行され,翌10日,札幌市内の警察署等に連行された後,札幌華僑総会の事務局長であった席占明か身元引受人となり,札幌市内に滞在した。

同月25日,劉連仁は,札幌市出入国管理事務所から出頭要求を受けたが,自分を不法残留者として取り扱っているものと受け取り,出頭要求を拒否した上,同 月26日,日本政府当局が自分を不法残留者として取り扱う態度に対する抗議と,日本政府及び明治鉱業株式会社に対する補償要求等を内容とする,「日本政府 にもの申す」と題する抗議声明を発表した。その間,劉連仁を支援する上記団体等が北海道や札幌市及び日本政府に対し劉連仁への補償を要求するよう交渉を 行ったが,実現しなかった。(甲4の2,甲5,甲26,劉連仁本人)

(2) 日本政府の対応等
ア 昭和33年(1958年)3月12日,衆議院外務委員会において,田中稔男委員の質問に対し,当時の内閣総理大臣岸信介は,劉連仁が発見されたこと及 び同人が明治鉱業株式会社で労働していたことを確認していること,政府として同人を適当な引揚船により中国へ帰国させる手配をしていることを答弁し,さら に,劉連仁の日本での苦労をねぎらう発言をした。(甲15の1)

イ 同年3月25日,参議院予算委員会第2分科会において,吉田法晴議員の質問に対し,板垣修アジア局長は,劉連仁が明治鉱業株式会社に雇用されていた旨 及び中国人労働者の名簿については終戦後のどさくさで原本は焼却したか紛失したかしてなくなった旨答弁した。(甲15の2)

ウ 同年4月9日,衆議院外務委員会において,田中稔男委員が劉連仁ら中国人労働者の強制連行の事実の有無について質問したのに対し,岸首相は,「政府と して当時の事情を明らかにするような資料がなく,強制連行の事実を確かめる方法がない,中国人連行の政策を決定した閣議決定の趣旨は中国人労働者を強制連 行するという趣旨ではなかったが,事実問題として強制連行の事実が存在したか否かを確かめるすべはない,政府として責任を待ってその事実を明らかにするこ とはできない」という趣旨の答弁を行った。

それに続き,田中委員が外務省報告書の存在について質問したのに対し,松本蓄蔵政府委員は,「それが存在していること自体は承知しているが現在外務省には残っていない」旨の答弁をした。

さらに,劉連仁に対しての慰労の具体的手段に関する質問に対し,岸首相は,政府として劉連仁が約13年間の逃走生活で強いられた苦労を認め,人道的な立場から劉連仁が日本に滞在している間十分な待遇を行う意向を明らかにした。(甲15の3)

エ 劉連仁は,同年4月10日に中国に渡航する予定となっていたが,その2日前である同月8日,劉連仁の支援者によって集会が開催され劉連仁も出席してい たところ,当時の内閣官房長官であった愛知揆一から,劉連仁の日本での苦労をねぎらい,帰国の手配をしているという趣旨の手紙を受け取った。さらに,劉連 仁は,この手紙とともに現金10万円の入った封筒も渡されたが受領を拒否し,翌9日,日本政府が負うべき責任を負わない態度をとっていることへの非難を内 容とする抗諧声明文を日本政府に提出した。(甲4の2,甲26,劉連仁本人)

6 劉連仁の中国帰国後の状況

(1) 劉連仁は,昭和33年(1958年)4月10日,白山丸により東京港から中国へ渡航し,数日後,故郷である山東省高密市井溝鎮草泊村へ,約14年ぶりに帰 郷した。劉連仁が日本に連行された後,同人の妻である原告趙玉蘭は,男子(原告劉煥新)を無事出産したが,働き手を失った家族8人は生活に困り,妹は年季 奉公に出されていた。父親は,劉連仁が連行されてから9年目に,母親は,劉連仁が帰国する1年前に死亡していた。劉連仁は,約13年間にわたる逃走生活の 影響で,体が弱り,関節が痛み,また,夜寝ていても咳が止まらないなどの後遺症が残った。(甲5,甲26,劉連仁本人)

(2) 劉連仁は,昭和33年(1958年)に帰国した後,日本政府に対して謝罪と賠償を求めたいとの気持ちを持ち続けていた。

平成3年(1991年),劉連仁は,日本のテレビ局の招待で日本に渡り取材を受けた。その際,劉連仁は,日本政府に対して3項目の要求を行った。1つは, 日本政府が責任を認めて劉連仁に謝罪すること,もう1つは,劉連仁が受けた肉体的,精神的な損害を補償すること,さらに,劉連仁のような悲劇的な歴史を二 度と繰り返さないように中日間で記念物を建てることであった。しかし,日本政府は何らの対応も取らなかった。

平成5年(1993年),劉連仁は,日本の当時の社会党の委員長が訪中した際に,日本政府への要求書を手渡したが,日本政府は,何ら応答しなかった。

平成6年(1994年),劉連仁は,日本の弁護士に初めて会い,日本に対して裁判を起こして日本政府の責任を追及することが可能であることを示唆され,平成8年(1996年)3月25日,本件訴えを提起した。(甲26,劉連仁本人,弁論の全趣旨)

(3) 劉連仁は,平成12年(2000年)9月2日死亡した。同人の相続人は,妻である原告趙玉蘭,長男である原告劉煥新及び長女である原告劉萍の3名であり, 原告らは,劉連仁が請求していた損害賠償請求権につき,原告趙玉蘭が5分の3,原告劉煥新及び原告劉萍がそれぞれ5分の1の割合で取得することを合意し た。(弁論の全趣旨)

第5 争点

第4で認定した,本件の背景事情及び劉連仁に関する事実経過によれば,太平洋戦争の進展に伴う国内の労働者の不足に対処するため,日本政府は,昭和17年 閣議決定により,国策として中国人労働者の日本内地への移入を決定し,これを実行に移したこと,日本政府は,中国人労働者の内地への移入を実行するに当 たっては,特別供出,自由募集,訓練生供出及び行政供出の4つの供出方法を採用し,昭和19年次官会議決定によって対象者を40歳以下の男子とすることを 原則とし,一定期間の訓練,日本への輸送の方法,契約期間,日本での使用条件,管理体制等を定め,さらに華人労務者内地移入手続によって中国人労働者の取 扱いの細則を定めるといった措置を採ったこと,以上のような移入に関する手続が定められていたにもかかわらず,このうちの行政供出の実態は,外務省報告書 でも「半強制的に供出せしめたるもの」と指摘されているとおり,また,劉連仁に対する日本内地への連行の状況からも明らかなとおり,その多くは本人の意思 を無視した強制的なものであったこと,また,連行された中国人の日本内地での就労状況についても,昭和19年次官会議決定では,使用条件を定め,就労に関 する契約があるかのごとき記述があるものの,その実態は,中国人労働者の意思にかかわらず,当該事業主との間に一方的に労使関係を生じさせるものであった こと,以上のような状況のもと,昭和19年(1944年)9月28日ころ,当時中国山東省で家族と共に平穏な生活を送っていた劉連仁は,昭和17年閣議決 定に基づく行政供出により,日本軍あるいは日本政府の支配下にあった中国軍の兵士によって,自らの意思に反して一方的かつ強制的に連行され,青島から貨物 船に乗せられて日本に連れて来られたこと,日本に連行された劉連仁は,強制的に昭和鉱業所での労働に従事させられたこと,劉連仁に対する日本内地への強制 連行及び強制労働の実態は,戦時下で日本全体が食糧不足となり,労働条件が悪化していたという特殊な状況を考慮してもなお,劣悪な労働条件下の過酷なもの であったこと,その結果,劉連仁は就労先からの逃走を余儀なくされ,以後約13年間の長期にわたって北海道内での逃走生活を送り,筆舌に尽くし難い過酷な 体験を強いられたこと,以上の事実が認められる。

以上の事実を前提として,前記第3の原告らの主張と被告の主張とを対比すると,本件訴訟における主要な争点は,次のとおりである。

  1. 国際法あるいは国際慣習法に基づく損害賠償請求権の成否について
    1. ハーグ陸戦条約3条に基づく損害賠償請求権の成否
    2. 強制労働条約違反に基づく損害賠償請求権の成否
    3. 奴隷条約及び国際慣習法としての奴隷制禁止違反に基づく損害賠償請求権の成否
    4. 人道に対する罪違反に基づく損害賠償請求権の成否
  2. 法例11条により準拠法となる中国民法に基づく損害賠償請求権の成否について
    1. 本件の強制連行,強制労働の法律関係が国際私法の対象となると言えるか。
      (本件の強制連行,強制労働の法律関係が公法的法律関係か私法的法律関係か。)
    2. 本件の強制連行,強制労働の法律関係が法例11条でいう「不法行為」にあたると言えるか。
    3. 本件の強制連行,強制労働につき法例11条2項の適用があると言えるか。
      (本件の強制連行,強制労働につき「国家無答責原則」の適用があると言えるか。)
    4. 本件の強制連行,強制労働につき法例11条3項による民法724条後段の適用があると言えるか。
      1.   安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権の成否について
        1. 原告の主張する安全配慮義務が具体的に特定されていると言えるか。
        2. 本件の強制連行,強制労働につき安全配慮義務の前提となる「特別の社会的接触の関係」があると言えるか。
      2. 戦前の民法のもとで本件の強制連行,強制労働につき被告が損害賠償責任を負うと言えるか(国家無答責の法理が認められるか)。
      3. 国家賠償法に基づく損害賠償請求権の成否について
        1. 被告が,先行行為に基づく救済義務を負っていたと言えるか。
        2. 被告が,安全配慮義務に基づく救済義務を負っていたと言えるか。
        3. 被告が,国際法上の違法状態を解消する義務として救済義務を負っていたと言えるか。
        4. 国家賠償法6条の相互保証の適用があると言えるか。
      4. 民法724条後段の適用の有無について
        1. 民法724条後段の法的性格は時効か除斥期間か。
        2. 民法724条後段の期間の起算点はいつか。(平成7年3月を起算点とすることが認められるか。)
        3. 除斥期間の適用制限が認められるか。
      5. 立法不作為に基づく損害賠償請求について
        1. 被告が原告らを始めとする被害者に対する救済立法の制定をしなかったことが違法であると言えるか。
    5. 第6 争点に対する当裁判所の判断

      そこで,以下,第4で認定した事実を前提として,本件の争点について判断することにする。

      1 争点1(国際法あるいは国際慣習法に基づく損害賠償請求権の成否)について
      (1) 前提

      原告らは,国際法(条約)あるいは国際慣習法を根拠に,原告ら個人が直接被告である日本国に対し,日本国内の裁判所において損害の賠償を求めている。

      このうち国際法(条約)に基づく請求については,国際法は,その沿革に照らしても国家と国家の法律関係に関するものであるから,国際法によって規律される のは国家と国家の法律関係であり,その法主体性は国家に認められるものである。したがって,国家に所属する個人にそのような国際法上の法主体性を認めるた めには,当該国際法が個人の国家に対する権利義務を定めるとともに,日本が締結した条約において,個人が国際法上の権利を国内裁判所で行使できることを明 確に定める必要があるというべきである。この点に関し,原告らは,今日国際人道法違反の行為によって被害を被った個人が加害国家の国際法上の義務違反を追 及して個人の損害賠償請求を行うことは,国際法上個人に賦与された権利であるから,条約等の中に明文の賠償規定が存在しない場合でも,被害者個人は加害国 家に対して損害賠償請求することができる,と主張するが,このような見解は採用できない。

      次に,国際慣習法に基づく請求については,国際慣習法とは,「法として認められた一般慣行の証拠としての国際慣習」(国際司法裁判所規程38条1項b)を 指すとされており,その成立要件としては,諸国家の行為の積み重ね(国家実行)を通じて一定の国際的慣行(一般慣行)が成立していること及びそれを法的な 義務として確信して行うという諸国家の信念(法的確信)が存在することが必要であると解される。

      以上の解釈を前提にして,原告らが主張するように国際法あるいは国際慣習法に基づき被害者個人が加害国家に対して損害賠償請求権を有するか否かを順次検討する。

      (2) ハーグ陸戦条約3条

      原告らは,ハーグ陸戦条約3条はハーグ陸戦規則違反の行為によって損害を被った被害者個人が加害国に対して直接損害賠償を請求することを認めたものである と主張し,ハーグ陸戦条約3条に基づき被告に対し損害賠償を請求する。そこで,以下,この点について検討する。

      ア ハーグ陸戦条約の意義と解釈
      しかし,いずれにしても,請求が認められるか否かはハーグ陸戦条約3条の解釈いかんによることとなるから,以下では,まずハーグ陸戦条約が,個人に対し加害国家に対する損害賠償請求権を付与したものと言えるかについて検討することとする。

      イ 用語の通常の意味に照らした解釈
      一般に条約の解釈は,その条約の発効時における国際法上の条約解釈のための規則に従ってなされるべきものと解されるところ,ハーグ陸戦条約が日本について 発効した1912年ころにおける条約の解釈方法については,一般的な明文の規定は存在しなかった。しかし,1969年に採択された条約法に関するウィーン 条約(以下「条約法条約」という。)は,それまで精緻化されてきた条約解釈に関する国際慣習法を集大成したものと解されるのであるから,条約法条約には, 同条約は遡及しない旨の規定(4条)が存在するものの,ハーグ陸戦条約の解釈も条約法条約に定められた解釈方法に準じて行うのが相当である。
      条約法条約31条1項には「条約は,文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い,誠実に解釈するものとする。」と規定されているので,以下,ハーグ陸戦条約の用語の通常の意味に照らして同条約3条の解釈を検討する。

      • (ア) ハーグ陸戦条約は,その前文で以下のように規定する。
        「平和ヲ維持シ且諸国間ノ戦争ヲ防止スルノ方法ヲ講スルト同時ニ,其ノ所期ニ反シ避クルコト能ハサル事件ノ為兵カニ訴フルコトアルヘキ場合ニ付攻究ヲ為ス ノ必要ナルコトヲ考慮シ,斯ノ如キ非常ノ場合ニ於テモ尚能ク人類ノ福利ト分明験験トシテ止ムコトナキ要求トニ副ハムコトヲ希望シ,之カ為戦争ニ関スル一般 ノ法規慣例八一層之ヲ精確ナラシムルヲ目的トシ,又ハ成ルベク戦争ノ惨害ヲ減殺スヘキ制限ヲ設クルヲ目的トシテ・・・(以下略)」
        「締約国ノ所見ニ依レハ,右条規ハ,軍事上ノ必要ノ許ス限,努メテ戦争ノ惨害ヲ軽減スルノ希望ヲ以テ定メラレタルモノニシテ,交敬老相互間ノ関係及人民トノ関係ニ於テ,交戦者ノ行動ノ一般ノ準縄タルヘキモノトス」
        また,ハーグ陸戦条約1条には,
        「締約国ハ,其ノ陸軍軍隊ニ対シ,本条約ニ附属スル陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則ニ適合スル訓令ヲ発スヘシ。」
        と規定されている。
        ハーグ陸戦規則は,戦争におけるふ虜,病者及び傷者の扱い,戦闘における害的手段等の制限,休戦の手続,敵国の領土を占領した軍隊の遵守事項等について規定している。
        このようなハーグ陸戦条約及び同規則の規定に照らすと,その趣旨及び目的は,陸戦において軍隊が遵守すべき事項を定め,もって「戦争ノ惨害」を軽減しようという点にあると解される。
      • (イ)一方,ハーグ陸戦条約3条は,ハーグ陸戦規則に違反した国家の損害賠償責任を規定するが,その賠償の相手方については規定していない。
        また,ハーグ陸戦条約及び同規則には,個人が国家に対して損害賠償請求をすることを前提とした手続規定は存在しない。
      • (ウ) そして,国際法における伝統的な考え方によれば,国際法上の法主体性を認められるのは原則として国家であり,個人は,国際法においてその権利,義務につい て規定され,かつ個人自身の名において国際的にその権利を主張し得る資格が与えられて初めて例外的に国際法上の法主体性が認められると解されている。ま た,個人が他国の国際違法行為によって損害を受けた場合には,当該個人は,加害国の国際責任を追求するための国際請求を提出し得る主体としては認められ ず,その属する本国が当該個人の事件を取り上げ外交保護権を行使することによって自らの法益の侵害として引き受け,国家間関係に切り替えて相手国に国家責 任を追及することが原則であると解されている(国家責任の法理)。

       以上,(ア)ないし(ウ)で検討したところによれば,用語の通常の意味に従って解釈する限りでは,ハーグ陸戦条約3条は,ハーグ陸戦規則の遵守を実効化 するため,同規則に違反した交戦国の損害賠償責任を定めた規定であり,同規則違反によって損害を被った個人が国家に対して直接損害賠償請求する権利を認め たものではないと解すべきである。

      これに対し,原告らは,ハーグ陸戦条約3条の正文である仏文のテキストにおいては,日本語で「賠償」と訳されている部分は「indemnite」という用 語が用いられているが,この用語自体には国家間の賠償を意味するという限定的な用法は存在しないと主張し,阿部浩己の意見書(甲32,以下「阿部意見書」 という。)にも,英文のテキストで「compensation」との文言が使用され,原状回復や陳謝,責任者処罰などをも射程に入れた 「restitution」という伝統的な用語が用いられていないことから,同条は損害賠償請求主体を個人と見ることに相当の合理性があるとの記載があ る。

      しかし,「indemnite」という用語自体に賠償を国家間に限定するとの意味がないからといって,直ちに個人に損害賠償請求権を付与したと解することはできないし,「compensation」という文言についても同様である。

      また,原告らは,ハーグ陸戦条約前文において同条約は「交敬老相互間ノ関係及人民トノ関係」を定めるものであると明言していること,同規則中には,43 条,46条,53条2項,3項が占領地における一般の住民と交戦当事者との関係を定めた規定をおいていることから,同条約3条は被害者である個人と賠償義 務を負う加害当事国との法的関係を創設した規定であると主張する。しかし,ハーグ陸戦条約の条項中に一般住民と交戦当事者との関係を定めた条項が存在する ことから,直ちに同条約3条が個人に損害賠償請求権を付与したと解することはできないし,先に述べたよ引こ,同条約及び同規則の趣旨及び目的は,陸戦にお いて軍隊が遵守すべき事項を定めることにあるものと解されるから,原告らの主張を採用することはできない。

      さらに,原告らは,ハーグ陸戦条約には個人が損害賠償請求権を行使する方法,手続について何の言及もないのは確かであるが,同様に,国家が損害賠償請求権 を行使する時期,方法について言及した文言がないことから,同条を国家間の損害賠償を定めたものであると解することはできない旨主張する。しかし,先に述 べたように,個人が国際違法行為によって損害を被ったとしても,相手国に国家責任を追及できるのはその個人の属する国家であるというのが国際法の伝統的な 解釈であり,ハーグ陸戦条約が発効した当時もこのような解釈が一般に支持されていたと考えられる。そうすると,ハーグ陸戦条約3条に国家が損害賠償請求を 実現する具体的な手続を定めた規定がない事実から直ちに,同条が個人の損害賠償請求権を認めたものと解釈することには無理があるというべきである。

      ウ 事後の実行に照らした解釈
      条約法条約31条3項は,用語の通常の意味に照らした解釈に当たっては,文脈とともに,「条約の適用につき後に生じた慣行であって,条約の解釈についての 当事国の合意を確立するもの」を考慮すると定めており,ハーグ陸戦条約3条の解釈に当たっても,同条約に基づいてとられた当事国の事後の実行を考慮するこ とができると解されるので,以下検討する。

      (ア) ヴェルサイユ条約その他の平和条約による混合仲裁裁判所
      原告らは,第1次世界大戦後のヴェルサイユ条約その他の平和条約に基づき設立された混合仲裁裁判所において,ハーグ陸戦条約3条が適用され,個人が加害国に対して直接損害賠償請求権を行使することを認める趣旨で個人に対する賠償が実行されたと主張する。

      しかし,これは,ヴェルサイユ条約その他の平和条約により,賠償請求権の処理を扱う国際機関を設置し例外的に個人が加害国に対して損害賠償請求権を行使す ることを,加害国と被害国との同意により認めたものであり(乙16参照),ハーグ陸戦条約3条が実体的権利の根拠となってはいないと解すべきである。した がって,当該事例をもって,ハーグ陸戦条約3条の適用について事後の実行が存在したと認めることはできない。

      (イ) 旧西ドイツ・ミュンスター行政控訴裁判所判決(1952年4月9日)(甲44)

      原告らは,昭和27年(1952年)4月9日,旧西ドイツ行政控訴裁判所が「原告の損害賠償請求権は,国内公法のみならず,国際法からも生じる。1907 年のハーグ陸戦条約第3条により,国家は,自国の軍隊を組成する人員の一切の行為(ハーグ陸戦規則の違反行為)につき責任を負う,文民の保護のため広範な 文言が選択された第3条によれば,損害をもたらした者の過失は責任の要件ではない。第三者が軍隊構成員の行為にかかわる占領国の絶対責任について規定して いるということは,国際法の疑いなき原則である。国際法の定めるこの絶対責任の枠内で,国家は『無形的』損害についても賠償する義務を負う。」との判決を 下し,ハーグ陸戦条約3条を直接の根拠として個人の損害賠償請求権を認容したと主張する。

      確かに,この判決は,ハーグ陸戦条約3条が個人の交戦当事者に対する損害賠償請求権を認めていることを前提として,その損害賠償請求権は「無形」の損害の 賠償まで含むと判示しているような内容となっており,ハーグ陸戦条約3条の事後実行の一例と認める余地はある(阿部意見書参照)。

      しかし,この判決の事案は,ドイツ人が被占領ドイツにおいてイギリス占領軍の自動軍に衝突されて重症を負ったところ,イギリス占領地域統治委員会の「請求 審査会」が,原告の請求に根拠があること及びイギリス占領当局の関連法規により原告に回復されるべき損害はドイツ当局によって評価されるべきであると認め たことから,原告がドイツ当局に対して損害賠償を求めた事案で,争点は,原告の請求権の存在を前提にして,それに慰謝料請求権も含まれるか否かという点に あったものであり,この判決がハーグ陸戦条約3条による個人の損害賠償請求権の有無を正面から判断した事例と言えるかは疑念が残るものである。

      (ウ)ドイツ・ボン地方裁判所判決(1997年11月5日)(甲53)
      原告らは,1997年11月5日,ドイツ・ボン地方裁判所が「侵略者の責任は,既に両世界大戦の間に国際法の要素になった。捕虜と占領地の一般住民を殺害 したり奴隷化したりしてはならないという原則も国際法の一般規則に属しているということについて意見が一致している。この一般原則は,1907年10月 18日の陸戦の法規慣例に関するハーグ第4条約にも表現されている。ドイツ帝国は,ハーグ第4条約を1919年10月7日に批准したので,その規則を遵守 しなければならなかった。この条約の付属書52条によると,占領地の住民への課役は占領軍の需要の為にするのでなければ要求することはできないし,住民が 母国に対する戦闘行為に従事する義務も含めてはならない。したがって,交戦中のドイツ帝国は,ユダヤ系住民を軍事工場で殲滅を目的として非人間的条件下で 強制労働させることも禁じられていた」と述べた上で,さらに,ハーグ陸戦条約が相互主義の下で損害賠償責任を課しているわけではないこと,連邦憲法25条 によってハーグ陸戦条約が国内法化されていること,しかも同条約の効力順位が法律よりも上位に置かれていることを根拠として,ハーグ陸戦条約により帝国公 務員責任法の求める相互主義の適用を排除することも併せて判示し,ハーグ陸戦規則違反の行為に起因する損害賠償責任が個人のために援用されることを明らか にしたと主張する。

      この点,この判決が個人の国家(ドイツ)に対する損害賠償請求権を認めた直接の根拠は国内法(民法典)にあった可能性が高いが,同判決の内容に照らすと, 同判決がハーグ陸戦条約3条が個人の国家に対する損害賠償請求権を認める根拠となり得るとする見解を示したものと解する余地はあるというべきである(阿部 意見書参照)。

      (エ)ギリシャ・レイバディア地方裁判所判決(1997年10月30日)(甲122)
      この判決は,当該原告の被告ドイツ連邦共和国に対する損害賠償請求訴訟の提起に対し,ハーグ条約及びハーグ規則,とりわけ同条約3条及び同規則46条によ り合法的であり,個人の資格で請求を行うことを妨げないとして,ハーグ条約は,ギリシャにより批准されていないが,同条約の内容はギリシャ及びドイツを拘 束する国際慣習法の一部となっているので,これをドイツに対して援用することは可能であるとして,原告の請求を認容した。

      この判決は,原告が主張するように,ハーグ陸戦条約を直接の根拠に個人の損害賠償請求権を認めた事例と解釈することはできる。

      (オ)ジュネーブ諸条約追加第1議定書91条(1977年6月8日採択)関する赤十字国際委員会が発行する解説書(1987年)(乙23)

      原告らは,1977年6月8日に採択されたジュネーブ諸条約追加第1議定書91条は,「諸条約又はこの議定書の規定に違反した紛争当事者は,必要な場合に は賠償を支払う義務を負わなければならない。紛争当事者はその軍隊を構成する者が行った一切の行為について責任を負わなければならない」としているが,同 追加議定書に関して赤十字国際委員会が1987年に発行した解説書(甲48)は,「91条は,文字とおり,陸戦の法規慣例に関するハーグ条約3条を再確認 したいかなる意味でも同条を廃止する趣旨を含まない。」として,同条項がハーグ陸戦条約3条の趣旨を踏襲するものであることを述べ,「損害賠償を請求でき るものは,通常は,紛争当事国(当事者)若しくはその国民である。」として,同条項によって保障される権利,すなわちハーグ陸戦条約3条によって明示され た個人の損害賠償請求権が,交戦当事国の権利ではなく,被害者個人の権利でもあることを当然の前提にしている旨主張する。

      しかし,この解説書は,上記記述に引き続き,「例外的な場合を除いて,ある紛争当事国の不法な行為によって権利を侵害された外国人は,自身の政府に対して 申し入れを行うべきであり,その政府はその請求を違反を犯した紛争当事国に提出することになるだろう。しかしながら,1945年以降は,個人によりその権 利を行使することを認知するという傾向が出現した。」としており,この記述からすると,赤十字国際委員会が上記91条について個人が直接相手国に対する損 害賠償請求の主体になるとの見解を確定的に採用したものと解することは困難であり,この解説書がハーグ陸戦条約の適用につき後に生じた慣行であって,同条 約の解釈についての当事国の合意を確立するものに該当するとまで認めることはできない。

      (カ)テオ・ファン・ホーベン国連最終報告書(1993年7月2日)(甲12の1,2)
      原告らは,テオ・ファン・ホーベンが平成5年(1993年)7月2日国連人権委員会の差別防止・少数保護小委員会に提出した「人権と基本的自由の重大な侵 害を受けた被害者の原状回復,賠償及び公正を求める権利についての研究」と題する報告書(以下「最終報告書」という。)に,「損害賠償請求権を有する被害 者とは,個人的であれ,集団的であれ,身体的心理的被害,情緒的苦悩,経済的損失または基本的自由の相当な侵害を含む危害を受けた人々を意味する」との記 載があり,同年8月25日,上記小委員会は最終報告書を採択したと主張する。

      しかし,甲第12号証の1,2によれば,最終報告書は,伝統的な国際法の考え方によれば国家は加害国から損害賠償を請求することができるが,被害者自身は 国際的な請求を持ち出す立場にないとして,国際法の通説的見解では個人の損害賠償請求権を否定していることを認めた上で,報告者の個人的提言を行ったもの であると認められ,それに対して上記小委員会は,最終報告書を採択したのではなく,その提案をさらに検討し必要があれば作業部会を設置すること,特別報告 者を任命することを決定する旨を決議したに過ぎないことが認められる。そうすると,最終報告書は報告者の提案の域を出ないものと言わざるを得ず,これを もってハーグ陸戦条約3条が個人の加害国に対する直接の請求権を認めたものと解することはできない。

      (キ)ラディカ・クマラスワミ報告(1996年1月4日)(甲9)
      原告らは,ラディカ・クマラスワミが平成8年(1996年)1月4日国連人権委員会に提出した報告書は,国際法上被害者個人に賠償請求権が認められている 旨記載され,同委員会は,同年4月19日,同報告書を採択したと主張する。 しかし,被告は,同委員会は同報告書を採択したのではなく,「テイク・ノー ト」(記録にとどめる)したに過ぎないと主張しており,同報告書が採択されたと認めるに足りる証拠はない。そうすると,同報告書は報告者の提案の域を出な いものと言わざるを得ず、これをもってハーグ陸戦条約が被害個人の加害者に対する直接の請求権を認めたものと解することはできない。

      以上検討したところによれば,(ウ)及び(エ)の事例は,ハーグ陸戦条約3条を根拠に個人の国家に対する損害賠償請求権を認めた事例と認める余地はある が,他方で,アメリカ合衆国第4巡回区控訴裁判所1992年6月16日判決(乙16),同国コロンビア特別区地方裁判所1994年7月1日控訴審判決(乙 17),東京地方裁判所平成10年11月26日判決(乙3),同平成10年10月9日判決(乙4),同平成11年10月1日判決(乙14),東京高等裁判 所平成12年12月6日判決(乙22)は,ハーグ陸戦条約3条が個人に国家に対する損害賠償請求権を付与したものではないと判示していること,その他,同 趣旨の学説も有力に主張されていること(乙16,乙17,乙19)が認められることから,「条約の適用につき後に生じた慣行であって,条約の解釈について の当事国の合意を確立するもの」と言い得る慣例が存在するとまで認めるに足りる証拠は存在しない。(以上のほかにも,原告らは,ハーグ陸戦条約3条が個人 の加害国に対する直接の損害賠償請求権を付与したものであることの裏付けとして複数の資料を提出するが(甲8,甲10の1,2,甲11の1の1,2,甲 11の2の1,2,甲13,甲21ないし甲23,甲31,甲32,甲34,甲40ないし甲43,甲46,甲121),これらはいずれも執筆者あるいは証言 者の個人的見解を述べたものに過ぎず,当裁判所の採用するところではない。)

      そうすると,事後の実行を考慮してハーグ陸戦条約3条を解釈しても,同条は,ハーグ陸戦規則違反の行為によって損害を被った個人が加害国に対して直接損害賠償請求することを認めた規定とは解することはできないというべきである。

      エ 条約の起草過程に照らした解釈
      条約法32条では,条約の解釈に当たっては,同31条の規定により得られた意味を確認するために補足的な手段,特に条約の準備作業及び条約の締結の際の事 情に依拠することができるとしているので,以下,ハーグ陸戦条約3条の上記解釈を確認するため,同条約の起草過程について検討する。

      (ア)各国代表の提案及び発言
      甲第25号証,甲第58号証,阿部意見書,乙第12号証,乙第16号証,乙第18号証及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

      a ハーグ陸戦条約3条は,1907年第2回国際平和会議の全体会合及び第2委員会会合で,1899年ハーグ陸戦の法規慣例に関する規則の条文の修正とい う形で検討がなされた。その際,ドイツ代表から同規則の違反に対する賠償について以下のような条文を新設することの提案があった。

      第1条 この規則の条項に違反して中立の者を侵害した交戦当事者は,その者に対して生じた損害をその者に対して賠償する責任を負う。交戦当事者は,その軍隊を組成する人員の一切の行為につき責任を負う。

      現金による即時の賠償が予定されていない場合において,交戦当事者が生じさせた根害及び支払うべき賠償額を決定することが,当面交戦行為と両立しないと交戦当事者が認めるときは,右決定を延期することができる。

      第2条 (同規則の)違反行為により交戦相手側を侵害したときは,賠償の問題は,和平の締結時に解決するものとする。

      ドイツ代表は,上記提案について概要以下のとおり説明した。

      「1899年ハーグ陸戦条約によれば,各国政府は,その軍隊に対し,同条約附属規則の規定に従った訓令を出す以外の義務を負わない。これらの規定が軍隊に 対する命令の一部になることに鑑みれば,その違反行為は軍事刑罰法規により処断される。しかし,この刑事罰則だけでは,あらゆる個人の違反行為の予防措置 とはならないことは明らかである。そこで,上記規則違反による損害の賠償について検討することが必要であるが,国家の責任を過失責任の法理によらしめると すれば,国家に,その管理,監督上の過失が認められない場合がほとんどであろうから,損害を受けた者は,政府に対し賠償を求めることができないし,違法行 為を行った士官又は兵士に対して,賠償を求めたとしても,多くの場合は賠償を得ることができないであろう。したがって,我々は,軍隊の構成員が行った規則 違反による一切の不法行為責任は,その者の属する国の政府が負うべきであると考える。そして,その責任,損害の程度,賠償の支払方法の決定については,中 立の者の場合は,交戦行為と両立する最も迅速な救済のための措置を講じるものとし,敵国の者の場合は,賠償の問題の解決を和平回復時まで延期することが必 要不可欠である。」

      ドイツのこの提案に関しては,交戦国の市民と中立国の市民との間に区別を設けていた点について賛否が分かれた。

      b 第2回国際平和会議第2委員会第1小委員会議長は,ドイツの上記提案に関して,概要以下のとおり述べた。

      「現在の規定に欠けている制裁条項を加えようという大変興味深いこの提案は,2つの部分からなっている。第1は,中立の者に関する部分であり,ある交戦当 事国の軍隊を組成する者により中立の者に対し生ぜしめられた損害はその者に対して賠償してしかるべしとしている。そこには権利があり義務があるが,交戦相 手側の者に対して生ぜしめられた損害については,いかなる権利も規定されていない。単に,交戦相手側の者に関する賠償の問題は,和平達成時に解決されるべ きである旨述べられているのみである。」

      c ロシア代表は,「我々は,先程この会議に提案を行った際,戦時における平和市民の利益を念頭に置いていたが,ドイツ提案はその同じ利益に合致するもの であると考える。我々の提案は,1899年条約の実施に当たりこれら市民に課せられる苦痛を和らげることを目指すものであった。ドイツ提案は,この条約の 違反によりこれら市民に対し生ずる損害を想定したものである。これら2つの提案の根底にある懸念は正当なものであり,それ自体として国際的合意の対象と なってしかるべきであると考える。」などと述べた。

      d フランス代表は,「ドイツ修正案に見られる主張は,中立国の国民と侵略地又は占領地に居住する交戦国の国民とを区別し,前者に有利な地位を与え,彼ら にいわゆる中立の配当を認めようとするものである。個人のために採られる保護措置は中立の者か交戦相手側の者かにより区別を設けることなく,すべての者に 対し同様に適用されるべきであると考える。」などと述べた。

      e スイス代表は,ドイツ修正案に賛意を表明し,「ドイツ修正案が中立の者に許し難い特権を与えるというのは誤りである。ドイツ修正案が示している原則 は,損害を受けたすべての個人に対し,敵国の国民であるか中立国の国民であるかを問わず適用可能である。これら2つのカテゴリーの被害者,すなわち権利保 有者の間に設けられた唯一の区別は,賠償の支払に間するものであり,この点に関する両者間の違いは物事の性質そのものにある。中立の者に対する賠償の支払 は,責任ある交戦国が被害者の国とは平時にあり,また,平和な関係を維持しており,両国はあらゆるケースを容易にかつ遅滞なく解決し得る状態にあるため, 大抵の場合,即時に行い得るであろう。このような容易さないし可能性は戦時という一大事により,交戦国同士の間では存在しない。賠償請求権は中立の者と同 様各々の交戦国の者についても生ずるが,交戦国同士の間での賠償の支払は,和平を達成してからでなければ決定し実施することはできないであろう。」などと 述べた。これに対し,ドイツ代表は,「自分自身もできない最高の弁明をしていただいた。」と謝辞を述べた。

      f イギリス代表は,「ドイツ修正案においては,中立の者に対し特権的地位が与えられているが,これを受け入れることはできない。第1条が中立の者に対 し,受けた損害の賠償を交戦当事者に要求する権利を与えているのに比べ,第2条では交戦相手側の者については賠償は和平の締結時に解決するとしている。し たがって,交戦相手側の者にとっては,賠償は平和条約に盛り込まれる条件次第,交戦国の交渉の結果次第ということになる。私は,陸戦の法規慣例違反の被害 者に対し交戦当事国が賠償をなすべき責任を否定するものではなく,英国はいかなる意味においてもこの責任を免れようとしているわけではない。」などと述べ た。

      g ドイツ代表は,上記提案が交戦国の市民と中立国の市民との間に区別を設けていることへの批判に対し,「両者の間に権利の違いを設ける意図はなく,上記提案は,賠償の支払方法を規定するものに過ぎない。」などと回答した。

      h 各国代表の発言の中には,1899年ハーグ陸戦規則に違反する行為によって損害を被った個人が加害国に対して根害賠償請求権を有することを明確に肯定又は確認した発言はなかった。

      i 以上の検討を経て,第2委員会が,ドイツ提案を「本規則の条項に違反する交戦当事者は,損害が生じたときは,損害賠償の責任を負う。交戦当事者は,そ の軍隊を組成する人員の一切の行為につき責任を負う。」との規定にまとめ,この規定が総会において全会一致で採択され,最終的に,規則中ではなく,条約の 本文としてハーグ陸戦条約3条として盛り込まれた。

      (イ)起草過程の検討
      a 上記のような起草過程によれば,まず,ドイツ代表者が,ハーグ陸戦規則に違反して中立の者を侵害した交戦当事国がその者に対して生じた損害を「その者 に対して」賠償する責任を負うとの条項を付け加えることを提案したものであって,この発言のみを捉えれば,あたかもドイツ代表者がハーグ陸戦規則違反の行 為によって損害を被った個人が加害国に対して直接損害賠償請求権を行使することを認めることを意図していたかのようにも解される。

      しかし,上記の起草過程を見ると,各国代表の関心は,専ら中立国の市民と交戦国の市民とを区別することの是非に向けられているのであって,各国代表の発言 の中には,個人の加害国に対する損害賠償請求権を肯定あるいは否定することについての発言は何ら存在しない。むしろ,スイス代表が「中立の者に対する賠償 の支払は,責任ある交戦国が被害者の国とは平時にあり,また,平和な関係を維持しており,両国はあらゆるケースを容易にかつ遅滞なく解決し得る状態にある ため,大抵の場合,即時に行い得るであろう。このような容易さないし可能性は戦時という一大事により,交戦国同士の間では存在しない。賠償請求権は中立の 者と同様各々の交戦国の者についても生ずるが,交戦国同士の間での賠償の支払は,和平を達成してからでなければ決定し実施することはできないであろう。」 との,国家間の賠償を前提とした発言をしたのに対し,ドイツ代表が謝辞を述べていることからすると,ドイツ代表の提案は,ハーグ陸戦規則違反の行為によっ て損害を被った個人の救済を最終的には意図していたとしても,それは,同規則違反の行為によって損害を与えた国家が被害者である個人が所属する国家に対し て損害賠償の義務を負うという国家責任の原則を踏み越えるものであるとまでは認められず,同規則違反の行為によって損害を被った個人が加害国に対して直接 損害賠償を請求することを意図していたものではないと認めるのが相当である。そして,第2委員会がまとめた条文及び最終的に採択されたハーグ陸戦条約にお いては,当初ドイツ代表から提案のあった「その者に対して」との文言が削除されていることも併せて考えると,ハーグ陸戦条約の起草に当たった各国代表が, 同条約3条の起草過程において,同条がハーグ陸戦規則違反の行為によって損害を被った個人に加害国に対する損害賠償請求権を付与することを意図していたと 認めることはできない。

      b これに対し,原告らは,ドイツ代表の提案はハーグ陸戦規則違反の行為による被害者個人に請求権があることを大前提としながら,国家責任を認めようとし たものであって,これに対し各国代表からは全く異論が出なかったのみならず,議長,イギリス代表及びスイス代表の発言の中にも,中立国の市民ないし交戦国 の市民にも賠償請求権が認められるべきことが述べられていると主張する。

      しかし,ドイツ代表の提案がハーグ陸戦規則違反の行為による被害者個人に請求権があることを大前提とするものであるなら,スイス代表が国家間の賠償を前提 とする発言をしていることに対し,ドイツ代表が何ら異論を唱えることなく,かえって謝辞を述べていることの説明が付かない。

      なお,各国代表の発言についても,確かに,これらの発言の中には,ハーグ陸戦規則違反の行為によって損害を被った個人に対して加害国は損害賠償責任がある 旨を述べたものがある。しかし,これらの発言の多くは,結局ドイツ代表の提案を反復したに過ぎない。また,イギリス代表は「私は,陸戦の法規慣例違反の被 害者に対し交戦当事国が賠償をなすべき責任を否定するものではなく,英国はいかなる意味においてもこの責任を免れようとしているわけではない。」と述べて いるものの,スイス代表は,このように国家間の賠償を前提とする発言をする一方で,「ドイツ修正案が示している原則は,損害を受けたすべての個人に対し, 敵国の国民であるか中立国の国民であるかを問わず適用可能である。」との,被害者個人に対する賠償を前提とするかのような発言をしていたことからすると, イギリス代表を含めた各国代表は,ハーグ陸戦条約の起草過程で,ハーグ陸戦規則違反の行為によって生じた個人の損害を填補することを意図していたものであ るというべきであるが,さらにそれを越えて,被害者個人に加害国に対する直接の損害賠償請求権を付与することを意図していたものとまで認めるには足りない というべきである。このことは,各国代表がドイツ代表の提案に対し,被害者個人が加害国に対して直接損害賠償を請求することの是非を巡って議論をした形跡 がないことからも明らかである。仮に,被害者個人の加害国に対する損害賠償請求権を肯定するとすれば,それは従来の国家責任の原則を修正するものであるか ら,これに反対する代表があってもおかしくはないし,個人の損害賠償請求権を認めるとしても,いかなる手続でこれを実現していくのか,個人に生じた損害を すべて賠償する義務を加害国に負わせるのかなど,議論すべき問題が多々存すると思われるのに,これらの点に関する議論が全くなされていないことからする と,原告らが主張するような各国代表の発言の一部を断片的に捉え,これをもって各国代表が個人に加害国に対する損害賠償請求権を付与することを前提として いたと見ることは相当でない。

      なお,原告らは,損害の救済の実現方法等について起草過程において議論がなくとも,ハーグ陸戦条約は当然に国内法的効力を持つから,ハーグ陸戦条約違反が 主張される当該国家の国内法における手続法によってその救済が図られればよいのであって,損害の救済方法の実現方法等について起草過程において議論がない ことは,被害者である個人から国家に対する損害賠償請求権を認めない根拠とはなり得ないと主張する。確かに,ハーグ陸戦条約3条が個人の国家に対する損害 賠償請求権を付与したものであるという前提に立てば,損害の救済方法の実現方法に関する規定が存しないことは権利実現に当たっての障害とはならないという 主張もあり得るというべきである。

      しかし,ここではそもそもその前提となる同条が個人に損害賠償請求権を付与したものであるか否かが問題となっており,その判断のために条約の起草過程を検 討したものである。そうであるとすると,その起草過程において個人の権利実現の方法について何ら議論がなされていない(すなわち,個人の権利実現は各国の 国内法に委ねるとの議論もなされていない。)ということは,前提となる個人の請求権を付与したものであるとの解釈をとる上での障害となることは明らかであ り,この点に関する原告らの主張は採用できない。

      オ ハーグ陸戦条約3条の規定の解釈に関する結論
      以上イない.しエの,用語の通常の意味に照らした解釈,事後の実行に照らした解釈及び条約の起草過程に照らした解釈で検討した結果によれば,ハーグ陸戦条 約3条は,交戦当事国である国家が,自国の軍隊の構成員によるハーグ陸戦規則違反の行為につき,相手国に対し損害賠償責任を負うという,加害国と被害国間 の権利義務関係について定めたものと解すべきであり,同条が国内法的効力を有するとしても,被害国の被害者個人の加害国に対する損害賠償請求権を創設した ものとは言えないから,原告らの主張するような損害賠償請求権の存在を根拠付けるものとは言えない。

      そして,原告らは,ハーグ陸戦条約3条が被害者個人の損害賠償請求権を認めているとの解釈を前提に,同条によって具体化された国際慣習法に基づく損害賠償 請求権の存在を主張しているものであるが,上記のとおり,ハーグ陸戦条約3条は被害者個人の損害賠償請求権を認めていないと解される以上,その余の点につ いて判断するまでもなく,原告らの主張は採用できない。

      (3) 強制労働条約違反

      原告らは,強制労働条約は強制労働を禁止しているところ,劉違仁は,被告によって強制連行され強制労働に服させられたから,同条約に基づき,被告に対し損害の賠償を請求できると主張する。

      ア 強制労働条約の批准
      当裁判所に顕著な事実と甲第1 2 0号証及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

      強制労働条約は,昭和5年(1930年)6月28日に国際労働機関(ILO)総会第14回会議において採択され,日本は昭和7年(1932年)11月21 日に同条約を批准した。強制労働条約1条1項は,「本条約ヲ批准スル国際労働機関ノ各締盟国ハ能フ限り最短キ期間内ニ一切ノ形式ニ於ケル強制労働ノ使用ヲ 廃止スルコトヲ約ス」として,強制労働を禁止した。ここで強制労働とは,同条約2条1項において,「或者ガ処罰ノ脅威ノ下ニ強要セラレ且右ノ者ガ自ラ任意 ニ申出デタルニ非ザル一切ノ労務ヲ謂フ」と定義された。

      同条約1条2項は,

      「右完全ナル廃止ノ目的ヲ以テ強制労働ハ経過期間中公ノ目的ノ為ニノミ且例外ノ措置トシテ使用セラルコトヲ得尤モ以下ニ定メラルル条件及保障ニ従フモノトス」

      と規定し,例外として強制労働を許容する場合も同条約による条件を満たすことが必要であるとした。そして,同条約4条1項で「権限アル機関」に対し,私の 利益のため強制労働を課し又は課すことを許可してはならないと命じ,同条約23条1項で「権限アル機関」に対し,強制労働の使用を規律する規則の公布を命 じ,同条約25条で「強制労働ノ不法ナル強要」に対して刑事犯罪として処罰することを批准国の義務とする旨規定している。

      イ 強制労働条約に基づく個人の損害賠償請求権の成否
      上記の強制労働条約の規定によれば,同条約の趣旨は,同条約を批准している締盟国に対して強制労働を禁止するための責務を牒すものであって,同条約が強制 労働の被害を受けた個人に強制労働を課した国家に対する損害賠償請求権を認めたものであると解することはできない。そして,強制労働条約締結後,同条約に 基づいて国家が違法に強制労働を課せられた個人に対して直接損害賠償を実行した事例があったことを認めるに足りる証拠もない。

      そうすると,強制労働条約及びその国際慣習法に基づいて,被害者たる個人が条約違反をした国家に対し直接損害賠償請求権を取得するとする原告らの主張は採用できない。

      (4) 奴隷条約及び国際慣習法としての奴隷制の禁止違反

      原告らは,昭和2年(1927年)に発効した奴隷条約を被告は批准していないが,奴隷制度及びこれに類似する強制労働の禁止は,本件当時既に国際慣習法と して確立していたと言えるところ,被告の劉違仁ら中国人労働者に対する組織的な強制連行,強制労働政策は,奴隷条約が禁止する奴隷制もしくはこれに類似す る制度にほかならず,仮にそうではないとしても同条約が禁止する奴隷制度類似の強制労働にあたることから,同国際慣習法違反に基づき,原告らは損害賠償請 求権を有する旨主張する。

      ア 奴隷制度及びそれに類似する制度の廃止の確認
      当裁判所に顕著な事実及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

      奴隷制の廃止については,19世紀から,パリ平和条約(1814年,1815年),ロンドン条約(1841年),ワシントン条約(1862年)などによっ て採択され,第1次世界大戦後に発足した国際連盟は,1926年9月25日,奴隷条約を採択し,翌1927年3月9日,同条約は発効した。

      奴隷条約1条は,「奴隷制度とは,その者に対して所有権に基づく一部又は全部の権能が行使される個人の地位又は状態をいう」と奴隷制度を定義し,奴隷制度 を廃止することを締約国に義務付けるとともに,同条約5条1項は,「締約国は,強制労働の利用が重大な結果をもたらすことがあることを認め,・・強制労働 が奴隷制度に類似する状態に発展することを防止するためにすべての必要な措置をとることを約束する。」として,強制労働も奴隷制度に類似する状態に発展す ることをも防止すべきことも規定した。なお,被告は,上記奴隷条約を締結,批推していない。

      1948年12月に国際連合総会で決議された世界人権宣言4条においても,「何人も,奴隷にされ又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は,い かなる形においても禁止する。」と規定され,さらに,国連は,1953年10月23日採択の「1926年9月25日に署名された奴隷条約を改正する議定 書」,1956年9月7日採択の「奴隷制度,奴隷取引並びに奴隷制度類似の制度及び慣行の廃止に関する補足条約」において,奴隷制度及びそれに類似する制 度の廃止の原則を確認している。

      イ 国際慣習法としての奴隷制度の禁止違反に基づく個人の損害賠償請求権の成否

      上記の事実によれば,奴隷制度の禁止は,本件当時国際慣習法として既に確立していたものと認める余地はあると言える。しかしながら,上に掲げた各条約の文 言を検討しても,各条約の趣旨は,条約締結国に対して奴隷制度廃止のための責務を課すものと認めることはできるものの,それを超えて奴隷制度の被害にあっ た個人に加害国に対する直接の損害賠償請求権を付与するものとまで認めることはできない。同様に,国際慣習法としても個人の損害賠償請求権を認めるという 内容の一般慣行及び法的確信が存在したと認めるに足りる証拠は存在しない。

      したがって,この点に関する原告らの主張は採用できない。

      (5) 人道に対する罪違反

      原告らは,被告の強制連行,強制労働政策の立案,策定,実行に関与したすべての者が,「極東軍事裁判所条例」が規定する人道に対する罪違反の行為を犯した ものであるが,その結果劉違仁に生じた損害については,これらの者に対する刑事責任だけではなく,その使用者としての地位にある被告に損害賠償責任が生ず る旨主張する。

      ア 極東軍事裁判所条例が規定する人道に対する罪
      当裁判所に顕著な事実及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

      1945年8月,ナチスの戦争犯罪を裁くためにニュルンベルク国際軍事裁判所が設置されたが,ニュルンベルク国際軍事裁判所条例6条は,初めて「人道に対する罪」を処罰の対象とする旨明示した。

      すなわち,同条は,「第1条記述の欧州枢軸諸国主要戦争犯罪人の審理及び処罰のための協定に基づき設置された裁判所は,欧州枢軸諸国のために,個人たると 組織の構成員たるとを問わず,次の犯罪の何れかをなした者を審理し処罰する権限を有する。次の諸行為若しくはその何れか1つの行為は裁判所の管轄権に属す る犯罪であって,これに対しては個人的責任が生ずる。

       (c) 人道に対する罪 即ち犯行のなされた国家の,国内法を侵犯したか,否かにかかわらず,本裁判所の管轄内にある,何れかの犯罪の遂行に当たり又はこれに関連 して戦前及び戦争中一般人民に対してなされた謀殺,掃滅,奴隷化,強制移送,及び,その他の非人道的行為,若しくは,政治的・人種的・宗教的理由に基づく 迫害」と規定している。

      また,日本の戦争犯罪を裁くために設置された極東国際軍事裁判所に関して規定している極東国際軍事裁判所条例5条㈲は,「戦前又は戦時中になされたる殺 戮,殲滅,奴隷的虐使,追放其の他の非人道的行為,若しくは政治的又は人種的理由に基づく迫害行為であって犯行地の国内法違反たると否とを問わず本裁判所 の管轄に属する犯罪の遂行として又はこれに関連してなされたるもの」を人道に対する罪にあたると定義し,同条2項は,この何れかを「犯さんとする共通の計 画又は共同謀議の立案又は実行に参加せる指導者,組織者,教唆者及び共犯者は,斯かる計画の遂行上なされたる行為の一切の行為に付,その何人によりて為さ れたるとを問わず責任を有す」として,人道に対する罪を処罰の対象とする旨規定した。

      国連総会は,「ニュルンベルグ裁判所条例によって認められた国際法の諸原則」を確認する決議を全会一致で採択し,以降,「人道に対する罪」が国際法上の犯罪として処罰の対象とされることが国際的に承認されるに至っている。

      イ 人道に対する罪に違反した者が所属する国家に対する個人の損害賠償請求権の成否
      上記の事実によれば,「人道に対する罪」とは,戦前及び戦争中一般人民に対してなされた謀殺,掃滅,奴隷化,強制移送,及び,その他の非人道的行為,若し くは,政治的・人種的・宗数的理由に基づく迫害と定義され,それが国際法上刑事処罰の対象とされることとが第2次世界大戦後国際的に承認されたものという ことができる。

      そうすると,ニュルンベルク国際軍事裁判所条例及び極東国際軍事裁判所条例を定め,ニュルンベルク国際軍事裁判所及び極東国際軍事裁判所を設置した趣旨 は,第2次世界大戦において「人道に対する罪」等の非人道的行為等を行った者個人を刑事的に処罰するためのものと認められること,「人道に対する罪」につ いて定めるニュルンベルク国際軍事裁判所条例6条及び極東国際軍事裁判所条例5条の規定の文言を見ると,いずれも違反者個人の犯罪構成要件を定めた規定だ と認められ,他方,当該違反者が属する国家が被害者個人に対して損害賠償責任を負う旨の規定は存在しないことからすると,当該違反者の行為が「人道に対す る罪」違反に該当すると認められたとしても,上記国際軍事裁判所条例の規定を根拠に当該違反者が属する国家の損害賠償責任を負うということはできない。

      また,その他に,「人道に対する罪」違反を行った行為者の属する国家が被害者個人に対し損害賠償責任を負うという国際慣習法が成立していることを認めるに足りる証拠も存在しない。

      したがって,「人道に対する罪」違反に基づき当該違反者の属する国家が被害者に直接損害賠償請求権を有するとの原告らの主張は採用できない。

      (6) 国際法あるいは国際慣習法に基づく損害賠償請求権の成否についての結論

      以上により,原告らの主張する国際法違反に基づく損害賠償請求権については,いずれもこれを認めることはできない。

      2 争点2(法例11条により準拠法となる中国民法に基づく損害賠償請求権の成否)について

      原告らは,本件において被告によって行われた強制連行の行為地は中国,強制労働の行為地は日本であるが,両者の行為を一連のものとして考えると,違結点と して劉連仁の国籍及び当初の行為発生地を考慮し,法例11条1項により中国の国内法を準拠法として考えるべきであるとし,「故意又は過失により他人の権利 を不法に侵害した者は損害賠償の責任を負う。故意に善良の風俗に反する方法をもって他人に損害を加えたる者はまた同じ。他人を保護する法律に違反した者は 過失があるものと推定する。」(中国民法184条),「公務員で第三者に対しとるべき職務に故意に違反し,その結果第三者の権利に損害を与えた者は損害賠 償責任を負う。それが過失による場合は,加害者が他の方法によっては賠償を受けることができない時に限り,その責任を負う。」(同法186条),「被雇用 人が職務の遂行に当たって他人の権利を不法に侵害した場合,雇用人と行為者は連帯して損害賠償責任を負う。」(同法188条)と規定する中国民法に基づ き,被告に損害賠償責任が生ずると主張する。

      (1) 本件の劉違仁に対する強制連行,強制労働の法律関係が国際私法の対象となると言えるか。(強制連行,強制労働の法律関係は公法的法律関係か私法的法律関係か。)

      国際私法は,特定の国家法を超越した国際市民社会の共通法ないしは普遍法としての私法が存在するとの前提から,そのような国家を超えて生ずる国際的,渉外 的私法関係に適用されるのに対し,国家の利益と密接な関係を有する公法の領域では,特定の国家利益を超えた普遍的な価値に基づく国家法を想定することはで きないから,公法的法律関係は,国際私法の適用の対象とはならないと解される。

      以上のような観点から本件を見ると,前記認定のとおり,被告が行政供出という形を借りて劉違仁を日本内地へ強制的に連行し,北海道において強制的に労働に 従事させたのは,太平洋戦争遂行に当たっての日本国内での労働力の確保のために,中国人を内地に移入させ,労働に当たらせるという被告の国策の一環として 行われたものであることが明らかであり,当時の被告が自らの国益のために,自らの権力作用そのものとして行った行政作用で,極めて公法的色彩の強い行為に あたるというべきであり,このような行為は,国家主権と密接な関係を有しているから,特定の国家法を超越した国際市民社会の共通法ないしは普遍法としての 国際私法の規律にかからしめることには無理があると言わざるを得ない。

      そうであるとすれば,本件の劉連仁に対する強制連行,強制労働の問題は,最終的には公法的法律関係と認められ,基本的には被告の当時の法体系によって規律すべき事柄というべきである。

      (2) 本件の劉連仁に対する強制連行,強制労働が法例11条1項でいう「不法行為」にあたると言えるか。

      (1)で述べたとおり,本件の劉連仁に対する強制連行,強制労働については,そもそも,国際私法の適用はないというべきであるが,そのような結論に対して は,反対論もあるので,ここでは,本件の劉連仁に対する強制連行,強制労働が法例11条1項でいう「不法行為」にあたると言えるかという観点からの検討も することにする。

      この点に関し,原告らは,本件強制連行,強制労働を理由とする劉連仁による損害賠償請求は,国家賠償請求の問題であり,国家賠償責任の問題は,法例11条 1項の「不法行為」の問題にほかならず,公権力の行使を慎重ならしめるという点で公益に関するものであり,国際私法の適用の対象となると主張する。

      しかしながら,法例11条1項の「不法行為」は,違法な行為によって他人に損害を与えた者にその損害の賠償をさせるものであって,社会生活において生じた 損害の公平な分担をさせる制度であるのに対し,公権力の行使に対する国家賠償については,各国の現行の国家賠償法を見ても明らかなとおり,その要件や適用 除外の有無等に連いがあり,また,相互保証主義の規定が設けられているなど,各国の国家的利益を優先させていることが認められ,その意味で,損害の公平な 分担を目的としている制度とすることは困難であり,公権力の行使に対する国家賠償の問題を法例11条1項の「不法行為」の問題として扱うことはできないと 解すべきである(この点に関しては,証人奥田安弘の供述によれば,後述のいわゆる「国家無答責の原則」のように各国の国家的利益を優先させることも広い意 味では損害の公平な分担にあたるとの考えもあるが,そこでいう公平については,当該国家の制度としての公平ないし合理性と見るほかなく,そのこと自体に国 際私法適用の前提となる客観性ないし普遍性を見いだすことは困難であると考える。)。

      また,法例11条1項の「不法行為」は,双方の意思によらないで個人に損害賠償請求権を発生させるという点で,特定の国家法を超越した普遍的な価値基準と しての公益のための制度と言えるのに対し,各国の国家賠償法については,双方の意思によらないで個人に国家に対する損害賠償請求権を与えるという点では公 益の概念を想定し得るとしても,そこでいう公益は,前記のような各国の国家賠償法の違いに照らしても明らかなとおり,専ら当該国家を基準とするものにほか ならず,公益自体に普遍性が見いだせないというべきである。

      以上の次第で,本件の劉連仁に対する強制連行,強制労働が法例11条1項でいう「不法行為」にあたるとは言えない。

      (3) 本件の劉連仁に対する強制連行,強制労働に関する法律関係についての準拠法についての結論

      以上(1)及び(2)で述べたところから明らかなとおり,本件の劉連仁に対する強制連行,強制労働に関する法律関係については,法例11条の適用はないも のと解せざるを得ない。そして,本件訴訟が,被告の権力的作用に対する損害賠償請求訴訟であることからすると,前記1で認定したとおり,国際法あるいは国 際慣習法に基づく損害賠償が認められない以上,当時の日本の法体系のもとでそのような損害賠償請求が認められるか否かを決するほかはないというべきであ る。

      3 争点3(安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権の成否)について
      (1) 原告らの主張する安全配慮義務に関する主張が特定されていると言えるか。

      原告らは,被告が劉連仁の強制連行により発生した法律関係に付随した信義則上の義務として,(1)生命,健康を維持するに十分な食料を与え,(2)生命, 健康を維持していける程度の労働条件で働かせ,(3)健康を維持し人としての尊厳を保ち得るような衛生状態で暮らすことができるような住環境と衣服その他 衛生条件を整えるという最低限の義務を負うと主張する。

      この点に関して,被告は,安全配慮義務の主張にあたっては,生命,健康等を侵害されたとされる者ごとに,その結果が発生した具体的状況を明らかにした上 で,発生した結果との関係から,義務者がどのような結果が予見できたのか,どのような措置を講じていれば結果の発生を回避できたか,そして,義務者と被害 者との法律関係及び当時の技術やその他社会的な諸事情に照らし,義務者に対し,その結果の発生の防止措置を採ることを義務付けるのが相当であるかといった 点を判断するに足りる具体的事実を主張する必要があるところ,原告らの挙げる(1)ないし(3)の義務は,当時の技術やその他の社会的事情に照らした具体 的な内容ではなく,一般的概括的主張に止まるもので,それだけでは被告が採るべき具体的な措置内容が明確にされていないし,個別具体的な状況に則した主張 ということもできないと反論する。

      確かに,原告らの前記主張の部分のみを切り離してこれを見たときには,被告が主張するような反論もあり得るとは思われるが,前記の(1)ないし(3)の主 張自体は被告が原告らの主張の趣旨を要約したものに過ぎず,本件訴訟における原告らの主張を全体的に考察すると,原告らは,被告の国策として行われた劉連 仁の日本内地への強制連行とその後の昭和鉱業所での強制労働において,被告と劉連仁の間に昭和鉱業所での強制労働に関して特別な社会的接触の関係が生じた として,当該関係のもとで,昭和鉱業所での具体的な労働内容に照らし,その改善を図る義務が被告にあったとの主張をしていると見ることができ,既に原告ら が劉連仁の日本内地への強制連行とその後の昭和鉱業所での強制労働の実態につき詳細な主張をしていることも考慮すると,昭和鉱業所での労働内容に関し,そ の改善の内容や方法については,これを具体的に特定しなくても当然予想が可能と見る余地があり,被告の安全配慮義務違反に関する原告らの主張が,主張自体 特定を欠くとまでは言えないと考える。

      (2) 劉連仁の日本内地への強制連行と昭和鉱業所での強制労働につき,安全配慮義務の前提となる「特別な社会的接触の関係」があると言えるか。

      前記のとおり,原告らの主張は,一応主張自体は特定していると言えるので,進んで,被告の安全配慮義務違反について検討する。

      安全配慮義務とは,ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随的義務として当事者の一方又は双方が相手 方に対して信義則上負う義務であると解される(最高裁昭和50年2月25日第3小法廷判決・民衆29巻2号143頁参照)ところ,本件においては,劉連仁 の昭和鉱業所での強制労働に関する安全配慮義務が問題とされることからすると,上記「ある法律関係」に基づく「特別な社会的接触の関係」が存在すると言う ためには,当事者間に雇用契約等の契約関係ないしこれに準ずる法律関係が存在することが必要だと解するのが相当である(このような法律関係の存在が否定さ れる場合にも,特定人の安全を保護する一般的義務が課せられる場合があるが,かかる法律関係は,不法行為規範により規律されるべきものというべきであ る。)。そして,そのような関係に入った当事者間における上記義務は,使用者が被用者の業務遂行のために必要な施設若しくは器具等を設置管理し又は被用者 の勤務条件等を支配管理するに当たって,その施設,器具若しくは勤務条件等から生じる可能性がある危険の防止について負担する義務あるいはこれに準ずる義 務であると言えるから,その成立が認められるためには,使用者が設置管理する場所,施設,器具等を用いて被用者が勤務していること,あるいは,これと同視 できるような関係にあること,すなわち,使用者にあたる者が直接的,具体的に労務を支配管理していることが必要であると解するのが相当である。

      これを本件について見ると,前記認定の事実によれば,原告らが主張するように,劉連仁が昭和鉱業所において強制労働をさせられたことについては,そのよう な施策を被告が国策として推進したこと,劉連仁が昭和鉱業所において強制労働をさせられた際の華北労工協会と明治鉱業株式会社との間の労務提供契約の締 結,実施細目の決定には被告が関与していたこと,さらには,昭和鉱業所における労務管理についても,被告が後見的,包括的に関与していたことは,事実とし て認められるというべきである。

      しかしながら,被告と劉連仁との関係は,被告が国策により一方的に形成したものであり,被告は明治鉱業株式会社を通じて間接的に劉連仁の強制労働に関与し たものと見ざるを得ないし,被告と劉連仁の間に雇用契約等の契約関係あるいはそれに準ずる関係が生じたと認定することには無理があるというべきである。

      また,劉連仁は,昭和鉱業所において強制労働をさせられたのであるが,昭和鉱業所の施設,器具等は,明治鉱業株式会社が設置,管理していたものであり,劉 連仁の昭和鉱業所における労務を直接指揮監督し,衣食住の労働環境の整備,労働条件の設定を直接実施していたのは,明治鉱業株式会社の社員であることが認 められるから,劉連仁が強制労働をさせられた昭和鉱業所の施設,器具等の設置管理や劉連仁の労務管理を被告が行っていたと見ることにも無理があるというべ きである。

      そうであるとすれば,劉連仁の昭和鉱業所における強制労働については,被告と劉連仁の間に,雇用関係あるいはこれに準ずるような法律関係の存在は認められ ないし,被告が昭和鉱業所の施設,器具等を設置管理し,劉連仁の行った労務を支配管理していたものとも認められないから,結局,原告らの主張するような被 告の安全配慮義務は認められないものである。

      4 争点4(戦前の民法のもとでの被告の損害賠償責任の成否)について
      (1) 民法の不法行為責任の成否といわゆる国家無答責の原則の適用

      原告らは,被告が劉連仁を強制連行し,強制労働をさせたことについては,これが被告の権力的な作用であるとしても,その実質は,国民動員計画に組み込まれ た労働力の募集,使役行為であり,徴兵,徴用,刑罰としての懲役といった公権力の行使とは異なり,その法律関係自体は私法的な法律関係であると主張し,大 審院大正7年10月25日判決(大民録206頁)の考え方によれば,中国人の日本内地への移入は,国民総動員計画事業として閣議決定されたものであり,事 業そのものは国家行政作用であるが,同時にそこにおける閣議が決めた労働力の「募集」と「使役」という一連の行為は,同判決にいう「事業施行の為になす行 為」にほかならず,それ自体は,全く私人と対等の関係においてなす私的経済活動による行為であると主張する。

      しかし,前記認定のとおり,被告が劉連仁を強制連行し,強制労働をさせた事実が認められるとはいえ,そのことから,当時の法体系のもとで被告に対する民法 709条に基づく損害賠償請求権が発生するかという観点から見ると,当時の大日本帝国憲法には国家賠償に関する規定は存在せず,同憲法の下では,「行政裁 判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セス」(行政裁判法16条)とされ,国の賠償責任は,民事事件として通常裁判所が私法法規を適用し得る限度において認められて いたものであり,国の権力作用に属する行為が違法であることを理由とする損害賠償の請求は,特別の規定がない限り民法の不法行為の規定は適用されないとし て,判例上も認められなかったものと言わざるを得ない。すなわち,現行の国家賠償法施行以前においては,国の権力的作用に基づく行為による損害について は,一般的に国に損害賠償責任を認める法令上の根拠が存在しなかったのである。そして,本件における被告が劉連仁を強制連行し,強制労働をさせたことは, 前記認定の事実から明らかなとおり,日本政府が太平洋戦争の遂行に当たって採った国策であり,被告が劉連仁を強制連行し,強制労働をさせた行為自体は国の 権力作用に基づく行為にほかならないのである。そうであるとすれば,国家賠償法附則6条は,「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例 による」と規定しており,国家賠償法施行(昭和22年(1947年)10月27日)以前に生じた劉連仁に対する侵害行為について被告に損害賠償責任が生じ ると解することは困難である。

      なお,前記のとおり,原告らは,被告が劉連仁を強制連行し,強制労働をさせた行為につき,閣議決定自体とその遂行のための行為を切り離して,前者は国の権 力的作用であるが後者は私的経済行為であるかのごとく主張するが,これらは一連一体の行為と見るべきであって,これを切り離して評価すること自体に無理が あると言わざるを得ない。

      また,原告らは,被告が劉連仁を強制連行し,強制労働をさせた行為の残虐性,非人道性に照らし,これについて被告が責任を負わないとするいわゆる国家無答 責の法理を主張することが許されないとも述べる。しかしながら,いわゆる国家無答責の法理といってもその実質は,前述のとおり,損害賠償の根拠となる実体 法の規定を欠くというものであって,そのことを主張することの適否を問題にする余地はないというべきである。

      (2) ハーグ条約あるいは強制労働条約による国家無答責の法理の排除の成否

      原告らは,ハーグ条約や強制労働条約の国内法化によって,強制労働に関しては国家無茶責の法理は適用されないと主張する。

      この点に閣しては,前記認定のとおり,ハーグ条約や強制労働条約は,損害を被った個人に加書画に対する損害賠償請求権を付与したものとは認められないもの である。そして,ハーグ条約3条は,国家間での賠償義務を規定しているから,その適用を受ける国家はその限度でいわゆる国家無茶責の法理を放棄していると 見ることができるが,同条が予定する国際法の枠組みによる解決以外の方法により当該国家に対する請求がされた場合にまで,この法理を放棄したと見ることは できない。

      また,日本が昭和7年(1932年)に批准した強制労働条約は,自国民に対する強制労働も禁止していると解することはできるが,そのことから,具体的な実 体規定の手当てを経ずに当然に国家の権力的作用により強制労働を課せられた個人の国家に対する損害賠償請求権が発生すると解することは困難である。

      (3)外国人に対する国家無答責の法理の適用の可否

      原告らは,国家無答責の法理は,日本国家の管轄に属さない外国人には適用されないと主張する。

      この点に関しては,劉連仁が中国人であることは明らかであるが,前記のとおり,本件の劉連仁に対する強制連行,強制労働に関する法律関係については,当時 の日本の法体系のもとでそのような損害賠償請求が認められるか否かを決するほかはないというべきであり,国家無答責の法理といってもその実質は,当時の日 本の法体系のもとでは,国家の権力的な作用の行使として行われた劉連仁に対する強制連行,強制労働については,劉連仁個人の被告に対する損害賠償請求の根 拠となる実体法上の規定が存しないというものであることからすると,被害者の国籍を問う余地はないものというべきであり,前記原告らの主張は採用できな い。

      (4) 国家無答責の法理に関する原告らのその他の主張について

      以上のほか,原告らは,国家無答責の法理は本件には適用されないとして,(1)劉連仁に対する本件侵害行為の時点と本件裁判時において,国の賠償責任に関 する価値原理が180度変更しているにもかかわらず,結果的に現行日本国憲法の価値原理に真っ向から反する結論を導くことは法の解釈適用として許されな い,(2)被告に安全配慮義務違反が認められる以上,国家無答責の法理は適用されない,(3)日本における国家無答責の法理の実態は,実体法上明確な根拠 に基づくものではなく,単に司法裁判所の管轄外であるために司法裁判所としては適用法条を欠くという訴訟法上の理由であるところ,現在ではそのような訴訟 上の障害は除去された,(4)規定上旧法によるべき場合であっても,その適用が公序良俗に反することになるときには,時際法上の公序が発動され,結局旧法 は適用されないことになる,といった主張をしている。

      しかし,以下に述べるとおり,これらの主張は,いずれも理由がないものと言わざるを得ない。

      すなわち,(1)については,そのような解釈は独自のものであって,採用できないし,(2)については,既に述べたとおり被告による安全配慮義務違反の事 実自体が認められない。また,(3)については,国家無答責の法理の実態は,前記のとおり,国の権力的作用による損害については,国の損害賠償責任を認め る実体法上の根拠を欠くというものであり,原告らの主張は独自のもので採用できないし,(4)は国家賠償法附則6条の明文の規定に反する独自の見解であり 採用できない。

      5 争点5(戦後の救済義務違反に基づく損害賠償請求権の成否)について

      原告らは,被告による不法な強制連行と強制労働の結果,昭和鉱業所からの逃走を余儀なくされた劉違仁に対し,被告は,劉違仁を捜索,発見し,保護,送還す る義務(以下「救済義務」という。)を負っているにもかかわらず,これを怠り,劉違仁を北海道の原野に13年間放置して,筆舌に尽くし難い肉体的精神的苦 痛を与えたと主張し,第1に先行行為に基づく作為義務違反について国家賠償法に基づき,第2に国際法上の違法状態を解除すべき国際法上の義務違反に基づ き,さらに,第3に安全配慮義務違反に基づき損害賠償請求をしている。

      (1) 国家賠償法1条に基づく損害賠償請求権の成否

      ア 救済義務
      前記第4の4で認定したとおり,劉連仁が,昭和19年(1944年)9月に被告により強制的に中国山東省から青島経由で北海道に連行され,同年11月以降 昭和鉱業所で強制的に労働に従事させられたこと,劉連仁に対する北海道での強制労働の実態は,戦時下という特殊な状況を考慮しても,到底容認することので きない過酷なものであったこと,その結果,昭和20年(1945年)7月30日ころ,劉連仁は,他の中国人労働者4名とともに就労先からの逃走を余儀なく され,以後13年の長期にわたって北海道内での逃走生活を送り,筆舌に尽くし難い過酷な体験を強いられたことは事実として認められる。そして,原告らは, このような強制連行,強制労働という先行行為の存在を前提として,劉連仁が就労先からの逃走を余儀なくされ,以後13年の長期にわたって北海道内での逃走 生活を送り,筆舌に尽くし難い過酷な体験を強いられたことについて,被告に国家賠償法(昭和22年(1947年)10月27日に施行)1条に基づく損害賠 償責任があると主張する。

      この点に関しては,原告らは,被告が国家賠償法1条にいう違法行為を行ったことを主張するものであるところ,本件で原告らが違法行為であると主張している のは,被告が劉連仁を強制連行し,強制労働に服せしめたという先行行為を行いながら,一方で北海道内を13年にわたって逃走することを余儀なくされた劉連 仁個人に対する救済義務を怠ったという不作為である。そうすると,そのような不作為を違法と評価するためには,被告国の公務員に一般的にそのような作為義 務が認められることに加え,被告国の公務員においてそのような作為義務を怠ることによって,劉連仁の生命,身体の安全が確保されない事態に至るであろうこ とが相当の蓋然性をもって予測できたことが必要と解すべきである(最高裁判所第2小法廷昭和59年3月23日判決・民集38巻5号475頁参照)。

      なお,この問題に関し,被告は,さらにその前提として,被告の公務員に当該作為についての権限が認められる必要があると主張するが,本件が前記のような被 告自身による国策としての強制連行,強制労働という行為を前提とし,いわばその原状回復ともいうべき作為義務の存在を主張するものであることからすると, 事柄の性質上,あらかじめ当該公務員を特定し,あるいは権限を行使すべき部署を特定することを求めることは,無理な議論であって,被告がそのような救済義 務を負うか否かの判断の過程で,当該義務との関係で,そのような権限を行使するに相応しい部署を特定できれば足りると解すべきである。そこで,以下,その ような観点から,まず,被告が国家賠償法施行の時点で劉連仁に対する一般的な救済義務を負っていたと言えるかを検討する。

      イ 戦後,中国人労働者が中国に送還されるに至った経緯
      当裁判所に顕著な事実と証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

      (ア) ポツダム宣言の受諾と間接管理方式
      日本は,昭和20年(1945年)8月にポツダム宣言を受諾し,同年9月2日に,降伏文書に調印し,同年10月2日には,連合国軍最高司令部(GHQ)が 開設された。日本は,ポツダム宣言受諾後,昭和27年(1952年)4月28日に平和条約が発効するまで連合国の管理下に置かれていた。そして,占頷下の 日本の行う諸政策は,連合国司令官の発する指令,覚書等に沿い,直接的には,国会の制定する法律あるいは政策等により実施されるという間接管理方式による こととされていた。

      (イ) 降伏文書による被告への命令
      ポツダム宣言10条を受けた降伏文書によって,被告(日本政府及び日本大本営)は,現に日本国の支配下にある一切の連合国ふ虜及び被抑留者を直ちに解放 し,その保護,手当て,給養及び指示された場所への即時輸送のための措置を採ることを命じられた。そして,被告は,連合国司令官に対して命令受領後遅滞な く一切の連合国ふ虜及び被抑留者の所在を示す完全なる表を提供することを求められた(一般命令第1号日木陰,海軍ー第9項(二))。(甲123,乙7,弁 論の金趣旨)

      (ウ) 被告による通牒

      被告は,昭和20年(1945年)8月17日,内務省主管防諜委員会幹事会において次のように実行するように申し合わせ,関係者に通牒した。

      「華人労務者の取扱
      華人労務者に就ては次の措置を採ること

      (1)全員帰国せしむること
      此の場合約3万3千名に付海軍又は運輸省方面と船腹交渉を為し併せて運送経路に付考究し置くこと

      (2)全員帰国不能の場合一部を帰国せしむること
      此の場合金就労事業場別に警備上の見地に於て帰国順位を決定すること
      之が為当面採るべき措置次の如し
      (イ)死者の遺骨遺品の整理,慰霊祭執行
      (ロ)賃金の精算,契約不履行事項の実施
      (ハ)其他送出準備の定整
      尚差当り帰国如何に拘らず採るべき措置次の如し

      1. 作業続行を中止し現在地に於て保護収容すること
      2. 華人労務者に対しては契約に依る賃金,衣食を給し可及的処遇改善を図ること
      3. 華人労務者に対する危害,暴行を厳に戒めー方傷病者の看護に意を用ふること
      4. 日華指導員は当分の間現状の値とすること
      5. 犯罪容疑を以て留置取調中の者は釈放すること
      6. 特に此の際警備を強化すること
      7. 北海道いとむか特別収容所収容華人労務者は之を他に転換収容の方途を講ずること」(甲123)

      (エ)厚生省の役割
      終戦直後,中国人等の引揚援護に関する業務は,関係各省がそれぞれ実行していたが,GHQの指示により関係政府機関が協議した結果,昭和20年(1945年)10月18日,厚生省が引揚げに関する中央責任官庁に決定された。

      厚生省は,「引揚援護」,「戦傷病者,戦役者遺族,未帰選者留守家族等の援護」,「旧陸海軍に属していた者の復員その他の旧陸海軍の残務整理」を一体的に 遂行する責任を負うとされ(厚生省設置法4条2項),「内地から内地以外の地域に引き揚げる者に対する応急救護を行うこと」が厚生省の所管事務に定められ た(昭和58年法律第78号による改正前の厚生省設置法14条の3第2号)。

      以降,昭和20年(1945年)10月27日,厚生省社会局福利課が,同年11月22日からは同社会局引揚援護課が在日外国人の送還援護業務を担当するこ とになり,その後,引揚援護院,引揚援護庁を経て,厚生省社会援護局,厚生労働省社会・援護局が上記業務を所管している。(乙8,弁論の全趣旨)

      (オ) GHQ基本指令
      中国人等の引揚げに関して,昭和20年(1945年)11月から,GHQの指令が相当多数発令された。GHQは,同月17日,厚生省に対しても,帰国する 在日外国人の受入事務所への移動計画の立案,帰還計画の策定,帰選者に対する食料の給付などの命令を行い,終局的には,上述のとおり,厚生省が在日外国人 を本国に送還することについての中心的役割を担うことになった。

      これらの指令を整理し,引揚げに関する各般の問題に統一的総合的な法的基準を設定するため,昭和21年(1946年)3月16日,GHQにより,「引揚に 関する覚書」が発令された。さらに,同覚書は,同年5月7日に全般的な改訂が加えられ,これが引揚げに関する基本指令となった。

      上記覚書附属書H第1項には,「日本政府より,引揚関係事項の取扱を指令された厚生省は,次に掲げる事項を実施しなければならない。」とされ,同項bにお いて,「指定港に収容所を設置し,次の事項を実施すること。(2) 附属書第三に略述してある在日本外国人の集合,処理,看護及び乗船」と規定されていた。

      そして,同附属書三は,日本国外への引揚げについての計画が指示されているが,その計画の概要は,引揚げを希望する在日外国人に引換希望の登録をさせ,引 揚人収容所への移動に対して日本政府の計画に従うことを拒否する外国人は,引揚げに対する特権を失う,と規定されるとおり,引揚計画に従い帰国を希望する 者を本国に送還するというものであった。(甲1の2,乙10,乙11)

      (カ) 昭和25年(1950年)11月9日,GHQは,「非日本人の引揚に関する覚書」を発令し,同日以降非日本人の引揚げは,日本政府の責任ではなく,本人の自費出国とすることとされた。

      その後,中国政府の要請を受け,昭和28年(1953年)6月5日,日本政府は,外務,運輸,法務,厚生各大臣の了解事項として,「在日華人のうち,帰国 を希望する者の送還については,できるかぎり援護すること」と決定し,その送還業務を日本赤十字社に委託した。この送還は,同年6月27日から昭和33年 (1958年)6月29日までの間14回にわたり実施された(乙9,乙12,乙13)。

      ウ 被告の劉連仁に対する救済義務の有無
      以上イで検討した事実経過によれば,ポツダム宣言受諾後,連合国軍司令官の間接管理方式の下にあった被告は,終戦直後に調印した降伏文書により,現に日本 国の支配下にある一切の連合国ふ虜及び被抑留者を直ちに解放し,その保護,手当て,給養及び指示された場所への即時輸送のための措置を採ることを命じら れ,そのためのこれらの者の所在を示す表の作成も命じられていたのである。そして,一方で,昭和17年閣議決定による行政供出の方法によって,太平洋戦争 の遂行という目的のために,国策として,その意思に反して強制的に日本国内に連行され,強制的に労働に従事させられた者については,降伏文書に調印するこ とによって,これらの者を強制連行した目的自体が消滅したと言えることからすると,被告は,降伏文書の調印とそれに伴う強制連行の目的の消滅によって,事 柄の性質上当然の原状回復義務として,強制連行された者に対し,これらの者を保護する一般的な作為義務を確定的に負ったものと認めるのが相当である。

      そして,このことは,その性質は内部的な申合せであり,そのもの自体から具体的な作為義務が生ずるとまでは認められないとはいえ,前記のとおりの具体的な 中国人労働者の取扱いに対する通牒が発せられ,そこで全員の帰国を第一に挙げていること,GHQが,昭和20年(1945年)11月17日,厚生省に対し て中国人労働者の故国への送還を命じ,その後昭和21年(1946年)3月16日には「引揚に関する覚書」が発令されていること,さらには,被告 は,GHQの定めた基本指令による引揚計画に従い,帰国を希望する者を本国に送還することを援護することを命じられ,「内地から内地以外の地域に引き揚げ る者に対する応急救護を行うこと」が厚生省の所管事務として定められたことなどからも裏付けられるというべきである。

      なお,この点に関し,被告は,在日外国人の送還については,GHQの指令に基づき,昭和25年(1950年)11月9日までは日本政府の責任で行われてい たが,これは基本指令に定める引揚計画に従い帰国を希望する者を本国に送還するという援護業務(以下単に「援護業務」という。)として行われたものであ り,GHQの指令によって行われた在日外国人の送還については,日本政府には基本指令以上に在日外国人を捜索,発見し,保護,送還すべき義務はなかったと 主張するが,劉連仁のように被告の手によって強制的に日本に連れてこられた者については,その希望の確認ないし帰国の援護の当然の前提として,被告にこれ らの者をあらかじめ保護する義務があったと見るべきであり,上記被告の主張は採用できない。

      また,このような救済義務は,上記のとおり被告が国策として行った強制連行,強制労働の目的消滅と降伏文書の受諾によって条理上当然に生じた義務であると いう特殊性に照らし,当初は,その所管が必ずしも明確とは言えなかったものであるが,前記認定のとおり,昭和20年(1945年)10月18日,厚生省が 引揚げに関する中央責任官庁に決定されたことにより,その所管となり,国家賠償法施行の時点では厚生省の援護業務の担当部局の職員が劉連仁に対する救済義 務を負っていたものと認めるのが相当である(この点に関し,厚生省設置法の規定には,このような強制連行した中国人を捜索,発見,保護する作為義務が法令 で明文で定められていないが,厚生省の援護業務担当部局の職員がこのような作為義務を負ったと認めることは,前記のような本件作為義務の特殊性を考慮し た,いねば解釈による擬制であり,法令に明文の規定がないことや,実際にそのような業務を行った実績がないといったことによって上記認定が左右されるもの ではないと考える。)。

      エ 被告において劉連仁を保護する作為義務を怠ることにより,劉連仁の生命,身体の安全が確保されない事態に至ることが相当の蓋然性をもって予測できたと言えるか。

      前記のとおり,被告は,降伏文書に調印して以降は,強制連行された者を保護する一般的な作為義務を負っていたものと認められるところ,劉連仁については, 前記認定のとおり,強制連行された就労先から逃走を余儀なくされ,以後13年にわたって北海道内での逃走生活を送った結果,筆舌に尽くし難い過酷な体験を し,常に生命,身体の安全が脅かされていたことが明らかである。そこで,国家賠償法が施行された時点で,劉連仁を保護する一般的な作為義務を負っていたと 認められる被告の厚生省の援護業務担当部局の職員がそのような事態を相当の蓋然性をもって予測することができたと言えるかについて検討する。

      この点に関しては,前記認定のとおり,被告自身が劉連仁を強制的に日本国内に連行し,強制的に北海道の昭和鉱業所での労働に従事させたものであること,同 所での労働条件は過酷なものであり,被告もそのことは承知し得たものであること,劉連仁の逃走は,同所での労働が強制されたものであり,労働条件が過酷で あったことの結果であり余儀ないものであったことに加え,証拠(甲1の2,甲3の1,2,甲14,甲16)によれば,外務省管理局は,昭和21年 (1946年)初頭より,中国人労働者を使用した135の事業所すべてに対し,中国人労働者の移入,使用,送還状況等の調査を命じ,「華人労務者就労顛末 報告書」(以下「事業場報告書」という。)を作成させ,さらに現地事業所に調査員を派遣して現地調査報告書を作成させ,上記2通の報告書をもとに外務省管 理局自ら外務省報告書を昭和21年3月1日付けで作成したこと,明治鉱業株式会社昭和鉱業所が作成した事業場報告書には,「2月末日残留状況 昭和20年 7月30日午前1時ころ逃走せる労工5名捜索中なるも発見せす現在残留せるものと思はる」との記載があり,同報告書附表4「個人別就労経過調査表」の劉連 仁(記載は,「劉連戸」とされている。)の欄には,「逃走不明」との記載があり,外務省報告書の第1分冊の「残留者名簿」にも,劉連仁が昭和20年7月 30日に脱走し,昭和21年2月末日時点及び同年3月以降行方不明である旨の記載があることが認められ,これらの事実によれば,被告(外務省の担当者) は,外務省報告書を作成した時点で,劉連仁が北海道内で逃走し,行方不明となっていることを知っていたものと認められる。

      以上の事実によれば,公文書である外務省報告書や事業場報告書にも劉連仁の逃走に関する経緯が記載されており,被告の外務省の担当者は,劉連仁の逃走の事 実を知っていたと認められるから,被告が自ら国策として行った強制連行,強制労働に由来し,その原状回復義務ともいうべき性格を有する本件救済義務の特殊 性に照らすと,戦後の混乱期という特殊事情を考慮してもなお,国家賠償法が施行された時点では,劉連仁を保護する一般的な作為義務を負っていたと認められ る被告の厚生省の援護業務担当部局の職員は,劉連仁が逃走を余儀なくされた結果,その生命,身体の安全が脅かされる事態に陥っているであろうことを相当の 蓋然性をもって予測できたものと認めるのが相当である。

      オ 被告が劉連仁に対する保護義務を怠ったことと劉連仁の被った被害の相当因果関係について検討する。

      この点に関しては,前記認定のとおり,被告の厚生省の援護業務担当部局の職員は,劉連仁が4名の中国人労働者と逃走したことを知り得たものであるし,その 後劉連仁と共に逃走した4名が昭和21年(1946年)4月までに次々と発見され,中国に送還されていることからしても,これらの者から事情を聴取するな どし,あるいは警察力等の援助を得ることによって,早期に劉連仁を保護することができた可能性を否定することはできないから,前記劉連仁に対する保護義務 の僻怠と劉連仁が北海道内を逃走することによって被った被害の間には相当因果関係を肯定できるというべきである。

      カ 損害賠償請求権の成否に関する小結論
      以上のとおりであって,昭和22年(1947年)10月27日に国家賠償法が施行された時点では,被告の厚生省の援護業務担当部局の職員は,劉連仁を保護 する一般的な作為義務を負っていたと認められるし,劉違仁が強制労働の現場から逃走を余儀なくされた結果,その生命,身体の安全が確保されない事態に至っ ているであろうことを相当の蓋然性をもって予測できたものとも認められるから,そのような被告の厚生省の援護業務担当部局の職員の不作為は,国家賠償法1 条のもとでの公務員による違法行為と評価せざるを得ないものである。そして,そのような被告の公務員の違法行為と劉違仁が被った損害の間には相当因果関係 も認められるというべきである。

      (2) 劉連仁につき国家賠償法6条でいう相互保証があると言えるか。

      国家賠償法6条は,外国人が被害者である場合は,相互の保証があるときに限り国家賠償法を適用すると規定している。

      劉連仁及びその相続人である原告らは,中華人民共和国の国籍を有する外国人であるところ,中華人民共和国の国家賠償法においても,我が国の国家賠償法1条 と同旨の規定がある。すなわち,中国国家賠償法2条は,「国家機関及びその公務員が違法に職務を行使することによって公民,法人及びその他の組織の法律上 の権利利益を侵害して損害を生じさせた場合には,被害者は,この法律の定めるところにより,国家賠償を受ける権利を有する。」と規定し,損害賠償の対象と なる侵害行為につき人身権又は財産権にかかわるものを列挙しているが(同法3条,4条),本件被告の行為は,同法3条の人身権の侵害行為に該当し,損害賠 償の対象となると解釈できる。さらに,同法33条では,相互保証主義の規定が設けられている。

      したがって,同法第4章において,賠償方式及び計算基準につき,日本の国家賠償法にない制限規定を設けており,慰謝料請求権が認められないと解する余地が あるとしても,そのことをもって,中華人民共和国との間では相互保証が認められないと解するのは相当ではないから,本件についても国家賠償法6条の相互の 保証があるときに該当すると解するのが相当である。

      6 争点6(民法724条の適用の有無)について

      前記認定のとおり,劉違仁は昭和33年(1958年)2月9日に保護されたことが認められる。そうすると,原告らが主張する前記救済義務違反に基づく被告 の違法行為は,同日以前のものであるから,この違法行為から劉違仁による本訴提起(平成8年(1996年)3月25日)までに既に20年を超える年月が経 過していることが明らかである。

      そして,国家賠償法4条は,民法724条後段の規定も準用しており,国家賠償法に基づく賠償責任についても,違法行為の時から20年を経過した時には消滅 するとされているから,本件被告の責任についても,違法行為時から20年の経過をもって消滅するかが問題となる。

      この問題に関しては,原告は,(1)国家賠償法4条が準用する民法724条後段の規定は,時効期間を定めたものであり,被告による時効の援用がない以上被 告の責任は存続している,(2)民法724条後段の規定は,除斥期間を定めたものと解されるとしても,期間の起算点は,平成7年(1995年)3月9日と 解すべきである,(3)本件事案の特殊性を考慮すると,民法724条後段の規定の適用は制限されるべきである,と主張するので以下検討する。

      (1) 民法724条後段の規定は時効期間を定めたものか除斥期間を定めたものか。

      この点に関しては,判例と学説に顕著な対立があり,原告らの主張するように,民法724条後段の規定は時効期間を定めたものであるとする有力な学説があることも事実である(甲27,甲28参照)。

      しかしながら,民法724条後段の規定の解釈としては,これを除斥期間と解すべきものであり(最高裁判所平成元年12月21日第1小法廷判決・民集43巻12号2209頁参照),これに反する原告らの主張は採用できない。

      (2) 本件における除斥期間の起算点を平成7年(1995年)3月9日と解することができるか。

      この点に関しては,原告らは,(1)除斥期間の起算点及び時効停止規定の準用については,事実上,法律上の権利行使可能性を考慮して決定されるべきであ り,これを本件に当てはめれば,まず,平成7年(1995年)3月9日,中国の全国人民代表大会で銭其貳外相が,対日戦争賠償問題について,昭和47年 (1972年)の日中共同声明で放棄したのは国家間の賠償であって,個人の賠償請求は含まれないとの見解を示し,補償の請求は国民の権利であり,政府は干 渉すべきでないとした発言によって,初めて原告の権利行使可能性が生じたのであり,この時点を時効,除斥期間の起算点と考えるか,それまでは期間の進行な いし完了は停止すると考えるべきである,(2)昭和53年(1978年)10月23日の日中平和友好条約締結までは,日中両国は戦争状態にあったのである が,サンフランシスコ平和条約付属議定書

      「B 時効期間」第1項において,「人又は財産に影響する関係で,戦争状態のために自己の権利を保全するのに必要な訴訟行為又は手続をすることができな かったこの議定書の署名国の国民にかかるものについて訴の提起又は保存措置をする権利に関するすべての時効期間又は制限期間は,この期間が戦争の発生前に 進行し始めたか又は後に進行したかを問わず,一方日本国の領域において,戦争の継続中その進行を停止されたものとみなす。これらの期間は,本日署名された 平和条約の効力発生の日から再び進行し始める。」

      と規定されているが,これは,戦争状態にある間は,その当事国の国民が相手国側に対し自己の請求権を行使することは不可能なので,戦争の継続中(すなわち 平和条約発効までの間)は,時効又は制限期間が進行しないという法理を確認的に規定したものであるから,本件でも,日中平和友好条約が締結された昭和53 年(1978年)10月23日まで,本件損害賠償請求権に関する除斥期間は進行しなかった旨主張する。

      しかしながら,民法724条後段の20年の除斥期間の起算点が不法行為時であることは,条文の文言上明らかであり,また,「損害及ヒ加害者ヲ知りタル時」 を起算点とする同条前段の規定と対比すると,同条後段の「不法行為ノ時」につき権利行使可能性の観点から解釈することはできないと言わざるを得ない。

      また,民法上の時効停止規定(民法158条ないし161条)は,時効完成の際に一定の事由がある場合に限り,その事由の存在する期間中及びその事由消滅後 法定の期間内に時効の完成を妨げる規定であるところ,本件において原告が主張する権利行使の困難性は,上記時効停止の各規定に定める一定の事由に該当する とは言えないし,除斥期間の性質とその意義に照らせば,劉連仁の法意識,経済状況,あるいは中国国内における政策的な事情はもとより,日本との国交正常化 がなされていなかった等の事情についても,これが除斥期間の進行を妨げる理由にはならないというべきである。

      (3) 本件において除斥期間の適用を制限すべきか。

      原告らは,除斥期間説を採用しながらも,一定の要件のもとに除斥期間の適用制限を認めた最高裁判所平成10年6月12日第2小法廷判決(民集52巻4号 1087頁,以下「平成10年判決」という)の趣旨について言及し,除斥期間の適用制限の要件につき,平成10年判決は,権利者の一切の権利行使が許され ないとし,加害者が賠償義務を免れる結果となることが「著しく正義,公平の理念に反する」と認められ,適用を制限することが条理にかなうと考えられる場合 という要件を提示したものであり,かかる要件が基礎にすえられるべきであるとする。そして,本件については,(1)本件不法行為の残虐性と被害の重大性, (2)本件不法行為,損害賠償義務の存在の明白性,(3)被告による権利行使の妨害,(4)原告の権利行使の不可能性,(5)被告の地位と義務者保護の不 適格性の各具体的事実を挙げた上で,本件につき,20年の経過という一事をもって,原告らの請求権を否定することが,著しく正義と公平の理念に反すること は明瞭であり,除斥期間の適用を制限しなければ条理に沿わないと主張する。

      これに対し,被告は,民法724条後段の除斥期間の規定は,不法行為の被害者に対して可及的速やかに救済を求めさせ,法律関係を早期に確定させようとする ことが法の意図するところであり,平成10年判決も,民法724条後段の規定を除斥期間を定めたものと解釈した平成元年判決を引用して,「除斥期間の主張 が信義則違反又は権利濫用であるという主張は,主張自体失当である」と判示しており,不法行為を原因として心神喪失の状況にある者について,民法158条 の条項の法意を援用して限定的にその例外を認めたものに過ぎず,その適用の範囲は極めて狭いものというべきである,と主張する。

      この問題に関しては,除斥期間の規定が不法行為を巡る法律関係の速やかな確定を意図しているものであり,基本的には20年という時間の経過という一義的基 準でこれを決すべきものであることは否定できないというべきである。しかしながら,このような除斥期間制度の趣旨の存在を前提としても,本件に除斥期間の 適用を認めた場合,既に認定した劉違仁の被告に対する国家賠償法上の損害賠償請求権の消滅という効果を導くものであることからも明らかなとおり,本件にお ける除斥期間の制度の適用が,いったん発生したと訴訟上認定できる権利の消滅という効果に直接結び付くものであり,しかも消滅の対象とされるのが国家賠償 法上の請求権であって,その効果を受けるのが除斥期間の制度創設の主体である国であるという点も考慮すると,その適用に当たっては,国家賠償法及び民法を 貫く法の大原則である正義,公平の理念を念頭に置いた検討をする必要があるというべきである。すなわち,除斥期間制度の趣旨を前提としてもなお,除斥期間 制度の適用の結果が,著しく正義,公平の理念に反し,その適用を制限することが条理にもかなうと認められる場合には,除斥期間の適用を制限することができ ると解すべきである(なお,平成10年判決は,除斥期間の適用が信義則違反あるいは権利濫用であるという主張は,主張自体失当としているが,これは除斥期 間と解する以上当然の結論であると考えられ,このことと,上記のように裁判所が,判断の過程で制度の適用の可否を検討することとは何ら矛盾,抵触しないも のである。)。

      そこで,以上のような観点から本件を見ると,次のように言える。

      まず,その前提となる事実関係については,前記認定のとおり,本件損害賠償請求権の対象とされる被告の行為は,被告が前記劉連仁に対する救済義務を怠った 結果,劉連仁をして13年間にわたる北海道内での逃走を余儀なくさせたことにあるが,その原因は被告が国策として決定し実行した劉連仁に対する強制連行, 強制労働に由来するものであること,被告の外務省は,中国人労働者の日本への移入に関し,昭和21年(1946年)に全国135の事業場に事業場報告書の 作成を命じ,調査員を事業場に派遣し現地調査報告書を作成させ,これをもとに外務省報告書を作成し,その結果,劉連仁が強制連行され昭和鉱業所での強制労 働に従事させられ,それに耐えかねて逃走した事実は明らかになっていたと言えること,昭和33年(1958年)2月,劉連仁は13年ぶりに北海道内で発見 され保護された後,被告に対して謝罪と損害の賠償を要求したこと,同年3月,劉違仁の問題が衆議院外務委員会で取り上げられたが,被告の首相及び政府委員 は,劉連仁が昭和鉱業所で稼働していた事実と外務省報告書の存在は認めたものの,報告書については,現在外務省に残っておらず,事実関係を確認できないと の答弁に終始し,結局劉連仁の強制連行,強制労働の事実を認めず,その結果劉連仁は損害の賠償を得られなかったこと,外務省報告書とその関係書類は,平成 5年(1993年),東京華僑協会に保管されていることが明らかになり,その存在と内容が一般に知られるに至ったこと(甲83,甲98の1,2),

      以上の事実が認められる。
      そして,以上の事実,特に,昭和33年(1958年)2月,劉連仁から被告に対し,被告が国策として行った強制連行,強制労働とこれに由来する13年の逃 走生活についての損害の賠償の要求がなされた時点で,被告の担当部局において,既に国策として行った強制連行,強制労働の行為によって劉連仁に重大な被害 を与えたことが明らかにされている公文書を作成していたにもかかわらず,その所在が不明との理由で,詳しい調査もせずに劉連仁からの要求に応ぜず,その結 果,劉連仁を損害の賠償を得られないまま放置し,その後外務省報告書の存在が判明したことによって事実関係が明らかになり,本件の提訴に至ったという事実 経過に照らすと,被告は,自らの行った強制連行,強制労働に由来し,しかも自らが救済義務を怠った結果生じた劉連仁の13年間にわたる逃走という事態につ き,自らの手でそのことを明らかにする資料を作成し,いったんは劉連仁に対する賠償要求に応じる機会があったにもかかわらず,結果的にその資料の存在を無 視し,調査すら行わずに放置して,これを怠ったものと認めざるを得ないのであり,そのような被告に対し,国家制度としての除斥期間の制度を適用して,その 責任を免れさせることは,劉連仁の被った被害の重大さを考慮すると,正義公平の理念に著しく反していると言わざるを得ないし,また,このような重大な被害 を被った劉連仁に対し,国家として損害の賠償に応ずることは,条理にもかなうというべきである。よって,本件損害賠償請求権の行使に対する民法724条後 段の除斥期間の適用はこれを制限するのが相当である。

      7 損害賠償の額について

      前記第4の4の(5) で認定した劉連仁の逃走から発見までの経緯に照らすと,この間に劉連仁が被った精神的苦痛の程度は筆舌に尽くし難い過酷なものであったことは明らかであ り,これに本件に顕れた一切の事情を考慮すると,被告が劉連仁に対する前記救済義務を怠った結果,劉連仁が被った精神的損害を慰謝するための金額 は,2000万円を下回ることはないというべきである。

      第7 結論

      以上の認定説示から明らかなように,本件訴訟は,太平洋戦争下での労働力不足の解消のためとられた国策である中国人労働者の日本内地への移入に関し,中国 人である劉連仁が,行政供出の名目で,その意思に反して強制的に日本国内に連行され,北海道の昭和鉱業所において強制労働に従事させられ,これに耐えかね て逃走し,その後北海道内で13年にわたる過酷な逃走生活を余儀なくされたことを理由として,被告である日本国に対し,これらの日本国の行為によって被っ た損害の賠償を求めた事案であり,いわゆる戦後補償裁判である。

      そして,被告による劉連仁に対する強制連行,強制労働の実態は前記第4の4で認定したとおりであって,これによって劉連仁が多大の被害を被ったことは明ら かであるが,前記第6の1ないし4で既に検討したとおり,当時の法体系のもとでは,強制連行,強制労働による被害そのものを実体法上の損害賠償請求権とし て構成することは困難であり,当該被害に対する損害の賠償を認めることはできないと言わざるを得ない。

      しかし,また一方で,本件訴訟は,原告らの訴状にも指摘されているとおり,劉連仁が北海道内で13年の長期にわたる逃走生活を送ったことに関し,被告によ る国家賠償法施行後の救済義務の不履行による違法が問われた点で,他の戦後補償裁判とは異なる際立った特徴を持つものである。

      この点に関し,本件訴訟の最大の争点は,被告に原告ら主張のような救済義務が認められるかということと,そのような救済義務違反に基づく損害賠償請求権が 認められるとしても,これが国家賠償法で準用される民法724条後段の除斥期間の適用により消滅したと言えるかである。これらの問題については,前記第6 の5及び6で既に述べたとおり,当裁判所としては,劉連仁については,被告が救済義務を怠った不作為の違法を理由とする損害賠償請求権が認められると考え るものであり,さらに,既に認定したような本件事案の特殊性に照らすと,民法724条後段の規定の適用は,本件においては制限すべきものと言わざるを得な いのである。

      そうであるとすれば,劉違仁の死亡により,同人を相続した原告らについては,主文のとおりの損害賠償請求権が認められることは明らかである。よって,原告 らのその余の主張について判断するまでもなく,原告らの請求は理由があるから,これを認容することとし,主文のとおり判決する。

      東京地方裁判所民事第14部
      裁判長裁判官  西岡 清一郎
         裁判官  金子 修
         裁判官  宮崎 拓也
      

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