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731部隊・南京大虐殺・無差別爆撃事件訴訟東京高裁判決文

平成17年4月19日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官 関口香織
平成11年(ネ)第5767号損害賠償請求控訴事件(原審 東京地方裁判所平成7年(ワ)第15636号) (口頭弁論終結の日 平成16年7月29日)

判決

当事者の表示 別紙「当事者目録」記載のとおり(略)

主文

  1. 本件控訴をいずれも棄却する。
  2. 控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実及び理由
第1 控訴の趣旨
  1. 原判決を取り消す。
  2. 被控訴人は,
    1. 控訴人李秀英に対し,2000万円,
    2. 控訴人王金淑,同王国屏,同王亦兵,同王桂蘭,同王玉佐及び同王玉孔に対し,各333万円,
    3. 控訴人王慧敏に対し,2000万円,
    4. 控訴人郭敏?に対し,2000万円,
    5. 控訴人高熊?に対し,2000万円
    並びに右各全員に対する平成7年9月28日から支払済みまで年5分の割合による金員をそれぞれ支払え。
  3. 訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。
  4. 仮執行宣言
第2 事実の概要

1 本件は,中国国民である控訴人らが,被控訴人に対し,旧日本軍の戦時における行為による損害の賠償を求めるものである。控訴人らは,自ら又はその配偶 者その他の肉親らが,昭和12年(1937年)7月ころから昭和20年(1945年)8月ころまでの間に(以下「本件当時」という。),中国大陸におい て,旧日本軍の構成員から,強姦未遂,拷問,捕虜虐待,人体実験,無差別爆撃等の非人道的で残虐な加害行為(以下「本件加害行為」という。)を受け,著し い精神的苦痛を被ったとして,陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約(以下「ヘーグ陸戦条約」という。)3条若しくはこれを内容とする国際慣習法に基づき,又は法例 11条1項を介して適用されるとする本件当時の中華民国民法に基づき,被控訴人に対して損害賠償を求める権利を有する旨主張し,慰謝料として,控訴人李秀 英,同王慧敏,同郭敏?及び同高熊?にあっては各2000万円,控訴人王金淑,同王国屏,同王亦兵,同王桂蘭,同王玉佐及び同王玉孔にあっては各333万 円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日(平成7年9月28日)から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。

原審は,控訴人らの本件請求をいずれも棄却し,これに対し,控訴人らが本件控訴の申立てをした。

2 当事者の主張は,次のとおり訂正し,又は付加するほか,原判決「事実及び理由」欄の「第二 事案の概要」二及び三に記載のとおりであるから,これを引用する。

ただし,原判決229頁5行目の「二月」を「一二月」に,259頁10行目の「知った」を「失ったことを知った」に,267頁6行目の「戦戦」を「戦線」 に,268頁9行目の「放棄」を「法規」に,286頁12行目の「苦戦」を「空戦」に,287頁11行目の「既存」を「毀損」に,同13行目の「車等的」 を「軍事的」に,290頁3行目の「所ノ」を「所次ノ」に,同五行目の「ニ」を「並ニ」に,291頁11行目の「田」を「董田」に,297頁15行目の 「六」を「五」に,317頁9行目の「甲第一〇七考証」を「甲第一〇四号証」に,322頁11行目の「取得婿」を「取得無効」に,337頁12行目の「九 〇代」を「九〇年代」にそれぞれ改め,339頁14行目「おり,」を削り,340頁3行目の「範囲は,」を「範囲及び」に,343頁9行目の「公務所属国 法説」を「公務員所属国法説」,494頁未行の「国際強調主義」を「国際協調主義」にそれぞれ改める。

(控訴人らの当審における主張)
(1)国際法による請求について

戦争被害者個人が国際法において損害賠償の主体となりうることについて,ヘーグ陸戦条約3条を解釈するに当たり,戦争観の転換,戦争法違反に対する個人の 処罰化,国際人道法の生成等の国際法の発展を踏まえるべきであるにもかかわらず,原判決は,同条の解釈において,これらの認識を欠き,同条約が交戦法規と しての性質を有することも看過しているから,同条約が交戦法規としての性質を有すること等について,以下のとおり,主張する。

ア 戦争法違反について,特に第二次世界大戦後,戦争犯罪人を厳重処罰すべきことが提唱され,従来の戦時犯罪のほかに「平和に対する罪」や「人道に対する 罪」という新しい戦争犯罪類型が生まれ,これらの違反行為に対しては国家機関の地位にある者であっても個人に責任を負わせることとなった。その趣旨 は,1950年国際法委員会の作成したニュルンベルク諸原則や1954年に同委員会の採択した「人類の平和と安全に対する犯罪の法典案」等によっても認知 され,さらに,国連安全保障理事会は,1993年5月に,旧ユーゴスラビアの国内武力紛争に伴う非人道的行為に対して個人の刑事責任を追及するための刑事 裁判所を設立することとし,国際法違反を犯した者に対して刑事責任を課すことが定着し,1998年に採択された国際刑事裁判所規程は,同裁判所に戦争犯罪 等について実行者個人を裁く権限を付与するとともに,被害者に対する賠償に関する原則を規定するに至っている。また,第一次大戦における未曾有の戦争被害 等の状況を踏まえて,交戦国の個人が敵国政府の押収,挑発等の措置によって被った損害について,被害者自らが本国政府の仲介を経ずに直接に混合仲裁裁判所 に損害賠償の訴えを提起することが認められたことも,戦争被害者に国際法上の主体性があることを明らかにするものである。

イ ヘーグ陸戦条約3条は,その文言において,軍隊構成員が,条約付属書である陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則(以下「ヘーグ陸戦規則」という。)に違反する 一切の行為について,当該軍隊構成員の所属国が賠償責任を負うことを明らかにしたもので,軍隊構成員の行為がどのような資格において行われたものであって も,「其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行為」について責任がすべて国家に帰属するとされているのであって,一般国際法の枠を超えた規定になっている。

ウ ヘーグ陸戦条約3条に基づく賠償請求主体に被害者たる個人も含まれると解されることは,同条において,軍隊構成員によるヘーグ陸戦規則違反を治癒する 態様について,締約国に支払を要求する概念として,「賠償(compensation)」を用い,原状回復,陳謝,責任者処罰などをも射程に入れた 「reparation」という国家責任解除のための伝統的な語を用いていないことからも明らかである。また,同条は,一般国際法にあっては,「相当な注 意(due diligence)」が国家によって払われなかったときに私人の行為を契機として国家に責任が発生するとされているが,そのような注意義務を要求するも のではなく,国家の側に「過失」があることも求めずに,行為時の資格にかかわらず軍隊構成員の一切の行為を国家に帰属させることで,極めて広範な責任帰属 の範囲を設定している。これらは,ヘーグ陸戦条約3条の背後に,国家責任法理一般ではなく,個人の保護を念頭に入れた交戦法規の法理が控えていることを示 している。

エ ヘーグ陸戦条約は,陸戦の法規慣例を扱うものである以上,同条約3条も,伝統的な国家責任法理一般によって彩られているというよりは,むしろ,国際法 の一分野として特殊な法制度を発展させてきた交戦法規の法理を体現しているとみる方が適切である。ヘーグ陸戦条約が「交戦者相互間ノ関係及人民トノ関 係」(前文2段)を念頭において作成されたのは,交戦法規が,国家と国家の関係のみならず,国家と個人の関係をも規律の対象に取り込み,その長い伝統の中 で個人の権利の保障に資する豊かな足跡を描いてきたことによるものである。そして,国際法上,権利が個人に認められている場合において,その権利の存在を そのまま国内法に迎え入れる法制を採用している国では,裁判においてその実現を図ることが可能となるのである。

オ ヘーグ陸戦条約の起草過程からも,個人の請求主体性を認めることが強く裏付けられる。ヘーグ陸戦条約の審議経過によれば,ドイツ提案は,明確に「中立 の者を侵害した交戦当事者は,その者に対して生じた損害をその者に対して賠償する責任を負う」と述べ,スイス代表も,「賠償請求権は中立の者と同様各々の 交戦国の者についても生じる」と述べるなど,起草者たちは,交戦法規が個人にも権利を付与してきた特殊な国際法分野であるという認識に立って,同条約3条 について個人の請求権を明瞭に認めていたのである。

カ さらに,ヘーグ陸戦条約の事後の実行として,幾つかの裁判例等を示すことができる。

1952年4月9日のドイツのミュンスター行政控訴裁判所の判決は,ヘーグ陸戦条約3条が個人の損害賠償請求権を設定したことについて,次のように明確に述べている。

「原告の損害賠償請求権は,国内公法のみならず,国際法からも生じる。1907年のヘーグ陸戦条約3条により,国家は,自国の軍隊を組成する人員の―切の 行為(ヘーグ陸戦規則の違反)につき責任を負う。文民の保護のため広範な文言か選択された3条によれば,損害をもたらした者の過失は責任の要件ではない。 3条が軍隊構成員の行為にかかわる占領国の絶対責任について規定しているということは,国際法の疑いなき原則である。国際法の定めるこの絶対責任の枠内 で・・・国家は「無形的」損害についても賠償する義務を負う。」。

また,1997年10月30日,ギリシャの裁判所は,第二次世界大戦中,ナチスドイツに支配されたギリシャにおいて強制労働に従事させられた被害者が, ヘーグ陸戦条約3条を根拠としてドイツを相手に損害賠償請求をした事件で,その請求を認め,損害を賠償すべき旨の判決を下している。さらに,1997(平 成9)年11月5日,ドイツのボン地方裁判所は,ヘーグ陸戦規則違反の行為に起因するヘーグ陸戦条約に基づく損害賠償責任が個人のために援用されることを 明らかにした。

ヘーグ陸戦条約3条は,1977年の第一追加議定書91条に若干の修正を施しながらほぼそのままの形で再現されたが,同条に注釈を加える1987年の国際赤十字委員会コンメンタールは,

「賠償を受ける権利を有する者は,通常は,紛争当事国又はその国民である。」

と述べ,個人の賠償請求資格を認めている。また,同コンメンタールは,ヘーグ陸戦条約3条と第1追加議定書91条が,1949年ジュネーブ諸条約において共通に定められた

「締約国は,前条に掲げる違反行為に関し,自己が負うべき責任を免れ,又は他の締約国をしてその国が負うべき責任から免れさせてはならない」

という規定と同じ原則に立脚していることを明らかにしているが(3649項),その趣旨は,

「締約国は・・・ジュネーブ諸条約及びこの議定書の規則の違反の被害者が賠償を受ける権利を否定することはできない」(3651項)

というものであり,ここでも個人が固有の賠償請求資格を有する旨が確認されている。

個人の賠償請求権については,1990年から1991年までのクウェート侵攻・占領に対するイラクの賠償義務を確認した国連安全保障理事会決議687にも,次のように明らかにされている。

「イラクは,・・・外国の政府,国民及び企業に対するいかなる直接的損失,損害又は被害についても国際法上の責任を有する」(16項)。

同決議は,19項により,イラクに対する請求を処理する国際制度の設計を国連事務総長に委ねたが,当該要請を受けて作成された報告書の中で,国連事務総長 は,個人からの請求が何万件にも及ぶであろうとの見込みに立って,制度運営の便宜を図るため,原則として「政府」によって提出される請求を取り扱う旨を明 らかにし,その際,政府は,自らのためのみならず,自国民(個人)の代理として請求を提出するものとしている。ちなみに,請求処理のために賠償を支払う基 金を監督するために新設された国連賠償委員会の決定も,戦争法規違反の被害者である個人の請求権の存在を認め,基金の管理評議会は,

「政府によって請求を提出してもらう地位にない人々に代わって適当な人,権威者,機関に請求を提出するよう要請することができる。」

とした。ここでも,個人が固有の賠償請求権を有していること自体は,所与の前提とされているのである。

なお,1992年3月に開かれたマーストリヒト会議においても,個人が賠償請求の主体となることに関して,

「原則として,すべての国は人権侵害を填補し,かつ被害者が損害賠償を求める権利を行使できるようにする責任がある。国に誠実に,人権の国際的,地域的, 国内的な規範を適用しなければならない。同様に,すべての国は,重大な人権侵害か起こらないよう常時監視する法律,機関,政策,プログラムを設けておくべ きである。」

と決議されている。

キ 以上のとおり,交戦法規の一般的文脈に照らした文言解釈,準備件業,事後の実行等を総合的に勘案し,国際法上の解釈規則に従えば,ヘーグ陸戦条約3条 は,個人(戦争被害者)を賠償請求主体に取り込んだ規定と解釈され,軍隊構成員が引き起こした一切の陸戦規則違反について,その行為時の資格が何であれ, 当該軍隊構成員の所属国が被害者たる個人に対して賠償責任を負うのである。

そして,日本の場合,憲法98条2項を介して,上記のことが条約,国際慣習法として受容されており,かつ,現在では国家賠償法が存するので,日本の裁判において,ヘーグ陸戦条約3条を内容とする上記国際慣習法を適用することが可能である。

(2)国際私法による請求について

本件本案については,国際私法の適用により準処法が決定されるべきであるのに,国際私法の適用をすべきでないとした原判決は,国際私法の解釈を誤り,法律解釈の根本原則にももとるものである。

ア 国際私法,特に法例11条1項の適用について
(ア) 国際私法は,複数の国に関連する法律関係(渉外的法律関係)について,いずれの国の法を適用すべきかを決定するための法律で,それ自体は,当事者の法律関 係を直接規律するのではなく,これを直接規律するいずれかの国の法を指定するためのものであり,民商法や民事訴訟法など法律関係を直接規律する「実質法」 とは全く次元を異にする。両者は,実現しようとする正義の観念が異なり,実質法における正義は,個別具体的な権利義務の決定に関するもの(例えば,一方当 事者か損害賠償請求権を有するか,他方当事者が損害賠償義務を負っているか)であるが,これに対して,国際私法における正義は,一般的抽象的な準拠法の決 定に関するもの(例えば,不法行為地法を適用すべきか,公務員所属国法を適用すべきか)である。国際私法は,実質法より上位の規範であり,実現しようとす る正義の観念が異なるのであるから,実質法について当てはまる法理が国際私法に当てはまらないのは当然であり,国際私法が適用されるべきか否かについて は,国際私法自体の立場から考えるべきであって,「我が国の法政策」など特定の実質法の趣旨を盛り込んで国際私法を解釈することは不当である。

以上のとおりであるから,国際私法が適用されるべきか否かについては,国際私法自体の立場から決せられるべきであり,何が私法的法律関係であり何が公法的 法律関係であるかは,これを抽象的に議論すべきではなく,本件のように法例11条1項の適用が問題となっているのであれば,同項自体がどのような法律関係 を対象としているのかを考察すべきである。また,公法的法律関係については,公法の属地的適用の原則が主張されるから,その原則が適用されるべき法律関係 はどのようなものであるかも検討されなければならない。

(イ)法例11条1項の「不法行為」概念は,損害賠償請求権を発生させるものとして私益に関わるものではあるが,双方の意思によらないで債権を発生させる ものとして公益にかかわるものでもあり,この場合における公益性は,法廷地におけるものではなく,不法行為地のものである。

そして,国家賠償責任もまた,個人に損害賠償責任を与えるという点においては私益に関するものであるが,同時に公権力の行使を慎重ならしめるという点にお いては公益に関するものであり,しかも法廷地の公益でも,ましてや加害者が国家権力であるからといって加害者の公益でもなく,不法行為地における公益に関 するものであるということになる。

また,各国の実質法を比較法的にみた場合,「不法行為」とは「イ可らかの行為(作為・不作為)があり,他人に損害が生じて,損害賠償責任を負わせるか否か という問題」を意味すると考えられ,当該行為(作為・不作為)が違法であるか否か,損害の発生との間に因果関係があるか否か,損害賠償責任を生ぜしめるか 否か,何が「公平な分配」であるのかなどは実質法レベルの問題である。

本件では,旧日本軍によって何ら罪のない中国人の一般市民に対して残虐な行為があり,中国人に損害が発生したので日本国に損害賠償責任を負わせるか否かと いう問題が生じているのであり,このような損害賠償請求権の存否が問題となる法律関係は,世界中いずれの裁判所でも審理することが可能であり,普遍的なも のであるから,国際私法の対象であるといわなければならないのであり,まさに法例11条1項の「不法行為」に当たるということができる。

(ウ)次に,本件の法律関係が公法の属地的適用の原則が適用されるべき法律関係であるか否かについて,考察する。

本件で問題とされるのは,不法行為自体であって,たまたま加害者が国家であったとしても,その法律関係の性質に変わりはないのであり,加害者の属性は無関 係である。また,「公権力の行使」は,当該国の管轄の及ぶ範囲でしか認められないのであるから,本件加害者の行為は「公権力の行使」であるとは評価するこ とができず,私人の行為と変わるものではない。例えば,日本の公務員が外国で交通事故を起こしたような場合において,加害者の側から見れば,公権力の行使 であったとしても,被害者の側にとっては,加害者の人格を問わず,たまたま日本の公務員の公務中に交通事故に遭遇しただけであって,単なる交通事故にすき ないのである。さらに,訴訟で求められているものは,刑罰や行政処分の取消しではなく,単なる損害賠償であって,普遍的であるということができ,国際私法 の対象となるものである。この場合において,日本の裁判所は,当該法律関係と最も密接な関連を有する法として,いずれの国の法が準拠法になるかを審理すべ きであり,たとえ外国法を適用すべきことになったとしても,当該外国の主権の発動ということにはならず,日本法が適用されないことが日本の裁判所の管轄を 否定することにもならない。

国家賠償請求訴訟において,国家であることを理由として,外国法により責任を負わされることはないという反論があるかもしれないが,これは国際私法に対す る理解の欠如によるものである。外国法の適用を当該外国の主権の発動と考えるならば,主権独立の原則により外国法の適用は否定されることになるが,日本の 裁判所において,日本国が被告となり,当該事件について,外国法の適用が主張されているだけであり,その適用が当該外国国家の主権の発動ということにはな らないからである。外国法の適用を必要かつ可能とする法律関係であるということは,上記のとおり,まさにそれが国際私法の対象である渉外的私法関係である ことを意味しているのである。

以上のように,本件は,外国法の適用も可能となる渉外的法律関係であり,外国法を否定する公法的関係ではないということができる。

(エ)もっとも,公務員による外国における不法行為であっても,例えば,在外公館の職員が自国民の保護を怠ったり,外国人からの査証の申請を不当に却下し たような場合には,むしろ加害者と被害者の間に特別な法律関係があったことを理由として,当該公務員の所属する国の法,すなわち公務員所属国法が適用され るべきことになる。

国際私法の解釈に当たっては,当該法の当事者に対する密接関連性と秩序利益が考量されなければならない。法例11条1項は,「不法行為」が加害者と被害者 の意思によらないで双方の間に債権関係を生じさせ,しかも,加害者にとっては,自己の行動から生じる責任の存否及び範囲を予測することができ,被害者に とっても,自己が受けるべき賠償の有無及び範囲を期待することができ,ひいては当該場所の法律が適用されることについての合理的な予測と期待を有している ことから,その予測可能性と正当な期待を保護するために,抵触法上の利益考量において,不法行為地法を準拠法としたものである。しかし,上記のような場合 においては,加害者と被害者の間に,不法行為の発生以前から特別な法律関係があり,この法律関係と不法行為との間に密接な関連かあるということができるか ら,両当事者にとっても,むしろこの特別な法律関係の準拠法を適用した方が予測可能性ないし正当な期待の保護の要請を満たすことになり,当事者間に「付従 的連結」ないし「従属的連結」があるとして,準拠法も当事者間の特別の法律関係のある法によるというわけである。

この点に関し,オーストリア最高裁判所は,ユーゴスラビア大統領主催の狩りにおいてオーストリア大使が誤ってフランス大使を射殺したという事件において, オーストリア大使が自国民の保護を怠ったり,外国人からの査証の申請を不当に却下したような場合にはオーストリア法の適用が妥当であるとしつつ,当該事件 においても,オーストリア大使の行為は,オーストリア法の執行(オーストリアの公権力の行使)の際にされたものであり,オーストリア大使にとっては公権力 の行使であったものの,フランス大使にとってはオーストリアと公法的な関係になかったのであるから,オーストリア法の適用は妥当でないと判断した。オース トリア最高裁判所は,これを「意図しない接触」と述べ,不法行為地法以外に密接な関連を有する法は存在しないと判断したのである。すなわち,フランス大使 は,自己の側ではフランス法の執行(フランスの公権力の行使)を行ったのであり,自らオーストリア大使の公権力の行使を求めたのではないという点におい て,自国民の保護や査証の申請と異なり,上記の付従的連結の要件を満たしていないのである。

本件においては,控訴人ら自ら又はその肉親らにとっては,中国において日本の公務員に公権力の行使を求めたわけではなく,いかなる意味でも日本政府と特別 な法律関係がなかったものであり,日本政府の側から見ても,旧日本軍にとっては公権力の行使であったとしても,控訴人ら自ら又はその肉親らは外国に住む外 国人であり,しかもその者らから公権力の行使を求められたわけではないのであって,何らの法的根拠もなく突然旧日本軍が中国の民集に対して残虐極まりない 違法行為に及んだことは,まさに「意図しない接触」により,特別な法律関係のない者の間で発生した事態であり,むしろ自ら抵触法的利益を放棄したともいえ る事案であって,このような場合においてまで日本国の「国家の公益」を考慮する必要はないものというべきである。したがって,本件については,付従的連結 が認められる前提を満たしていないから,準拠法として公務員所属国法である日本法が指定される根拠がなく,両当事者にとって最も中立的な法は,不法行為地 法以外にあり得ない。

同じく公法的法律関係といっても,国際私法不適用説の場合と公務員所属国法説の場合とでは,その意味が異なっている。国際私法不適用説では,渉外事件の処 理の仕方が私法的法律関係と異なるものとして,公法的法律関係が問題となっていたのであるが,公務員所属国法説では,損害賠償責任という私法的法律関係の 前提として,公法的法律関係が問題となり,国際私法により準拠法を決定するプロセスの中で,当事者間に公法的法律関係があったことを考慮し,その法律関係 の準拠法と損害賠償責任の準拠法を同一の法(公務員所属国法)によらしめるものである。

(オ)そもそも金銭賠償による救済が求められている場合において,それが日本の国家賠償法によらなければ実現できないとは考え難い。日本の国家賠償法に反 映された日本の国家利益は,日本法が準拠法になった場合にだけ考慮されることであり,外国法が準拠法になった場合には,日本法を適用した場合と異なる結果 が生じるのは当然である。それを正当化するのが,最も密接な関係を有する国の法を探究するという国際私法独自の正義の観念なのである。

国家に対する損害賠償請求という法律関係に仮に「公法的な要素」があったとしても,そのことの故に一方当事者の抵触法的利益が,どのような根拠によって奪われても良いということになるのか理解不能である。

なるほど―方当事者である被控訴人には,日本国内法を適用することについて抵触法的利益が存在するであろうが,他方当事者である控訴人ら被害者らにも,当 時自らが平穏に生活していた地である中華民国法の適用について抵触法的利益が存するのであって,一方が国家であるからといって国家の抵触法的利益だけが優 先するとする合理的根拠は見出し難いのであり,また,公法にも匹敵する当該行為地の秩序回復利益を勝手に剥奪することも許されないのである。被控訴人が国 家に対する損害賠償請求の問題を「公法」であるとして,日本国内法である「公法」の適用のみを主張するのであれば,それこそジェニングズのいう「地域法が 押しのけられるところまで」の「公法」の「拡張」であり,これは被控訴人による中国という国家に対する「事務への干渉」に他ならない。本件における域外適 用の主張は,明らかに「権利濫用」なのである。

(カ) なお,国家賠償法6条は,

「この法律は,外国人が被害者である場合には,相互の保証があるときに限り,これを適用する」

と規定して,いわゆる「相互の保証」を採用している。相互の保証に関する規定は,特許法25条にも見られ,意匠法68条3項,商標法77条3項,実用新案 法2条の5第3項などにおいても準用されているが,その趣旨は,当該外国法が日本国民に対して権利を認めていない限りは,日本においても当該外国人に権利 を認めないとすることによって,外国における日本国民の利益を保護しようということにあるにすぎず,原因行為が公権力の行使に基づくものであるか否かとい うこととは本質的に無関係なところにある。

したがって,相互の保証があることを公法であることの根拠とすることはできない。

イ 法例11条2項による日本法の累積適用,特に国家無答責の法理について
法例11条2項は,不法行為の成立要件について日本法を累積適用しているが,本件について国家無答責の法理によることは疑問であり,これを適用するべきではない。

(ア)本件加害行為は,「国家無答責の法理」なるものか妥当していたといわれている日本国憲法制定以前に行われたものであるが,日本国憲法17条は,被害 者の人権保障の観点から,国の特殊的地位を否定し,私人と同様の地位に立つことを明確にし,国家無答責の法理なるものを全面的に否定した。そこで,本件加 害行為時と裁判時とで,国の賠償責任についての価値原理が180度変更している場合に,従前の価値原理に基づく民法の解釈又は裁判例に従い国家無答責の法 理の主張を認めることにより,結果的に日本国憲法の価値原理と真っ向から反する結論を導くことが法の解釈適用として許されるのかが問題となるが,現在の裁 判所は,基本的人権を中核とする日本国憲法の価値原理の担い手として,単に戦前の裁判例に従うのではなく,現時点において戦前の法令の解釈をし直し,究極 的には日本国憲法の価値原理に則って法令の解釈適用を行わなければならない。

(イ)国家無答責の法理は,原判決の判示するように,単に主権性や権力性を根拠とするものではない。近代的国家においては,国王の大権は人民の利益のため に設けられ,したがって人民の利益を毀損するようには行使し得ないのであり(ブラックストン),機関の自然的意思が国家の法秩序において表明された意思と 合致する限りにおいてのみ国家を代表するのであって,国家の不法ではなく国家機関の不法が存するのである(ケルゼン)。したがって,この法理は,その実質 的な根拠を「治者と被治者の自同性」「国家と法秩序の自同性」に求めることができ,その根底には議会制の下における法治主義を備えているものであり,民主 的政治法思想から切り離して導入することは,国家に対して,不法行為を犯しても損害賠償責任を負わないという特権的地位あるいは免責を付与するのみであっ て不公正で不合理である。殊に,大日本帝国憲法下では議会の権限が天皇大権によって大幅に制限されていたのであるから,これを主権説によって基礎づけるの は,主権論の基本的な性格に反し,ましてや議会が国民の代表たる実質を喪失して機能していなかった日中戦争時においてはその存立の基盤を欠いていたという ことができ,本件に国家無答責の法理を適用することは,妥当ではない。そもそも,国家無答責の法理は,「官吏の違法行為の責任は,国家に帰し得ない」とす るもので,「その責任は官吏個人が負う」という官吏個人責任論に支えられたものであり,両者は表裏一体,密接不可分の関係にあったのであるから,国家の責 任のみならず,官吏個人の責任も認めなかったわが国において適用することは,その点でも国家無答責の法理論的首尾一貫性を欠くものであるとの批判を免れな い。

(ウ)そもそも国家無答責の法理は,法律ではない以上,法例11条2項に規定する「日本の法律」に当たらないが,上記の実質の根拠からみても,以下のとおり,国家無答責の法理は,本件には適用されない。

  1. こ の法理の妥当領域は,「支配者と被支配者の自同性」あるいは「国家と法秩序の自同性」が妥当する範囲に限られるから,別言すれば,議会制による法治主義が 妥当する範囲に原理的に限定され,したがって,日本国=日本軍と中国国民との間に「支配者と被支配者の自同性」が存在せず,「日本国の議会が定める日本法 による行政」=法治主義(「国家と法秩序の自同性」)が中国国民に妥当しないことはもとより,細菌兵器開発のための生体実験や強姦未遂等の行為が「日本ノ 法律」によっても「不法」となることは明らかであるから,旧日本軍による中国における中国人に対する非人道的な行為について,国家無答責を主張することは できない。
  2. この法理は,「国家は悪をなし得ず,悪を授権しない」ことにあるから,本件731部隊による生体実験は細菌兵器を開発するという国家政策としてされたものであることからすると,その法理の本質に背馳する。
  3. この法理は,官吏の権限行使に係る法を前提として,その違法につき当該官吏個人の責任を問い得るものであるから,対象行為は法秩序内的,日常的,かつ,人道的なものに限られるべきであって,旧日本軍による本件各行為については,この法理が妥当しないものである。
  4. この法理は,日本国にあって権力的行為にのみ適用されるものであるから,日本国の統治権に服さない中国人には適用されず,外地における外国人に対する戦闘行為をもって権力的行為とすることもできない。

(エ)さらに,戦前の立法者意思,裁判例の変遷,学説状況等から見ると,「国家無答責の法理」なるものが,その実体は民法の適用範囲をめぐる裁判例の集積 であるにすぎず,法理論上は極めて脆弱なもので,常に変容し得る可能性を秘めたものであったのであり,疑う余地のないほど確固不動の法理ではないことが明 らかであるから,本件においても堅持する必要はなく,またすべきでない。

まず,立法者意思についてみると,明治政府の下において,ボアソナードは,民法草案において,国及び官吏いずれに対しても民法の適用を認めて賠償責任を認 める見解の下に,国の損害賠償責任を定める規定を置き,この民法草案が法律取調委員会の審議では可決されたが,このことに照らしても,立法者の中には,民 法を適用して国の賠償責任を認めるべきであるという意見か根強く存在していたことがうかがわれる。その後,元老院の審議を経て成立した民法財産編373条 では,上記規定が削除されはしたものの,これは,国の損害賠償責任については上記373条の適用を認めた上で,例外的に国が免責される場合については裁判 所の判断に委ねようとしたものであって,「国家無答責の法理」が,当時の立法者意思としてあったものとはいえない。さらに,現行民法715条(草案723 条)の審議過程をみると,起草者らは,公権力の行使に起因する損害については,特別法が存在しない限り,一般法である民法の不法行為規定である715条が 適用されると解釈せざるを得ないとの見解を持っていたことがうかがわれる。そして,国家無答責の法理を明記した実定法が存在しないこと,国の賠償責任につ いて司法裁判所の管轄権が否定されていないことをも考慮するならば,原判決が述べるように,旧民法が公布された明治23年の時点で,国家無答責の法理が立 法政策として「確立した」とは到底いえない。次に,裁判例についてみても,国家無答責の法理なるものは,その後の司法裁判所の裁判例の集積を経て形成され てきたのであるが,その内容は動揺し,国の賠償責任に対する民法の適用範囲を拡大する方向で変遷してきたのであり,判例法というほど法的安定性を有してお らず,それゆえ法源性が認められない。また,学説についても,少数説ながら,権力的行為について民法の適用ないし類推適用を認める見解も存在していたので ある。

(オ)仮に,日本国憲法制定前において,国家無答責の法理の適用が一般的には認められていたとしても,日本国の管轄に服さない者に対する公権力の行使は許 されないのであるから,これらの者に対しては,国家無答責の法理は適用されないというべきである。なぜなら,自国の管轄に服さない者に対する公権力の行使 は,個人の側からみれば単なる違法行為そのものであり,戦前の判例における私経済作用の場合と同様に,民法により不法行為責任が問われることとなる。前記 のとおり,国家無答責の法理の実質的な根拠としての「治者と被治者の自同性」「国家と法秩序の自同性」からみても,国家とその管轄に服する者との関係だけ で成り立つものと考えられる。

控訴人ら自ら又はその肉親らは,日本の管轄に服さない外国人であるから,控訴人ら自ら又はその肉親らに対する日本の公務員による不法行為は,国家無答責の 場所的適用範囲から外れる。そして,本件については,日本民法によっても不法行為が成立しているので,法例11条1項による不法行為地法(中華民国法)の 適用は妨げられないことになる。

(カ)ところで,国家無答責の法理(公権力無責任の原則)の適用の前提となる「公権力の行使」(権力的行為)の意義については,これまで必ずしも明確に定義づけられてきたわけではないが,一般的には,次の3つの要件が必要である。

第1に,加害行為が実質的に強制力ないし権力の行使と言える性質のものであること。すなわち,法行為であれば相手方である私人の権利自由を一方的に制限し たり,事実行為であれば身体・財産に強制を加える性質のものでなければならない。第2に,適法に行使すれば適法な公権力の行使と評価されるような授権が与 えられていること。そもそも,「適法に公権力を行使する権限」が与えられてこそ,初めて「違法に公権力を行使する権限」があり得るのである。それに対し て,「適法に公権力を行使する権限」なくして行われた公務員の実力行使は,単なる「裸の暴力」にすぎず,国家無答責の法理が妥当する前提となるべき「公権 力の行使」に当たらない。第3に,加害行為が国の統治権ないし主権に服する者に対する行為であること。これは,日本の主権ないし統治権が,他国ないし他国 の国民に対して及ばないことから導かれる当然の要件である。

本件加害行為は,731部隊事件,南京事件及び無差別爆撃事件のいずれをみても,第1の要件は充足するものの,第2及び第3の要件を充足していないから,国家無答責の法理が適用されないことは明らかである。

(キ)国家賠償法附則6項は,時際法として新法と旧法の適用関係を規律するものであり,新法に当たる国家賠償法に対して,それに対応する旧法も実体法でな ければならず,単なる法令の解釈あるいは判例は含まれない。そこで,国家無答責の法理は,実体法に根拠を有していたのか,それとも手続法に根拠を有してい たのか,という点が問題となる。
大日本帝国憲法61条は,

「行政官庁ノ違法処分ニ由リ権利ヲ傷害セラレタリトスルノ訴訟ニシテ別ニ法律ヲ以テ定メタル行政裁判所ノ裁判ニ属スヘキモノハ司法裁判所ニ於テ受理スルノ限ニ在ラス」

と定め,また,行政裁判法16条は,

「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セス」

と定めていた。要するに,前者は,行政訴訟について司法裁判所の管轄を否定し,後者は,国家賠償請求について行政裁判所の管轄を否定していたのである。国家無答責の法理の実定法上の根拠は,これら二つの手続規定に求める以外にない。

このように国家無答責の法理が手続規定に実定法上の根拠を有するのであれば,国家賠償法附則6項にいう「従前の例」にこれを含めることは妥当でない。なぜ なら,訴訟の原因となった事実がたとえ戦前に起きたものであっても,現時点における訴訟にあっては,その管轄は現行法によって判断されるべきであるからで ある。すなわち,戦後は行政裁判所と司法裁判所の区別がなくなり,公権力の行使に関する事件も司法裁判所において審理されるようになったもので(憲法76 条),ましてや損害賠償の訴えに対する管轄を否定した行政裁判法16条は適用されるはずがない。現在の裁判所の権限及び管轄は,裁判所法及び民事訴訟法に よって判断されるべきであり,それによれば当該事件の管轄は肯定されるものである。

そして,実体法については,国家賠償法附則6項により,現行の国家賠償法を遡及適用することができないので,結局,民法が適用されることになり,同法709条又は715条により責任を負うものである。

(ク)国家賠償法附則6項は,新法不遡及の原則を定めているが,新旧いずれの法が適用されるかを定める時際法も,一種の抵触法である以上,これを機械的に 適用することは相当とはいえない。現在の法秩序から見て,旧法の内容が公序良俗違反である場合には,一定の範囲で旧法の適用を排除することが例外的に認め られるべきである。例えば,場所的抵触法である法例は,内外法平等の原則に基づき,外国法にも準拠法としての資格を認めているが,法例33条は,外国法の 適用結果が国際私法上の公序良俗に反する場合には,例外的に外国法を適用しないと規定している。そうであれば,国家賠償法附則6項も,新法不遡及の原則に より,旧法の適用を認めているが,その旧法の適用が時際法の観点から見て公序良俗違反である場合には,例外的に旧法を適用しないことが妥当である。そし て,いかなる事案につき旧法の適用が排除されるべきであるかは,時際法独自の観点から決定されるべきである。この場合において,まず,新法施行前の行為に 旧法を適用するという新法不遡及の原則の根拠が,法的安定性の観点から,いったん成立した法律関係を覆すことによる混乱の回避にあること,すなわち,加害 者である国や自治体,さらに公務員の予見可能性からみて,また被害者である個人の期待可能性からみても,新法の遡及適用により損害賠償請求を認めることが 妥当といえるかどうかが考慮されなければならない。

本件においては,加害行為は,いずれも常軌を逸した残虐非道なものであり,被害の状況は,甚大で,被害者の肉体的・精神的苦痛が現在も続いている状態であ り,今なお救済の必要性は極めて大きく,また加害者である国の側からみても,内外の状況は,補償の必要性を忘れ去ることを許しておらず,戦後の憲法秩序全 体に重大な影響を及ぼし,現在との関連も極めて密接であるから,加害行為及び損害の発生か新法施行前の出来事であったことを理由として,旧法の国家無答責 の法理を適用することは,法的安定性,当事者の予見及び期待可能性を考慮してもなお,時際法上の公序良俗に反するといわざるを得ないのであって,これらの 出来事は,戦前に起きたとはいえ,戦後の法秩序において,戦前と同じ結論を導き出すことは,正常な法感覚に著しく反するといえる。

なお,国際私法上の公序良俗が発動され,外国法の適用が排除された場合,通説は,内国法をそのまま適用するのではなく,「渉外的事業に個別的に適用される べき内国の公序に属する実質法」を適用すべきであるとしているが,時際法上の公序が発動された場合には,新法及び旧法はいずれも同一の法律秩序に属するか ら,新法をそのまま適用して差し支えない。ただし,ここでは法例11条2項により,不法行為の成立要件についてのみ日本法が累積適用されるのであるから, 現行の国家賠償法も,損害賠償責任の成立についてのみ適用されるべきである。

ウ 民法724条後段の適用について
(ア)法例11条3項の規定の趣旨は,損害賠償の方法及び程度,すなわち「救済の方法」や「救済の程度」について,日本法の認める制限に服することをいう ものであって,同項の定める「損害賠償共他ノ処分」には,時効や除斥期間などの問題を含まないと解される。具体的には,損害賠償の方法については,金銭賠 償を原則とし(民法722条1項,417条),名誉毀損の場合には「名誉ヲ回復スルニ適当ナル処分」(同法723条)を許容するが,それ以外の方法は否定 され,損害賠償の額については,例えば,いわゆる「懲罰的損害賠償」の制度は否定するというものである。

上記の趣旨は,法例11条3項における「損害賠償其他ノ処分」という文言,同条において2項と3項を書き分けている文理,立法過程における議論及び母法であるドイツ民法施行法の制定経緯から明らかである。

実質的に見ても,不法行為に基づく損害賠償請求権が日本法の認める方法及び額で成立すれば,単なる債権にすぎなくなるのであるから,時効や除斥期間につい て,法律行為に基づく債権と同様に,外国法によって日本法よりも長期の指定がされたからといって,日本社会の公益に反するとはいえず,国際私法上の公序則 に反するものともいえないから,日本法による累積適用を認める必要性がない。この問題については,学説がこれまで意識して採り上げてこなかった側面がある が,学説や判例の見解を通してみれば,法例11条3項に定める累積適用は,損害賠償の方法と額以外には及び得ないという暗黙の合意があり,あるいは趣旨及 び文言から当然の論理的帰結と解されるので,わざわざ論じる必要を見出さなかったにすきない。

(イ) 民法724条後段は,前段と共に時効を定めたものであって,除斥期間と解して画一的処理をするべきではない。

仮に,これを除斥期間と解するとしても,正義・公平の観点から言えば,権利の性質や加害者との関係などから時の経過の一事によって権利を消滅させる公益性 があるかどうか,義務の不履行が明白かどうか,被害者の権利不行使につき権利の上に眠る者との評価が妥当するかどうかの観点から総合的に判断して著しく正 義・公平の理念に反する場合には,特段の事情かあるものとして民法724条後段の適用は制限されるべきであり,最高裁平成10年6月12日第二小法廷判 決・民集52巻4号1087頁(以下「最高裁平成10年判決」という。)も,同旨である。

そして,本件については,「特段の事情」がある場合として,除斥期間の適用が制限されるべきである。なぜならば,控訴人らが権利を行使することができずに 期間を徒過したことについて控訴人らに帰する責めは一片たりともなく,むしろ,控訴人らが権利を行使することができなかった原因は,被控訴人が控訴人ら又 はその肉親らに残虐行為を行って控訴人らの生活に壊滅的な打撃を与えたこと,控訴人らは中国の様々な国内事情によって権利行使をなし得る客観的条件を何ら 持ち得なかったこと,そして,被控訴人の中国敵視政策によって長きにわたり国交が回復せず,渡航ができる制度もなかったこと,その上,控訴人らは,被控訴 人による証拠の隠滅や徹底した隠蔽により権利行使の基礎となる客観的資料を入手できなかったことなど,被控訴人側にあり,最高裁平成10年判決における加 害者側の事情に比べても,被控訴人の悪質性や権利行使を阻害する要素が大きく,加害者の保護を正当化する事情は全くないからである。具体的には,(1)加 害者が国であり,(2)その国が中国の地を侵略して,(3)日常生活をしていた一般市民に対し人体実験,強姦未遂,無差別爆撃などの人道に対する罪に該当 する戦争犯罪行為を行い,(4)しかもマルタを全員殺害するなどの徹底した残虐な証拠隠滅と戦後も文書の焼却などの隠蔽を継続して行い,(5)他方,残虐 行為を受けた控訴人ら自ら又はその肉親らは,人体実験により生命を奪われ,あるいは強姦未遂や無差別爆撃により生きることさえ著しく困難な状態に陥れら れ,(6)中国の地にいる控訴人らにとっては,侵略した被控訴人を訴える客観的条件が1995年3月(個人の賠償請求権の行使に干渉しないとする銭其?外 相の発言)まで皆無であった,という事情があったのである。

エ 中華民国法の適用について
(ア)本件において,法例11条1項により,不法行為債権の成立及び効力については,不法行為地法として中華民国民法(1929年11月22日に公布さ れ,翌年5月5日から施行された不法行為に関する規定を含む第2編債権で,1999年4月21日に改正される前のもの)が適用される。なお,日本法によっ ても不法行為が成立しているから,法例11条2項によっても中華民国法の適用は妨げられない。

その不法行為規定としでは,一般的不法行為に関する184条,使用者責任に関する188条1項,さらに法人の不法行為責任に関する民法第1編総則 (1929年5月23日公布,同年10月10日施行)28条があるが,本件については,前2条が適用される。これらの規定は,次のとおりである。

「故意又は過失により不法に他人の権利を侵害した者は,損害賠償責任を負う。故意に善良な風俗に背馳する方法により他人に損害を加えた者は,また同じとする。他人を保護する法律に反する場合は,それに過失あることを推定する。」(184条)。

「被用者が職務の執行により不法に他人の権利を侵害した場合,雇用者と行為者は連帯して損害賠償責任を負う。ただし,被用者の選任及びその職務の執行の監 督につき,相当の注意を尽くしたか,相当な注意を尽くしても損害の発生が免れなかった場合には,雇用者は損害賠償責任を負わない。」(188条1項)。

(イ)まず,被控訴人である日本国の人格についてみると,中華民国法にあっては,外国国家を想定した規定がなく,しかも,一般に外国法人として権利能力を 獲得するには「認許」の手続を経なければならないとされているから(民法総則施行法11条,1929年9月24日公布,同年10月10日施行),同法上の 外国法人とするにも疑いの余地があるものの,未認許の外国法人でも,相手方を保護するために,特に義務の負担については法的な責任帰属主体となることが明 文の規定によって認められているから(同法15条),被控訴人が不法行為の責任主体となることは明らかである。

そして,被控訴人である日本国は,代表権を有しない被用者の不法行為について法人が代わって責任を負うことを規定した188条により使用者として,また, 一般的不法行為に関する184条により日本国自体として,不法行為責任が問われる。なお,184条は,判例により,自然人の不法行為に適用すべきものとさ れているが,日本国が,中華民国法上,明確に外国法人格を有するといえる根拠は見当たらないのであるから,同条の適用が当然に排除されるわけではない。

次に,中華民国民法188条の使用者責任については,行為者が被用者であること,職務の執行による行為であること,被用者について一般不法行為の成立要件 が満たされていることが求められている。「行為者が被用者であること」という要件については,通説・判例は,いわゆる客観説を採用し,事実上の雇用関係が あれば,書面による雇用契約があるか否か,臨時雇いであるか否かにかかわりなく,同条で定める被用者に当たると解している。また「職務の執行による行為で あること」という要件について,実務では客観説が採られ,「外見上,職務の執行の形式に当たるものをいう」とされ,判例は,この点を

「被用者が,命令あるいは委託を受けて職務自体を執行する場合を指すだけでなく,不法に他人の権利を侵害した者にとって,被用者の行為が客観的にその職務 執行と関係があると認められるのであれば,不法に他人の権利を侵害した者が,それを自己の利益のためになした場合でも,それに含まれる」

と判示して明らかにしている。さらに

「被用者について一般不法行為の成立要件が満たされていること」

という要件については,通説によれば,侵害行為,他人の権利の侵害,違法性,損害の発生,侵害行為と損害の間の因果関係,加害者の故意又は過失,加害者の 責任能力の7点から成るとされ,日本法における解釈と特に異なるところはない。本件について以上の要件の該当性をみると,まず,本件加害行為の実行者であ る旧日本軍兵士らは,日本政府の被用者であり,次に,本件加害行為は,日本の戦争行為の中で行われたのであるから,客観的にみて,被控訴人の職務執行に当 たりされたとみるべきであり,さらに,旧日本軍兵士らによる本件加害行為は,故意によるもので,戦争行為の中で行われたものとはいえ,当時の国際法にも違 反し,その結果,控訴人ら自ら又はその肉親らに対して多大の肉体的・精神的な損害を与えたのであるから,本件加害行為との因果関係があり,旧日本軍兵士ら に責任能力があったことも明らかであるから,一般的不法行為の要件を満たしている。被控訴人は,旧日本軍兵士らが本件加害行為を行っていることを知りなが ら,これを放置したのであるから,188条1項の掲げる免責事由の適用がないことも当然である。

さらに,被控訴人は,組織的に731部隊を設置して違法行為を行い,憲兵に命してマルタを徴収する行為を組織的に行い,また,南京事件について言えば,旧 日本軍兵士が中国の民間人を害する蓋然性か極めて高いにもかかわらず,あえて南京に対する侵攻を命じたもので,さらに無差別爆撃も,被控訴人が実施したも のであったから,本件におけるいずれの事件も,被控訴人自体が一般的不法行為責任を負うことになる。

以上により,被控訴人は,184条により一般的不法行為責任を負い,かつ,188条により使用者責任を負っている。

(ウ)一方,本件加害行為に係る不法行為の効力として,中華民国民法195条1項前段は,

「不法に他人の身体,健康,名誉あるいは自由を侵害した場合は,被害者は非財産上の損害といえとも,また相当の金額の賠償請求をすることができる。」

と規定し,本人の人格的諸権利や利益を侵害し,よって苦痛,失望,悲憤,不満などをもたらした場合に,被害者に対して,金銭賠償請求権を与えて慰撫するこ とを認めている。控訴人ら自ら又はその肉親らは,本件加害行為により多大の苦痛などを受けたのであるから,この規定によって,慰謝料請求権を有することは 明らかである。

次に,195条2項は,

「前項の請求権は譲渡あるいは相続することができない。ただし,一定金額賠償の請求権が既に契約により承諾されているか,既に提訴されている場合はこの限りでない。」

と規定して,1項の権利が被害者に一身専属的なものであり,譲渡や相続の対象となる権利ではないことを明言する。この権利を行使するか否かは専ら権利者に よって決せられるべきであり,本人が決定しないうちに譲渡や相続をすることはできないが,いったん権利が行使されて通常の財産権と異なるところがなくなっ た後には,譲渡性を獲得することを意味している。

控訴人らの一部には,被害者の遺族であって被害者本人ではない者もあるが,それは,本人による提訴が不可能であったからにすぎず,仮に提訴が可能であった とすれは,被害者本人が提訴していたことは明らかであり,そもそもこの規定の趣旨は,本人の意思を確認することにあるのであるから,確認するまでもなく提 訴の意思か明らかである場合には,現実に提訴がされていなくても,本条により慰謝料請求権を相続することは可能である。 したがって,控訴人らのうちの被 害者の遺族たちも,この規定により慰謝料請求権を相続していたことになる。

(エ)中華民国民法197条1項によると,不法行為による損害賠償請求権は,請求権者が損害及び賠償義務者を知ったときから2年間これを行使しなければ消 滅し,又は不法行為のときから10年を経過したときも同様である。この規定の趣旨は,通説・判例によると,日本民法のように除斥期間ではなく,消滅時効で あると解されている。

本件においては,被控訴人が時効を援用していないから,また,仮に,被控訴人が消滅時効の援用,すなわち給付拒絶の抗弁権の行使をするとしても,本件の事 実関係の下では,権利の濫用として許されないから,被控訴人に対する損害賠償請求権は消滅していない。なぜならば,中華民国民法第1編総則184条によれ ば,

「権利の行使は,公共の利益に反することができず,あるいは他人を害することを主要目的とすることができない。」

とされているが, 中国では日中戦争に続いて,国民党と共産党との内戦が生じ,ようやく基本的に平和を取り戻すには,1949年の中華人民共和国の成立まで待たねばならな かったのであり,さらに,裁判を通して損害賠償を求め得るということが多くの大衆に認知され始めたのは,1980年代に入ってから,明確には1986年に 民法通則が制定されてからであり,ましてや,1972年までは日本は中華人民共和国と国交もなかったことからすると,1980年代より以前に現実問題とし て一般の中国人にそれを期待することは余りに酷で,中国の一般市民にとって,このような請求が実際上可能であることが明確になったのは,中国外交部のス ポークスマンが民間賠償請求を黙認することを明言した1992年3月ないし銭其?外相(当時)が民間賠償まで放棄したのではないことを明言した1995年 3月であって,加えて共産党により政治権力か独占され,民間の市民運動も,自由な政治的言論も許されない中華人民共和国の国内政治の現実を踏まえれば,そ れ以前に日本国を相手に日本で損害賠償訴訟を提起することは,中国国内における政治的立場を喪失するというリスクを懸けることになる上,訴訟を起こすため の資力もなく,出国の厳しい制限もあり,日本の弁護団との出会いがなければ,本件訴訟を提起することは不可能であったからである。

(3)日中共同声明等と個人の損害賠償請求権との関係について

ア 被控訴人は,控訴審において,控訴人らの損害賠償請求権が「日本と中華人民共和国政府の共同声明」(以下「日中共同声明」という。)等により,既に 「放棄」されているという旨の主張をし始めた。このような被控訴人の主張は,時機に後れた攻撃防御方法として許されないものであり,しかも,予備的主張と はいえ,これまで被控訴人自身か否定してきた個人の賠償請求権が存在しているとの前提なしには論じ得ないものであるから,それ自体相矛盾するものである。

イ ところで,控訴人らは,中国大陸に住む中国人であるから,中国人個人の賠償請求権については,中華人民共和国が何ら関与していないサン・フランシスコ 平和条約や中華人民共和国が明確に否定した「日本国と中華民国との間の平和条約」(以下「日華平和条約」という。)を根拠に論じることはできない。

ウ 仮に被控訴人の主張するように控訴人らの個人の賠償請求権の「放棄」の有無について論じようとするならば,日中共同声明及び日中平和友好条約について 検討されなければならないが,これらにおいても個人の賠償請求権の「放棄」はされていない。たしかに,日本政府(被控訴人)と中国政府との間に交わされた 日中共同声明5項には,

「中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」

と規定されているが,これを国際法における通常の解釈方法により素直に読めは,放棄された請求権は,中国政府のそれであり,個人の請求権ではないのである。

ところで,被控訴人は,日中共同声明5項が個人の賠償請求権をも放棄したとする根拠として,―方では,日華平和条約11条を引用し,他方では,日華平和条 約を介してサン・フランシスコ平和条約14条(b)の規定と結びつけている。しかし,サン・フランシスコ平和条約14条(b) には,

「連合国のすべての賠償請求権,戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権・・・を放棄する。」

と規定されているが,日中共同声明5項の規定との間には,文言上も明らかな差異が認められる。仮に百歩譲って,被控訴人が主張するようにサン・フランシス コ平和条約において個人の賠償請求権が放棄されていると解されるとしても,日中共同声明5項をみる限り,個人の請求権の放棄がされたと解することは不自 然,不合理極まりなく,このような解釈は到底許容されるものではない。しかも,この請求権の放棄という行為が,被控訴人が主張するように,「一度限りの処 分行為」であるとすると,日華平和条約11条により個人の賠償請求権が放棄され,その後に調印された日中共同声明5項において,「国家としての賠償請求 権」を更に放棄したことになり,なおさら,日中共同声明5項により個人の賠償請求権を放棄したとすること自体に無理が生ずるのであり,被控訴人の主張は失 当というほかない。

エ 被控訴人の論法は,日華平和条約がその当事者たる台湾政府のみならず,同条約締結当時,既に大陸全土を実効支配し,その2年前には建国宣言もしていた 中華人民共和国にも適用されるという前提に立った上で,日華平和条約11条によって,サン・フランシスコ平和条約14条(b)の規定が当時大陸に在住して いた控訴人らのような中国国民にも適用されるとするものである。しかし,被控訴人がいかなる詭弁を弄しようとも,既に破棄された日本と台湾との間に締結さ れた日華平和条約が,控訴人ら中国国民に効力を及ぼすものではない。台湾政府は,当時,既にその実効支配と統治を中華人民共和国に替わられていたのであ り,条約締結当事者としての適格性を欠いていたのである。

仮に当時の台湾政府に条約締結当事者としての適格性があるとしても,締結された日華平和条約によってされた「処分行為」は,あくまで台湾政府が当時実効支 配していた地域(台湾,澎湖島,金門など)に限定的に効力が及ぶに止まり,既に当時,大陸を実効支配していた中華人民共和国政府の統治下に及ぶことはあり 得ない。この点に関し,被控訴人は,日華平和条約を控訴人らに適用するための立論として,日華平和条約の適用範囲を限定している附属交換公文について,こ れは「中華民国政府の正統性を地理的に限定したものではない」と主張し,

「条約の規定の性質上,その地理的適用範囲が問題となりうるもののみについて,これを中華民国政府の支配下にある地域に限定したというにすきない」

のであり,

「戦争状態の終結や賠償並びに財産及び請求権の問題は,その性質上,地理的適用範囲が問題となるものではない」

から,限定には意味かないと主張している。
しかし,日華平和条約がその適用範囲について制限を設けた「限定条約」であることは歴史的にも法的にも疑いのない事実であって,附属交換公文による地域限定は,

「条約の規定の性質上,その地理的適用範囲か問題となりうるもののみ」

の地理的適用範囲が問題とされるもの(日華平和条約7条,8条及び9条)に限定する趣旨であれば,「この条約の7条,8条及び9条の各条項については」な どと限定的に規定するはずであって,「この条約の条項」などと全条項を対象としたとしか解釈できない文言を使用するはずがない。以上のように,条約の適用 範囲の問題は,当時の国際情勢を背景としてあえて附属交換公文として規定されたのであって,このような限定の趣旨は,戦争状態の終了や賠償問題等を例外と したものではなく,この点についても被控訴人の主張は失当というほかない。

オ 被控訴人の主張は,個人の賠償請求権が,サン・フランシスコ平和条約14条(b)によって解決済みで,個人の請求権の問題も含めて存在していないというものである。

しかし,そもそも基本的人権の侵害により発生した個人の賠償請求権は,国家がこれを放棄することは原理的に不可能であり,放棄し得ないものと解さざるを得 ない。基本的人権は,人間が人間であるというだけで当然に持っている生来の権利であり,奪うことも他人に譲り渡すこともできないもので,この人権の享有を 確実なものにするために,契約を結んで国家を設けたものであるから,国家の権力によって,人権を制限したり,禁止したりすることは許されないものである。 そして,戦争被害による賠償請求権は,基本的人権たる生命,身体の自由等が侵害された結果発生したものであり,当該侵害された基本的人権とその基礎におい て同一性を有するものであるからである。

したがって,サン・フランシスコ平和条約14条(b)が,前記のとおり,国民の請求権を放棄すると規定する趣旨は,国家が個人にとって人権の享有を確実な ものにするために,国内においては個人を保護することが要求されるとともに,対外的には個人が権利を享有し得るように後見的作用が求められることから,国 家の外交保護権の放棄をすることを意味するにすぎず,賠償請求の主体たる個人は,国家が外交保復権を放棄したとしても,国家の保護によらずに,加害国に対 し,直接賠償請求することはなお可能である。しかも,外交保復権が放棄されるときには,本来国民を保護する義務を負う国家としては,外交保護権の放棄と引 き換えに国家自身が自らその損害を補償することが義務つけられることになると解するべきであり,この理は日本国憲法29条2項及び3項にも規定されてい る。しかし,中華人民共和国は,日中共同声明に調印したとき,中国国民に対し何ら補償措置をとっていないから,この事実に照らせば,中国政府が中国国民の 外交保護権を放棄したものとは到底認められない。

(被控訴人の当審における主張)
(1)国際法による請求について

ア ヘーグ陸戦条約3条は,個人の損害賠償請求権を定めたものとは解されない。

ヘーグ陸戦条約は,その3条の規定を含め,その文言からして,個人が直接自己の権利を主張するための国際法上の手続を定めていないばかりでなく,そもそも個人の国際法上の権利について何ら言及していない。同条約1条は,

「締約国ハ其ノ陸軍軍隊ニ対シ本条約ニ附属スル陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則ニ適合スル訓令ヲ発スヘシ」

と規定し,締約国において各国の陸軍に訓令を発する義務を課することによってヘーグ陸戦規則を実現することとしているが,これは,国家間に相互に義務を課 し,国家間の権利義務を定めることによって条約の実現を図ろうとする国際法の基本原則に沿うものであって,ヘーグ陸戦条約3条は,このように締約国が訓令 を発することにより実現することとした条約の実施につき,その履行を確保する一手段として,違法行為に対する伝統的な国家責任を規定したものである。

イ 控訴人らは,交戦法規としての性格を強調しているが,そのような性格を考慮したとしても,ヘーグ陸戦条約3条が個人に損害賠償請求権を認めたという結論を導き出すことはできない。

同条約1条は,前記のとおり,国家間に相互に義務を課し,国家間の権利義務を定めることによって条約の実現を図ろうとする国際法の基本原則に沿うもので あって,他の分野の国際法と異なるところはない。個人の救済という観点でも,国際法上,国家間の権利義務を規定する形で個人の利益の保護をも図る例は少な くなく,ヘーグ陸戦条約も,国家間の義務を定めるという国際法の基本形態に沿って個人の利益の保護を図ろうとした国際法規であるとみるほかないのであっ て,個人が国際法上の規則によって保護を受けるということと国際法上権利を持つということとは全く異なるものである。学説でも,他の分野と同様に,人道法 (戦争法規を含む。)の実施措置については,基本的にはそれぞれの国家に委ねられているとされている。

したがって,個人を保護の対象としていることを根拠として,ヘーグ陸戦条約3条が,個人の損害賠償請求権を定めていると解釈すべき理由はない。控訴人らの主張は,国際法の基本構造を理解しない独自の主張であって失当である。

ウ 控訴人らは,ヘーグ陸戦条約の起草過程を根拠として,ヘーグ陸戦条約3条が,個人に損害賠償請求権を認めたものであると主張するが,条約文の審議経過 や提案者の意図といったものは,条約文があいまい又は不明確等の場合に,補足的な解釈手段として例外的に利用されるにすぎず,ヘーグ陸戦条約3条のよう に,条約の文理解釈において,国家間の権利義務を定めていることが明らかである場合に,そのような事情を考慮する必要はないのであるから,起草過程を重視 して,その解釈を行う必要はない。

しかし,念のため,審議経過について反論を述べると,まず,国際法規が個人の救済を図ることを念頭に置いていると考えられる場合でも,個人の救済は,国家 間の権利義務を課するという形で間接的に図ることとするのが,国際法の基本的な構造であるから,特定の条約において,個人を賠償請求の主体とする趣旨とし て定めているというには,当該国際法規が,個人の救済を目的とする趣旨であることだけでは足りず,個人に加害国に対する国際法上の損害賠償請求権を認める という例外的な法政策を採用していることが示されていなければならない。このような観点からヘーグ陸戦条約3条の審議経過を見ると,各国の代表の発言が, 被害を受けた個人の救済を念頭に置いていることをもって,被害者個人に損害賠償請求権を認めるものとして審議されていたと理解するのは誤りである。まず, 控訴人らの援用するドイツ代表の提案は,賠償問題が国家間において解決される問題であることを明確にしていると考えられ,その提案に対しては,スイス代表 も,明らかに賠償の支払か国家間で行われること,言い換えれば外交保復権の行使によって解決されるべきことを前提として発言し,そのほか審議経過におい て,個人に生じた損害の救済につき,いかなる方法でこれを具体化し実現していくかについての発言は全くなかったのである。

以上のようなドイツ提案の経緯及び審議経過の検討によっても,ヘーグ陸戦条約3条が,個人の損害賠償請求権を認める趣旨で審議されていたとすることはできない。

エ さらに,控訴人らは,個人の賠償請求権に関する国際慣習法の成立やヘーグ陸戦条約3条の事後の実行例として,裁判所による処理,近時の国際社会における取扱例等を挙げている。

しかし,ヘーグ陸戦条約3条が個人の損害賠償請求権を定めたことを根拠づける実行例を挙げるのであれば,ヘーグ陸戦規則違反の行為によって被害を被った個 人が,交戦国に対し,同条に基づき直接に損害賠償請求権を行使し,当該国家がその義務の履行として賠償金を支払ったことを内容とする実行例でなければなら ないが,そのような実行例はなく,控訴人らの挙げる事例をヘーグ陸戦条約3条が個人の損害賠償請求権を認めたことを示す実行例であるということはできな い。

オ 国際法に国内法的効力が認められるとしても,個人が条約に基づいて直接国に対して損害賠償を請求するためには,その条約が個人の具体的権利を認め,そ の実現方法を定めている必要があるが,ヘーグ陸戦条約3条には,このような実現方法を定めた規定はないから,同条約3条を法的根拠として,個人が国に対し て損害賠償を請求することができない。

したがって,国際法の国内法的効力を理由として,我が国の裁判においてヘーグ陸戦条約3条を内容とする国際慣習法を適用することが可能であるとする控訴人らの主張は,失当である。

(2)国際私法による請求について

ア 国際私法,特に法例11条1項の適用について
控訴人らが主張する被控訴人の行為は,国家の権力的作用に属する極めて公法的色彩の強い行為であって,国家の利害というものから切り離して考えることがで きず,公権力の行使を伴う国家賠償という法律関係については,我が国の国家利益が直接反映される法律関係ということができるから,国際私法の適用対象とは ならない。このような行為又は法律関係について,私法の適用を認めた上,一般抵触法規である法例を適用することはできない。その理由は,以下のとおりであ る。

(ア)国際私法は,普遍的人類共通の安全確保を任務とし,渉外的私法関係に適用すべき私法を指定する法則であり,国際私法の主要課題は,私法の抵触問題の 解決にある。国際私法存立の基礎たる社会は,国内社会とは異なり,これよりも,高次の,いわばひとつの普遍人類社会であり世界社会である。ここに私法関係 というのは,人類の社会生活関係のうちで私法の規律を受けるものを意味する。そして,私法とは社会生活を営む私人間の生活関係の秩序であるから,私法の世 界に関する限り,国家権力の介入は,もしあるとしても,それはあくまでも消極的,受動的な意味を持つにすぎず,私法と国家主権とは不可分の牽連関係に立つ ものではなく,したがって私法の適用範囲は必ずしも国家主権の延長範囲と一致するものではない。国内私法も外国私法も,国家とは直接関係のない社会の法と して,平等の資格において併存するのが現状であり,それらの実質私法の上位にあって,当該法律関係を規律するのに最も適した私法を選択すべき任務を有する のが国際私法である。

これに対して,公法の抵触問題は,公法が,私法とは異なり,一国の公益と密接な関係を有する法律であることから,現在のところ,内国の裁判所において外国 の公法を直接適用することはあり得す,私法のそれとは全くその性質を異にする。国家の利益が直接反映される領域に属する法律関係(公法的法律関係)は,国 際私法の観点からは,公法の領域に属するものとして取り扱われることとなり,その対象外となることは明らかである。

(イ)このような観点から,国家の権力的作用に適用される国家賠償法を検討すると,同法は,公務員による公権力の行使を萎縮させないように公務員個人に対 し求償できる場合を限定し(同法1条2項) ,外国人が被害者である場合は,相互保証のあるときに限って賠償するものとし(同法6条),私法の領域とは異なる特別の法政策が採られている。これらは, 国家賠償の問題が国家の利害そのものと深く関係していることの証左である。特に,国家賠償法がこのような相互保証主義を採用したということは,公権力の行 使に基づく損害賠償責任の領域は,民法の予定する損害賠償責任の領域とは異なり,国の利害に直接関係する領域を構成することを示すものである。

諸外国の国家賠償制度を見ても,アメリカ合衆国,ドイツ,フランス,イタリア及びオーストリアでは,本件で問題とされているような公権力の行使に伴う国家 賠償責任については,外国における事件についても抵触法の介入を待たず,自国の法を適用していると考えられる。その上,国家責任の限定(軍隊の行動による 損害については,多くの国で何らかの制限がある。)がされ,相互保証主義,行政機関への前置主義等各国独自の国家利益を反映した法制度が採用されているこ とがうかがわれ,一般の私法と異なる取扱いがされていることは明らかである。

(ウ)なお,控訴人らは,国際私法と実質法は全く異なる次元の法律であって,実現しようとする正義の観念も異なるものであるから,実質法について当てはまる法理は国際私法に当てはまらず,実質法を前提として国際私法を解釈することは誤りであると主張する。

しかし,法律関係の性質決定ないし個々の渉外事件の具体的解決は,各国の抵触規定自体の解釈問題に帰着するのであって,我が国の通説も同様の立場を採っている(国際私法独自説ないし法廷地国際私法説)。

そして,我が国の法解釈において,我が国の法政策と矛盾がない解釈がされるべきことは当然のことであるから,我が国の実質法に関する検討を無視することは できず,控訴人らが主張する本件加害行為に伴う国の賠償責任という法律関係が法例11条1項の不法行為概念に含まれるか否かを検討するに当たって,我が国 の法制度の在り方という視点を欠くことができないのは当然といわなければならない。

(エ)控訴人らは,加害者と被害者との間に特別な法律関係が存在し,この法律関係に関連して不法行為が発生した場合に当該法律関係の準拠法として公務員所 属国法が適用される場合があるが,本件においては,加害者と被害者との間に特別な法律関係が存在しないから,付従的連結を認めることはできない旨主張し, さらに,結論として,本件における法律関係について,控訴人ら中国人が旧日本軍との「意図しない接触」によりその加害行為に巻き込まれたのであるから,不 法行為地法以外に両当事者にとって中立的な法は存在しない旨主張する。

しかし,そもそも控訴人らの立場は,当事者の期待の保護あるいは予測可能性の確保という観点のみから,本件について不法行為地法が準拠法とされるべきであ るとするものであるが,これは,本件のような国家賠償の問題について,国家が有する利益を全く無視するもので採り得ない。すなわち,国家賠償という法律分 野は,そもそも国家が責任を負わなかったり,制限されるという立法政策も数多く見られる法分野であることから明らかなように,当該国家の公益・政策と密接 不可分の関係にあるから,国家利益との関連性こそが重視されるものである。このことは,前記のとおり,諸外国の国家賠償制度においても,国家責任の限定, 相互保証主義等各国独自の国家利益を反映した法制度を採用していることからも明らかである。このような国家利益との関連性という観点からすれば,公務員の 公権力の行使に伴う不法行為については,不法行為の発生前から当事者間に特別な法律関係が存するか否かにより異なる取扱いをすべき十分な根拠は見出せず, 当事者間に特別な法律関係が存する場合についてのみ公務員所属国法が適用され得るとする控訴人らの主張には理由がない。

(オ)以上に述べたとおり,本件で控訴人らが主張する被控訴人の行為については,そもそも国際私法の適用はないから,法例11条1項の適用も,これを前提 とする中国国内法の適用もない。したがって,中国国内法を根拠とする控訴人らの請求は,適用し得ない法令に基づくものであるから,いずれも失当であり,法 的根拠を欠くものとして棄却を免れない。

イ 法例11条2項による日本法の累積適用,特に国家無答責の法理について
(ア)本件については,上記アのとおり,法例11条が適用されないか,仮に,控訴人らが主張するように同条1項の適用を考えてみても,同条2項により,不 法行為の成立については不法行為地法と法廷地法とが累積的に適用される結果,控訴人らの請求は,損害賠償の法的根拠を欠くことになる。

控訴人らの主張する行為は,法廷地である我が国の国家賠償法施行前の行為であり,同法附則6項によれば,「この法律施行前の行為に基づく損害については, なお従前の例による。」とされているが,大日本帝国憲法下においては,国の権力的作用については,民法の適用は排除され,また,これを規律する法令上の根 拠もなく,国の損害賠償責任は認められていなかったからである(国家無答責の法理)。

(イ)国家無答責の法理は,大日本帝国憲法の下において,当然の法理として,明治23年に公布された行政裁判法において,「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ 受理セス」(16条)と定められるとともに,裁判所構成法の制定の際にも貫徹され,これらによって行政裁判所の損害賠償請求事件に係る事物管轄が否定され るとともに,国家賠償請求訴訟を司法裁判所に提起することができないものとされた。また,同じく明治23年に公布された旧民法の制定過程においても,国家 責任に民法を適用するとの考えが排斥され,ボアソナード民法草案373条中の国家責任を根拠付ける「公ノ事務所ノ責任」についての規定が,国家無答責の法 理を前提として削除された。このように,行政裁判法と旧民法が公布された明治23年の時点で,国家の権力的作用についての国家無答責の法理を採用するとい う基本的法政策か確立したものである。

現行民法も,旧民法の考え方を受け継ぎ,公法上の行為には適用されないとの理解の下で制定されたものであり,このことは,民法典起草委員である穂積陳重, 梅謙次郎及び冨井政章の見解にも示されているが,国家賠償法も,民法の規定が公権力の行使による損害賠償には適用されないことを踏まえて制定されたもので あることは,同法案の審議内容から明らかである。

(ウ)控訴人らは,国家無答責の法理について,その実質的根拠を「治者と被治者の自同性」,「国家と法秩序の自同性」に求めることができるから,国家とそ の管轄に服する者との関係だけで成り立つものであって,日本国の管轄に服さない外国人である控訴人らに対しては適用されない旨主張する。

しかしながら,控訴人らが主張する被控訴人の行為は,権力的作用に属し,当時の我が国の法体系においては,権力的作用については民法の適用がなかったので あるから,被害者が日本人であると外国人であるとを問わず,権力的作用による損害については賠償を請求することができなかったというほかない。前記のとお り,明治23年の時点で,公権力の行使について国は損害賠償責任を負わないという立法政策が確立していたものであるが,このような法政策を採用した当時の 我が国の法制において,外国人が被害者である場合には権力的作用につき国家責任を肯定し,日本人か被害者である場合のみに国家無答責となるという立場を 採っていたと考えることは到底できない。

(エ)控訴人らは,国家無答責の法理が適用される前提となる公権力の行使といえるためには,3要件を満たす必要があるが,控訴人らの主張する行為について は,そのうち2つの要件が満たされないため,公権力の行使とはいえないから,国家無答責の法理の適用はないと主張する。

しかし,本件において控訴人らの主張するような要件を定立して国家無答責の法理が適用されないとするのは,無意味であるか,誤りである。

まず,「適法に行使すれば適法な公権力の行使と評価されるような授権が与えられていること」の要件は,控訴人らの主張を支持するものとはならない。本件加 害行為について,仮に,公務員が「適法に公権力を行使する権限」が存在しないのに行った「実力行使」であって,「裸の暴力にすきない」というのであれば, それは,公務員の私事による行為として,公務員個人の賠償責任の有無が問題となるにとどまり,国は損害賠償責任を負わない帰結となる。公務員にその権力的 作用を行う権限があったか否かは,当該公務員が個人として損害賠償責任を負うか否かを検討するに当たっては意味があるもので,当該公務員に与えられた権限 が公権力の行使に係るものであれば,その公務員は損害賠償責任を負わないか(この場合につき,判例は,行政裁判法施行以降,戦前,一貫して官吏無答責の立 場を採っていた。),権限が全くないと評価されれば,その公務員の私事に属する行為として,公務員個人だけが損害賠償責任を負うからである。次に,「加害 行為が国の統治権ないし主権に服する者に対する行為であること」の要件については,外国における軍隊の行為も,国家主権に基づく行為であることに変わりは なく,民法が,外国における外国人に対する行為であるからといって,軍隊の行為を私的団体の行為と同様に取り扱うものとはいえないから,このような場面で も国家無答責の法理は排除されない。仮に,法例11条2項により日本法が累積的に準用されるのであれば,日本国内での事件としてのいわば置き換えが行わ れ,よって上記の要件は満たされることになるから,国家無答責の法理も考慮されることになるものである。

(オ)また,控訴人らは,国家無答責の法理が実体法上の法理ではなく,手統規定に根拠を有するものである旨主張する。

しかし,国家無答責の法理は,国の権力的作用による損害については,民法の不法行為規定の適用がなく,国家賠償法施行前は,損害賠償責任を認める一般的規 定がなかったことによる実体法上の法理であって,単なる訴訟制度に基づくものではない。大日本帝国憲法下において,国家の権力的作用による損害について民 法の不法行為規定の適用を認め,実体法上損害賠償請求権が成立するとするなら,何故に裁判所に訴求できなかったのかについて説得的な説明がされていない。 裁判所に訴求できないのは,国家無答責の法理が,「君主ハ不善ヲ爲スコト能ハス」との理念に基づくものであって,実体法上損害賠償請求権が成立しないから にほかならない。

(カ)控訴人らは,本件のように著しく残虐な非人道的行為について国が国家無答責の法理を主張して責任を免れることは,正義公平の理念に照らして許されないから,国家賠償法附則6項の規定が条理上制限されるべきである旨主張する。

しかし,安易に「正義公平の理念」による裁判がされるべきでない。特に,本件のような戦争による被害については,戦争の勝敗とは無関係に,戦争当事国のみ ならず,その当事国相互の国民に広範囲に発生するものであり,特に第一次世界大戦後の近代の戦争においては,国家間の全面戦争の形態をとり,全国民に被害 が及ぶことからすると,正義・公平を論じて個別的救済を図ろうとすることは必ずしも適切ではない。中国との関係においても,日本国民は,中国が1945年 10月に公布した「日僑財産処理弁法」によって,財産を没収されるなど様々な被害を被るに至った。こうした戦争によって生じた被害の賠償問題は,戦後の講 和条約によって解決が図られ,我が国においては,サン・フランシスコ平和条約その他二国間の平和条約及びその他関連する条約によって法的に解決したのであ る。

ウ 民法724条後段の適用について
(ア)法例11条3項の規定による日本法累積適用には時効・除斥期間の問題が含まれないとする控訴人らの主張は,失当である。

法例11条2項及び3項の趣旨は,通説によれば,日本法上不法行為とされないものについてまで不法行為による救済を認める必要がないことを示したものであ り,同規定により,時効及び除斥期間も含み,不法行為の成立及び効果の全面にわたって,日本法が累積適用される。

(イ)民法724条後段の規定は,損害賠償請求権の除斥期間を定めたものと解するべきであり,これを時効を定めたものとする控訴人らの主張は失当である。

さらに,民法724条後段の適用制限に関する控訴人らの主張も,最高裁平成10年判決を正解しないものであって,失当である。控訴人らが引用する最高裁平 成10年判決は,あくまで民法158条の法意を根拠としたものであり,根拠となる法文がないのに,一般的に著しく正義公平の理念に反する場合には除斥斯間 の適用を排除できるとしたものではない。また,最高裁平成10年判決の事案では,心神喪失の常況が当該不法行為に起因するほかは,直接国側の行為が問題に されているわけではなく,むしろ,当該不法行為に起因する心神喪失の常況によって,20年以内に損害賠償請求の訴えを提起することができない事態がもたら されたことが,「著しく正義・公平の理念に反する」とされたものである。

(3)日中共同声明等と個人の損害賠償請求権との関係について(予備的主張)

ア 我が国と中国との間の戦後処理については,我が国と中華民国との間において,1952年(昭和27年)4月28日に署名された日華平和条約の前文にあるように,

「歴史的及び文化的のきずなと地理的の近さとにかんがみ,善隣関係を相互に希望することを考慮し,その共通の福祉の増進並びに国際の平和及び安全の維持のための緊密な協力が重要である」

という認識の下に,両国間の戦争状態を終了させ,賠償及び戦争の結果として生じた諸問題を解決したものである。

我が国に対する賠償請求権について,同条約の議定書1(b)は,

「中華民国は,日本国民に対する寛厚と善意の表徴として,サン・フランシスコ平和条約第14条(a)1に基き日本国が提供すべき役務の利益を自発的に放棄する。」

と規定し,これにより,サン・フランシスコ平和条約14条(a)1に規定する賠償請求権が放棄された。そして,「中華民国」代表と日本国代表との間の「同意された議事録」4により,

「中華民国は本条約の議定書第1項(b)において述べられているように,役務賠償を自発的に放棄したので,サン・フランシスコ条約第14条(a)に基き同 国に及ぼされるべき唯一の残りの利益は,同条約第14条(a)2に規定された日本国の在外資産である。」

とされ,サン・フランシスコ平和条約21条に基づき,中国が,同条約14条(a)2の利益を受ける権利を有することについても確認された。

日華平和条約11条は,

「この条約及びこれを補足する文書に別段の定がある場合を除く外,日本国と中華民国との間に戦争状態の存在の結果として生じた問題は,サン・フランシスコ条約の相当規定に従って解決するものとする。」

と規定しているところ,同条にいう「サン・フランシスコ条約の相当規定」には,14条(b)及び19条(a)も含まれるから,これらの規定に従って,日本 国及びその国民と中国及びその国民との間の相互の請求権は,上記のサン・フランシスコ平和条約14条(a)1に基づく賠償請求権と併せて,すべてか放棄さ れたことになる。

その法的効果は,日華平和条約11条及びサン・フランシスコ平和条約14条(b)により,日本国及び日本国民が中国国民による国内法上の権利に基づく請求 に応ずる法律上の義務が消滅したものとして,これを拒絶することができるということであり,その内容を具体化する国内法を待つまでもなく,我が国の裁判所 において直接的に適用が可能であるから,裁判上の請求は,これらの規定の適用によって認容されないこととなる。

イ 日華平和条約締結後20年を経て,日本国政府は,1972年(昭和47年)に日中共同声明に署名した。日中共同声明の交渉過程において,日華平和条約 についての両国の立場の違いに起因するものとして,戦争状態の終了や賠償並びに財産及び請求権の問題があったが,困難な交渉の結果,以下に述べるとおり, 日中共同声明は,両国の立場それぞれと相いれるものとして作成されている。

例えば,戦争状態の終了について,1項において,

「日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は,この共同声明が発出される日に終了する。」

と規定されることとなった。我が国は,日中間の戦争状態については, 日華平和条約1条において,

「日本国と中華民国との間の戦争状態は,この条約が効力を生する日に終了する。」

と規定されているとおり,日華平和条約により終了したという一貫した立場であり,これは,戦争状態の終了が,一度限りの処分行為であり,法律的には,当時 中国を代表する合法政府であった中華民国政府との間で,国と国との関係を律する事項として処理済みであるという考え方に基づくものである。

これに対して,中華人民共和国は,日華平和条約が当初から無効であるとの立場であり,我が国の考え方とは基本的に異なるものであった。このような日中双方 の基本的立場に関連する困難な法的問題について,日中双方の交渉努力の結果,日中関係がいかなる意味においても正常化されたという点において日中双方の認 識の一致を図ったものである。ここにいう 「不正常な状態」とは,これまで我が国と中華人民共和国との間に国交がなかった状態を指すというのか我が国の理解であり,日中間の戦争状態が日華平和条約 によって終結しているとの立場と何ら矛盾しないものである。

ウ 賠償並びに財産及び請求権の問題についても,日中双方が交渉を重ねた結果,日中共同声明5項においては,

「中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」

旨規定されている。この点についても,日中両国は,戦争状態の終結と同様,一度限りの処分行為については日華平和条約によって法的に処理済みであるという 我が国の立場と日華平和条約を無効とする中華人民共和国との立場の違いを十分理解した上で,実体としてこの問題の完全かつ最終的な解決を図るべく,このよ うな規定ぶりにつき一致したものであり,その結果は日華平和条約による処理と同じであることを意図したものである。戦争の遂行中に日本国及びその国民が とった行動から生じた中国及びその国民の請求権が,法的には,日華平和条約により,国によって放棄されているという我が国の立場は,日中共同声明によって 変更されているわけではない。

したがって,日中共同声明5項は「戦争賠償の請求」のみに言及しているが,ここには先の大戦に係る中国国民の日本国及び日本国民に対する請求権の問題も処 理済みであるとの認識か当然に含まれ,この点については,中国政府も同様の認識と承知している。日中共同声明5項の表面上の文言のみをとらえて中国国民の 国内法上の請求権に基づく請求に応じる義務が日本国及びその国民にあると主張することはできない。

エ 以上のとおり,日華平和条約11条及びサン・フランシスコ平和条約14条(b)により,中国国民の日本国及びその国民に対する請求権は,国によって放 棄され,日中共同声明5項にいう「戦争賠償の請求」は,中国国民の日本国及びその国民に対する請求権も含むものとして,中華人民共和国政府がその「放棄」 を宣言したものであるから,日中間においては個人の請求権の問題が解決されていないと解するのは失当であり,この観点からも控訴人らの請求は,認容される 余地がない。

3 本件の主な争点は,次のとおりである。

(1)外国軍の構成員による本件加害行為のような行為について被害者個人が当該外国に対して国際法上の損害賠償を求める権利の成否

(2)旧日本軍の構成員による本件加害行為のような行為について控訴人らが被控訴人に対して国際私法(法例11条)に基づき損害賠償を求める請求の可否

(3)民法724条後段による損害賠償請求権の除斥期間の経過の有無

(4)サン・フランシスコ平和条約等による損害賠償請求権の放棄の有無

第3 当裁判所の判断
1 争点(1)について

(1)控訴人らは,外国軍の構成員による本件加害行為のような行為につき,国際法上,被害者個人が直接に外国に対して損害賠償を求める権利がある旨主張するに当たり,その根拠として,ヘーグ陸戦条約3条の規定を指摘する。

そこで,ヘーグ陸戦条約3条が,軍隊構成員によるヘーグ陸戦規則の違反行為について,当該軍隊構成員の所属国が被害者である個人に直接損害賠償責任を負う ことを定めたものといえるかどうかについて検討する。なお,ヘーグ陸戦条約は,明治40年(1907年)10月18日,我が国も参加した第2回国際平和会 議において採択されたもので,我が国は,同日署名し,明治44年(1911年)11月6日批准し,明治45年(1912年)1月13日公布している。

(2)まず,条約の文理から見ると,ヘーグ陸戦条約は,第1条において,

「締約国ハ共ノ陸軍軍隊ニ対シ本条約ニ附属スル陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則ニ適合スル訓令ヲ発スヘシ」

と定め,第2条において,

「第一条ニ掲ケタル規則及本条約ノ規定ハ交戦国力悉ク本条約ノ当事者ナルトキニ限締約国間ニノミ之ヲ適用ス」

と定めた上,第3条において,

「前記規則(ヘーグ陸戦規則)ノ条項ニ違反シタル交戦当事者ハ損害アルトキハ之カ賠償ノ責ヲ負フヘキモノトス 交戦当事者ハ其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行為ニ付責任ヲ負フ」

と定めている。これらの規定をみると,第1条は,締約国において各国の陸軍に訓令を発する義務を課し,これによってヘーグ陸戦規則の遵守を実現する方法を 採用しているものであるが,その方法は,国家相互間の権利義務を定めることによって条約の実現を図ろうとする伝統的な国際法の基本原則に沿うものであると いうことができ,第2条は,ヘーグ陸戦条約及びヘーグ陸戦規則の規定が締約国相互間に適用されるものであることを示しているが,これは,条約上の権利義務 が国家相互間に効力を生ずる条件を明示する場合の国際法上伝統的な規定の仕方に沿うものであるということができる。そして,ヘーグ陸戦条約の文言上,国家 が責任を負うべき相手方が個人であることを明記したものはなく,個人が国家に対して権利内容を実現する方法又は手続にも一切言及していないのである。

以上の諸点からすると,ヘーグ陸戦条約3条は,ヘーグ陸戦規則違反の交戦当事国に損害賠償義務を課しているが,第1条と併せ考えると,締約国が訓令を発す ることにより実現すべきものとしたヘーグ陸戦規則の遵守につき,その履行を確保するため,交戦当事国に損害賠償義務を課するという方法で違法行為に対する 民事上の制裁を内容とする国家責任を規定したものとみることがてき,ヘーグ陸戦条約3条が交戦国に対して課した損害賠償責任は,ヘーグ陸戦規則の違反行為 を行った軍隊構成員の所属する国家が,その違反行為により被害を被った個人の所属する国家に対して民事上の制裁として負うべき国家間の賠償責任を意味する ものであって,それ以上に,同条が,被害者個人に対し,国際法上の実体的な損害賠償請求権を付与する趣旨を含むと解することは到底できない。甲104(テ オトア・メロン)及び107(モーリス・グリーンスパン)の見解のうち,以上の説示に反する部分は,採用しない。

(3)控訴人らは,ヘーグ陸戦条約3条の解釈に関して,次のとおり主張するが,いずれも採用の限りではない。

ア まず,控訴人らは,ヘーグ陸戦条約3条が「賠償(compensation)」の支払を要求し,原状回復や陳謝,責任者処罰などをも射程に入れた 「reparation」という用語を用いていないとして,このことをもって,同条が個人を賠償請求主体としていることを裏付けるものと主張し,その主張 に沿う甲93(阿部浩己の意見書)を提出する。「賠償(compensation)」の語は,金銭賠償を意味し,国家が国際法に違反して他国の法益を侵害 した場合に,加害国が被害国の被った損害を補てんする場合に用いられるものであり(甲109も同旨),同条においても,あくまで責任主体を交戦当事者とし た上,金銭賠償の責任を負わせるものとして用いられ,その用語の選択は,国家に金銭賠償を課すことを一義的に明確にする趣旨に出たことは明らかであって, それ以上の含意を読み込むことは困難である。上記と見解を異にする証人阿部浩己の証言は,採用の限りでない。

イ 次に,控訴人らは,個人の賠償主体性が認められるべき根拠の一つとして,同条約の交戦法規としての性質を挙げているが,上記説示のとおり,ヘーグ陸戦 条約は,締約国に対して,当該国の陸軍に訓令を発し,あるいはヘーグ陸戦規則違反行為に対して損害賠償を負わせる義務を課す方法によって,国家相互間に条 約の実現を確保し,もってヘーグ陸戦法規違反行為による被害者個人の救済を図ったものとみるべきものであって,同条約が戦争の惨害を軽減することを目的と し,人道主義に基づくものであっても,交戦法規としての性質から,控訴人ら主張のような個人の賠償主体性を根拠付けることはできない。そもそも,人道主義 の下に,国家間の外交交渉と離れて,戦争被害につき個人に損害賠償請求権を認めることは,敗戦国及びその国民に対して,その被害の回復には措置をしないま まに,敗戦国及びその国民の支払能力にも戦後復興のための資源の維持にも配慮せずに,負担のみを課すことに帰し,戦後処理にかえって混乱と脅威をもたらし かねないもので,理念としても相当とはいい難い。

国際法が,沿革的に国家と国家又は国際機関等との法律関係に関するもので,国際法による規律が,本来的に国家と国家又は国際機関等を拘束するものであるこ とからすると,国際法における法主体については,原則として,国家又は国際機関に認められるものであって,個人には認められないということができる。個人 がその属する国家以外の国から被害を被った場合において,その回復については,その所属国の外交保護権の行使によって当該国家間において処理されるのが原 則であり,特別の国際法規範が存在しない限り,個人が加害国に対して直接に権利を行使することはあり得ない。そして,条約において,個人の権利又は利益の 確保を図り,その実現のために仕組みや手続を備える場合に,その条約の効果として個人が条約上の権利又は利益を享受し得る意味において国際法上の主体とな り得るということができるが,この場合においても,国家が条約等に違反して外国人の権利又は利益を侵害したときは,当該国家が,被害者の属する国家に対し て,被侵害利益を回復すべき義務を負うことになる。この理は,交戦法規に係る事象をも例外としないということができる。

ところで,ある国際事象が国際慣習法(国際司法裁判所規程38条1項b)として認知されるには,諸国家の行為の積み重ねを通して一定の国際慣行が成立して いること及びそれを法的な義務として確信する諸国家の信念が存在することが必要であると解される。これらの観点から,控訴人らの挙げる条約についてみる と,たしかに,第一次大戦後のヴェルサイユその他の講和条約によれば,連合国国民が個人として,これらの条約に基づき設置された混合仲裁裁判所に,旧敵国 政府を相手に,ドイツその他の旧敵国領土内にあった財産や権利が戦時非常措置又は移転措置によって被った財産的損害につき,その賠償の訴えを直接提起する ことができることとされたことは,戦勝国の国民の戦争被害の一部に限定されたもので,かつ,交戦当事国の事後の外交交渉によってのものであるとはいえ,個 人に国際法主体性を認めたものとして指摘することができる。他方,ニュールンベルク国際軍事裁判所条例6条が,軍事裁判の訴因として,平和に対する罪,戦 時犯罪,人道に対する罪及びこれらに対する対する謀議への関与を挙げ,これらに対しては「個人的責任が存する」と規定していることは,第二次世界大戦にお ける重大戦争犯罪の行為者個人の刑事責任を明らかにし,個人処罰を目的とするものであったものと認められるが,これは,これに拘束される国家に違反行為者 個人を国際裁判所の処罰に服させる義務を負わせるにすぎず,その違反行為者個人の所属する国家の民事責任を基礎づけるものとはいえない。また,国際刑事裁 判所規程が被害者に対する損害賠償等を有罪判決を受けた者に直接命令することができることと定めるのも(75条),人道に対する罪等を犯した者に対して刑 事裁判権を行使することを前提としてのものであり,被害者が被害の回復のために国際刑事裁判所に提訴することを容認するものではなく,旧ユーゴスラヴィア 国際裁判所設置に関する安全保障理事会決議827号も,旧ユーゴスラヴィアの領域における国際人道法に違反する者を訴追することと共に,刑罰の一つとして 犯罪行為によって得た財産等を正当な所有者に返還することを命しることができることを定めるが,民事上の被害回復を図ることを定めるものではない。これら は,いずれも,人道に対する罪の被害者にその違反行為者個人の所属する国家に対する損害賠償請求権を認めたものということはできず,これら又はこれらと同 様の措置をもって被害者による国家に対する損害賠償請求権を認めた国際慣習法が成立している証左とすることもできず,上記の解釈に影響を及ぼすものではな い。

交戦法規が一般に国家間の関係を規律する国際法と異なり,国家と個人を射程に入れたものとして位置づけられることから直ちに,個人に賠償請求の主体性を認 め得るとする甲93及び証人阿部浩巳の証言は,独自の見解として排斥せざるを得ない。控訴人らの援用する甲93に引用される裁判例も,例えば,アテネ控訴 裁判所によるエピラス徴発事件に係る判決(甲106)も,私有財産の不可侵性の根拠としてヘーグ陸戦規則46条及び53条を援用するにすきないものであっ て,その法主体性を認めるものか必ずしも明らかではなく,これらをもってしても上記判断を覆すに至らず,かえって1952年に刊行された赤十字国際委員会 によるジュネーブ条約の解説書(乙1)においても,ヘーグ陸戦条約3条について個人としての請求主体については消極の趣旨が明らかにされている。また,控 訴人らが個人の法主体性を認めるとするテオ・ファン・ホーベン作成の国連最終報告書の意見(甲1)は,1個の提言として位置づけられるものであって,これ をもってハーグ条約その他当時の国際法規範が個人に賠償請求権者としての地位を付与したことの裏付けとすることができず,他の甲2から6までについても同 様である。

(4)ヘーグ陸戦条約の定めについては,以上のとおりであるが,なお,控訴人らの主張に即して,同条約の締結の準備作業を見ることとする。証拠(乙2)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

ア 第2回国際平和会議の第2委員会で,ドイツ代表は,明治32年(1899年)の第1回国際平和会議において採択されたヘーグ陸戦規則の違反に対する制裁に関して,

Γ第1条 この規則の条項に違反して中立の者を侵害した交戦当事者は,その者に対して生じた損害をその者に対して賠償する責任を負う。交戦当事者は,その 軍隊を組成する人員の一切の行為に付き責任を負う。現金による即時の賠償が予定されていない場合において交戦当事者か生じた損害及び支払うべき賠償額を決 定することが,当面交戦行為と両立しないと交戦当事者か認めるときは,右決定を延期することができる。第2条 違反行為により交戦相手側を侵害したとき は,賠償の問題は,和平の締結時に解決するものとする。」

旨の条文を新設する提案を行い,その趣旨として,

「1899年ヘーグ陸戦条約によれば,各国政府は,その軍隊に対し,同条約附属規則の規定に従った訓令を出す以外の義務を負わない。これらの規定が軍隊に 対する指令の一部になることにかんがみれば,その違反行為は軍事刑罰法規により処断される。しかし,この刑事罰則だけでは,あらゆる個人の違反行為の予防 措置とはならないことは明らかである。そこで,同規則の違反行為による結果について検討することが必要である。国家の責任を過失責任の法理によることとす るのは不十分である。政府自身には何の過失もないというのがほとんどであろうから,同規則の違反により損害を受けた者は,政府に対し賠償を請求することが できないし,有責の士官又は兵卒に対して,賠償請求をすべきであるとしても,多くの場合は賠償を得ることができないてあろう。したがって,我々は,軍隊の 構成員が行った規則違反による一切の不法行為責任は,その者の属する国の政府が負うべきであると考える。そして,その責任,損害の程度,賠償の支払方法の 決定に当たっては,中立の者と敵国の者で区別し,中立の者が損害を受けた場合は,交戦行為と両立する最も迅速な救済を確保するために必要な措置を講じるも のとし,一方,敵国の者については,賠償の問題の解決を和平回復時まで延期することが必要不可欠である。」

旨の提案説明をした。

イ この提案に関しては,交戦国の市民と中立国の市民との間に区別を設けていた点について賛否か分かれ,第2委員会第1小委員会議長は,「現在の規定に欠 けている制裁条項を加えようという大変興味深いこの提案は,2つの部分からなっている。第1は,中立の者に関する部分であり,ある交戦当事国の軍隊を組成 する者により中立の者に対し生ぜしめられた損害はその者に対して賠償してしかるべしとしている。そこには権利があり義務があるが,交戦相手側の者に対して 生ぜしめられた損害については,いかなる権利も規定されていない。単に,交戦相手側の者に関する賠償の問題は,和平達成時に解決されるべきである旨述べら れているのみである。」旨を述べた。ロシア代表は,

「我々は,先程この会議に提案を行った際,戦時における平和市民の利益を念頭に置いていたが,ドイツ提案はその同じ利益に合致するものであると考える。我 々の提案は,1899年条約の実施に当たりこれら市民に課せられる苦痛を和らげることを目指すものであった。ドイツ提案は,この条約の違反によりこれら市 民に対し生ずる損害を想定したものである。これら2つの提案の根底にある懸念は正当なものであり,それ自体として国際的合意の対象となってしかるべきであ ると考える。」

などと述べた。続いて,フランス代表は,ドイツ修正案には,いくつかの不安かあるとして,

「ドイツ修正案に見られる主張は,中立国の国民と侵略地又は占領地に居住する交戦国の国民とを区別し,前者に有利な地位を与え,彼らにいわゆる中立の配当 を認めようとするものである。個人のためにとられる保護措置は中立の者か交戦相手側の者かにより区別を設けることなく,すべての者に対し同様に適用される べきであると考える。」

などと述べた。また,イギリス代表は,

「ドイツ修正案においては,中立の者に対し特権的地位が与えられているが,これを受け入れることはできない。第1条が中立の者に対し,受けた損害の賠償を 交戦当事者に要求する権利を与えているのに比べ,第2条では交戦相手側の者については賠償は和平の締結時に解決するとしている。したがって,交戦相手側の 者にとっては,賠償は平和条約に盛り込まれる条件次第,交戦国の交渉の結果次第ということになる。私は,陸戦の法規慣例違反の被害者に対し交戦当事国が賠 償をなすべき責任を否定するものではなく,英国はいかなる意味においてもこの責任を免れようとしているわけではない。」

などと述べた。一方,スイス代表は,ドイツ修正案に賛意を表明し,

「ドイツ修正案が中立の者に許し難い特権を与えるというのは誤りである。ドイツ修正案が示している原則は,損害を受けたすべての個人に対し,敵国の国民で あるか中立国の国民であるかを問わす適用可能である。これら2つのカテゴリーの被害者,すなわち権利保有者の間に設けられた唯一の区別は,賠償の支払に関 するものであり,この点に関する両者間の違いは物事の性質そのものにある。中立の者に対する賠償の支払は,責任ある交戦国が被害者の国とは平時にあり,ま た,平和な関係を維持しており,両国はあらゆるケースを容易にかつ遅滞なく解決し得る状態にあるため,たいていの場合,即時に行い得るであろう。このよう な容易さないし可能性は,戦時という一大事により,交戦国同士の間では存在しない。賠償請求権は中立の者と同様各々の交戦国の者についても生ずるが,交戦 国同士の間での賠償の支払は,和平を達成してからでなければ決定し実施することはできないてあろう。」

などと述べた。これに対し,ドイツ代表は,

「自分自身もできない最高の弁明をしていただいた。」

と謝辞を述べた。
そして,ドイツ代表は,上記提案が交戦国の市民と中立国の市民との間に区別を設けていることへの批判に対し,

「両者の間に権利の違いを設ける意図はなく,右提案は,賠償の支払方法を規定するものにすきない。」

などと回答した。

しかし,ドイツ代表の提案中の第1条には交戦当事国がその者に対して生じた損害を「その者に対して」賠償する責任を負うとの部分が存在することにつき,各 国代表のいずれの者からも,この文言に注目した発言や,この文言か損害を被った個人において加害国に対して直接損害賠償請求権を有するものであるとの認識 を踏まえてこれに賛否を表明したと見られる発言等は,全くなかった。

ウ 以上の検討を経て,第2委員会が,ドイツ代表の提案を

「本規則の条項に違反する交戦当事者は,損害が生じたときは,損害賠償の責任を負う。交戦当事者は,その軍隊を組成する人員の一切の行為につき責任を負う。」

との趣旨の規定にまとめ,この規定が総会において全会一致で採択され,最終的に,規則中ではなく,条約の本文としてヘーグ陸戦条約3条として盛り込まれた。

以上の認定事実によれば,たしかに,ドイツ代表の提案中の第1条には交戦当事国がその者に対して生じた損害を「その者に対して」賠償する責任を負うとの部 分があったものの,ドイツ代表の提案についての審議において,各国代表の関心は,専ら中立国の市民と交戦国の市民とを区別することの是非に向けられ,各国 代表のいずれの者からも,上記の文言に注目した発言や,上記の文言について損害を被った個人において加害国に対して直接損害賠償請求権を有するものである との認識を踏まえて賛否を表明したとみられる発言等は,全くなかったものである。そして,上記の審議経過及び最終的な条約成文の文言に照らすと,ドイツ代 表の提案がヘーグ陸戦規則違反の行為によって損害を被った個人が効果的に救済されるべきことを意図していたことはうかがわれるとしても,それ以上に進ん で,上記審議経過から,ヘーグ陸戦条約3条が,加害国に対して直接損害賠償を請求することを個人に許容する趣旨を含んでいたことをうかがうに足りる事情を 認めることはできない。この点に関して控訴人らの援用する甲31の1,32,101(フリッツ・カルスホーヴェン教授見解)は,ドイツの提案に係る起草作 業等を援用して,個人の賠償主体性を容認するが,上記に説示する理由により,同見解に依拠する他の諸見解(甲102,103,104)と共に,いずれも採 用し難い。

(5)さらに,事後の実行として控訴人らの援用する事例について検針する。

ア 証拠(甲105)及び弁論の全趣旨によれば,ドイツのミュンスター行政控訴裁判所は,昭和27年(1952年)4月9日,

「損害賠償請求権は,国内公法のみならず,国際法からも生じる。1907年のヘーグ陸戦条約3条により,国家は,自国の軍隊を組成する人員の一切の行為 (ヘーグ陸戦規則の違反)につき責任を負う。文民の保護のため広範な文言が選択された3条によれば,損害をもたらした者の過失は責任の要件ではない。3条 が軍隊構成員の行為にかかわる占領国の絶対責任について規定しているということは,国際法の疑いなき原則である。国際法の定めるこの絶対責任の枠内で国家 は「無形的」損害についても賠償する義務を負う。」

との判決を言い渡したことが認められる。

しかし,これは,ドイツ占領中のイギリス軍の使用する自動車によって人身被害を受けたドイツ住民が,イギリスではなく,自国を相手として損害賠償を求めた 本案に関するものであったから,控訴人らのいう個人の請求主体性に関する実行例に当たるということはできない。

イ 弁論の全趣旨によれば,ギリシャのレイヴァディア地方裁判所は,平成9年(1997年)10月30日,ギリシャ占領中のドイツ軍が行った残虐行為によ り被害を受けたギリシャ国民がドイツを相手として損害賠償請求をした事件について,ドイツが国家主権の侵害であるとして応訴しなかったにもかかわらず, ヘーグ陸戦条約がギリシャ及びドイツを拘束する国際慣習法の一部であるとして,同条約3条及びヘーグ陸戦規則46条に基づき,請求に理由がある旨判示し て,請求を認容したことが認められる。

この判決は,上記の判示部分に限り,控訴人らの主張に沿うものということができる。

ウ 証拠(甲114)及び弁論の全趣旨によれば,ドイツのボン地方裁判所は,平成9年(1997年)11月5日,

「侵略者の責任は,既に両世界大戦の間に国際法の要素になった。捕虜と占領地の一般住民を殺害したり奴隷化したりしてはならないという原則も国際法の一般 規則に属しているということについて意見が一致している。この一般原則は,1907年10月18日のヘーグ陸戦条約にも表現されている。ドイツ帝国は,同 条約を1919年10月7日に批准したので,その規則を遵守しなければならなかった。この条約の附属書(ヘーグ陸戦規則)52条によると,占領地の住民へ の課役は占領軍の需要のためにするのでなければ要求することができないし,住民が母国に対する戦闘行為に従事する義務も含めてはならない。その上,46条 によると,住民の名誉,生命,信仰・宗教は尊重されなくてはならない。したがって,交戦中のドイツ帝国は,ユダヤ系住民を軍事工場で殲滅を目的として非人 間的条件下で強制労働をさせることも禁じられていた。」

旨を述べた上,ヘーグ陸戦条約が相互主義の下で損害賠償責任を課しているわけではないこと,連邦憲法25条によってヘーグ陸戦条約が国内法化されているこ と,しかも同条約の効力順位が法律よりも上位に置かれていることを根拠として,ヘーグ陸戦条約により帝国公務員責任法の求める相互主義の適用を排除するこ とと共に,ヘーグ陸戦規則違反の行為に起因する損害賠償責任が個人のために援用される旨判示したが,ヘーグ陸戦条約3条を根拠としてではなく,ドイツ国内 法を根拠として,個人の国家(ドイツ)に対する損害賠償請求を認容したことが認められる。

そうすると,この判決は,ヘーグ陸戦条約3条が個人の国家に対する損害賠償請求権を認める根拠となり得るとする見解を示してはいるものの,これを根拠とし て請求の当否を判断したものとはいえないから,控訴人らのいう個人の請求主体性に関する実行例に当たるということはできない。

エ 証拠(甲109)及び弁論の全趣旨によれば,1949年8月12日ジュネーブ諸条約に対する1977年6月8日追加議定書に関する国際赤十字委員会作 成の解説(昭和62年(1987年)発行)には,たしかに,控訴人らの指摘する記載箇所が存在することが認められるが,

「賠償を受ける権利を有する者は,通常は,紛争当事国又はその国民である。」

とする部分については,あわせて中立国国民との関係について言及されているが,中立国国民に関しては紛争当事国の領土内にある中立国がその主体であると述 べ,また, 「被害者が賠償を受ける権利を否定することができない。」とする部分も,平和条約の締結に当たっての当事国の責務として言及されたものであり,そのほか解 説文の他の箇所(例えば,3657項)と併せ読むと,個人が直接相手国に対する賠償請求の主体になるとの見解を同委員会か採用したと解するには,いまだ不 十分であるといわざるを得ない。

上記の認定事実によれば,イ掲記のギリシャのレイヴァティア地方裁判所の裁判例は,控訴人らの主張に沿うものということができるが,他の裁判例は,いずれ も,これに当たらないものであることが明らかである。その他,控訴人らが事後の実行例として挙げる事例は,いずれも,個人の請求主体性を認めるものである とする控訴人らの主張に沿うものであることを認めるに足りる証拠はなく,個人の請求主体性を否定する米国第4巡回区控訴裁判所ほかの裁判例(これらの引用 する裁判例を含む。乙14,15)に照らしても,本件当時の前後を問わす,個人の損害賠償請求権の請求主体性を認める国際慣習法が成立したことを示すに足 りる実行例が備わっているということは,到底できないものといわなければならない。

(6)以上によれば,ヘーグ陸戦条約3条が,ヘーグ陸戦規則についての軍隊構成員による違反行為について,当該軍隊構成員の所属国が被害者である個人に直 接損害賠償責任を負うことを定めたものであるということはできず,本件当時,個人の損害賠償請求権の請求主体性を認める国際慣習法が成立していたというこ ともできないから,控訴人らの国際法による請求は,その余の点について判断するまでもなく,理由がない。

2 争点(2)について

(1)控訴人らは,中華民国民法により被控訴人に対して損害賠償を求めることができると主張するが,その前提として,本件には,国際私法として法例11条1項の適用がある旨主張するので,この点について,検討する。

ア 国際私法とは,国際社会において,複数の国に関係を持つ私法的生活関係が発生することから,各国私法間の抵触を解決するために,国際的な私法関係に適 用すべき法律を内外の私法の中から選択指定することを目的とする法律であるということができ,我が国の法例も,その意味での国際私法にほかならない。ここ に適用の対象となるべき法律関係は,私人間の普遍性のある関係であり,法の互換性が高く,国家の利益が直接に反映されることのない私法関係ということがで きる。

ところが,控訴人らが本件加害行為として主張する控訴人ら自ら又はその肉親らと被控訴人の法律関係は,その内容に照らせば,旧日本軍又はその軍隊構成員に よる戦争行為そのもの又はこれに関連し若しくは付随する行為とそれによって発生した被害の関係に該当し,対象とする責任主体も軍隊構成員個人ではなく,国 としての被控訴人であり,したがって,国家の権力的作用(公権力の行使)に属する極めて公法的色彩の強い行為に係る関係であることが明らかであるから,た とえ個人の私的利益の救済を目的とするものであっても,これを,私法規定の抵触の対象となる私法関係と捉え,一般抵触法規である法例を適用することは到底 できないものというべきである。この点は,証拠(乙16)及び弁論の全趣旨によって認められる諸外国(アメリカ,ドイツ,フランス及びオーストリア)の立 法例を見ても,国家の権力的作用(公権力の行使)に伴う加害行為については,各国の事情に応じて自国の法(国家賠償制度)を備え,国際私法による抵触処理 の問題とすることなく,自国の法を適用する取扱いがされているということができる。

したがって,本件加害行為に係る関係は,国際私法の適用される場面そのものではなく,その行為は法例11条1項にいう「不法行為」に当たらないことが明ら かであり,これに反する甲115,205,207,236号証及び証人奥田安弘の証言は,独自の見解として当裁判所の採るところではなく,同項の適用を前 提とする控訴人らの主張は,失当というべきである。

イ 控訴人らは,不法行為による損害賠償請求の存否については普遍的なもので国際私法が対象とするものであり,法例11条1項の「不法行為」概念について は,「何らかの行為(作為・不作為)があり,他人に損害が生じて,損害賠償責任を負わせるか否かという問題」を意味するとした上,本件では,旧日本軍によ る殺人や傷害などの行為があり,控訴人ら自ら又はその肉親らに損害が発生じ,日本国に損害賠償責任を負わせるか否かという問題が生じているのであるから, 法例11条1項の「不法行為」概念の問題であるとか,たまたま加害者が国家であることをもって本件を公法に係る関係とするのは公法の拡張であって許されな いなどと主張する。

しかし,ここで先決すべきものとして問われているのは,国際私法の適用対象となる法律関係に当たるか否かということであり,損害賠償責任の負担の問題より も前のもので,その前提となる当該法律関係(生活関係)の性質であるといわなければならない。そして,控訴人らが主張する「旧日本軍による殺人や傷害など の行為」に係る法律関係については,前記のとおり,国家の権力的作用(公権力の行使)に属する極めて公法的色彩の強い行為であるから,これを私法規定の抵 触の対象となる私法関係ととらえて一般抵触法規である法例を適用することができないこととなるのである。たしかに,国家による行為であっても,私経済作用 のように個人としての行為と異ならないものもあり得るが,他方,公権力の行使のように,個人としての資格ではなし得ない行為で,国家権力に淵源を有する国 家に固有のものも厳として存在することは否定することができないのであり,これらを捨象して,国家と個人を全く同等の立場に置いて,損害の発生とその賠償 責任の負担をもって法律関係として普遍化することは,上記の国際私法の使命を誤るといわざるを得ない。換言すれば,国権の発動としての行為の違法性等につ いて,当該国を単なる一私人として他国の私法で裁くことは,主権国家のあり方と原理的に相いれないものであり,諸外国における国家賠償制度からみてもあり 得ないことである。また,控訴人らは,本件加害行為について,公権力の行使として評価することができず,私人の行為と変わるものではないと主張するが,前 記のとおり,戦争行為又はこれに関連し若しくは付随して行われた行為としての特質を看過するものであり,しかも,個人としての行為と評価しながら国の責任 を問う矛盾を犯すことに帰し,失当である。

控訴人らの主張は,国際私法と実質法との相違を強調するようでいながら,「単なる損害賠償の問題である」などとして,結局は,損害賠償責任の有無という実 質法レベルの問題を先取りし,これを理由に国際私法の対象適格を論じようとするものであって,相当とはいい難い。

ウ また,控訴人らは,不法行為地法が,加害者にとっても被害者にとっても中立的な法として適用され,「意図しない接触」により旧日本軍の加害行為に巻き 込まれた本件では,不法行為地法以外に両当事者にとって中立的な法は存在しないとか,被害者である控訴人らにおいては,自国法が適用されることに合理的な 予測可能性と期待利益があるとか,本件加害行為によって侵害されたものは中華民国国家の秩序利益である旨主張するが,これらの主張も,当該法律関係が国際 私法の適用対象となる私法関係であることを前提にしているものであって,採り得ない。この場合において,国際私法の適用され得る先決事項として対象行為の 法律関係の性質を問題とする上において,国家の利益が直接反映される性質のものであるかを検対して,当該行為の私法的関係を否定しているにすきないので あって,控訴人らの主張するように国家の公益を優先して考慮しているものではない。

なお,控訴人らは,ユーゴスラビア大統領主催の狩りにおいてオーストリア大使か誤ってフランス大使を射殺したという事例を採り上げているが,この事例にお けるオーストリア大使の狩りへの参加行為が事柄の性質上公務としてされたものであるとはいい得るとしても,狩りへの参加中にフランス大使を射殺した行為を もって,オーストリアの公権力の行使(同国の権力的作用)に当たるとみることは到底適切とは考えられないから,この法律関係を国際私法による抵触処理の対 象とみることは十分可能であって,この事例を国際私法の対象適格性そのものか問題となっている本件と関連づけることは適切ではない。そして,控訴人らの挙 げる「付従的連結」ないし「従属的連結」の理論の適用は,国際私法による抵触処理の対象となった当該法律関係について初めて問題となるものであるから,こ れまた,本件に適切な事例として参照することは困難であるというべきである。

エ そのほか,控訴人らは,本件加害行為について日本国の公法である国家賠償法を域外に適用することになれば,中華民国の秩序回復利益を奪うこととなり, 権利の濫用であるから,そもそも国家に対する損害賠償請求に係る法律関係を公法的関係とすることが誤りである趣旨の主張をする。

しかし,前記のとおり,本件加害行為に係る法律関係が公法的性質を有するものであることから,本件については国際私法が適用されないことをいうものであっ て,国際私法が適用されることを前提として,抵触法の選択として国家賠償法の適用をいうものではないから,控訴人らの主張は,国際私法の適用と抵触法の中 から適用されるべき法の選択を混同するものであって失当である。

(2)仮に,控訴人らの主張するように本件加害行為について法例11条1項か適用されて,不法行為地法である中華民国法が選択され,これによって被控訴人 について不法行為が成立するとした場合においても,同条2項の定めるところにより,当該行為が「日本ノ法律」によれば「不法ナラサルトキ」は不法行為とし て認められず,結局,中華民国法の適用が否定されることになるので,引き続き,この点を検討する。

ア 日本国憲法17条によれば,何人も,公務員の不法行為により損害を受けたときは,法律の定めるところにより,国又は公共団体に,その賠償を求めること ができるとされ,その規定の下で制定された国家賠償法(昭和22年10月27日法律第125号,同日施行)は,「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務 員が,その職務を行うについて,故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは,国又は公共団体が,これを賠償する責に任ずる。」旨定めているが (1条1項),同法附則6項は,「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。」としている。ここにいう「従前の例による」の法意 は,当該主体又は対象について,新法令の施行直前の法制度(法律にあっては,それに基づく施行政令,省令等を含む。)をそのまま凍結した状態で当ではめる 趣旨であるから,同法施行前の行為である本件加害行為については,国家賠償法施行前である大日本帝国憲法下の法制度が当ではまることになる。

イ そこで,国家賠償法施行前である大日本帝国憲法下の法制度についてみると,国の権力的作用に基づく損害について国の賠償責任を根拠付ける一般的規定は,実体法上,存在しなかったものというべきである。

この点について,控訴人らは,立法者意思,判例の変遷,学説の状況等から批判するので,さらに検討すると,証拠(乙61から66まで,乙74から77まで,80)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

(ア) 大日本帝国憲法(明治22年2月11日公布,明治23年11月29日施行)61条は,

「行政官庁ノ違法処分ニ由リ権利ヲ傷害セラレタリトスルノ訴訟ニシテ別ニ法律ヲ以テ定メタル行政裁判所ノ裁判ニ属スヘキモノハ司法裁判所ニ於テ受理スルノ限ニ在ラス」

と規定し,違法な公権力の行使による権利の侵害に係る訴訟(行政訴訟)については,一般的に行政裁判所の管轄に属すべきものとし,これを司法裁判所の裁判 から切り離すべきこととした。このような大日本帝国憲法の規定の下で,同年6月30日法律第48号をもって行政裁判法が公布され(同年10月1日施行), 行政裁判所が設置され,同法16条において,「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セス」と定め,一方,裁判所構成法(同年2月10日法律第6号,同年11 月1日施行)は,2条1項において,

「通常裁判所ニ於テハ民事刑事ヲ裁判スルモノトス但シ法律ヲ以テ特別裁判所ノ管轄ニ属セシメタルモノハ此ノ限ニ在ラス」

と定めた。
これらの趣旨についてみると,まず,行政裁判決については,その基礎となった草案であるモッセ案を作成したモッセは,「国ノ民法上損害賠償義務ニ関スル意 見」と題する答議において,私経済主体としての国家と公権力主体としての国家とを区別し,国家が行う民事上の活動については,国家は民法に従って責任を負 い,その責任を問うために民事裁判所に損害賠償請求訴訟を提起することができるが,官吏が国権を執行するに際し,義務違反の処置又は怠慢により第三者に加 えた損害に対しては財産上責任を負わないとする見解を示し,モッセ案に従い,行政裁判決16条において,上記のとおり,国家は公権力の行使に基づく損害に ついての賠償責任を負わないとの前提で行政裁判所の事物管轄を定めたものであった。一方,裁判所構成法の立法過程において,当初,法律取調委員会案(帝国 司法裁判所構成法草案)33条では,地方裁判所の事物管轄として,

「第一 第一審トシテ (イ) 金額若クハ価額ニ拘ラス政府(中央政府ト其配下ノ官庁トヲ問ハス)ヨリ為シ又ハ之ニ対シテ為ス総テノ請求 (ロ) 金額若 クハ価額ニ拘ラス官吏ニ対シテ為ス総テノ請求但其請求公務ヨリ起リタル時ニ限ル (ハ) 其他区裁判所若クハ特別裁判所ニ専属スルモノヲ除キ総テノ請求」

とされていた。しかし,井上毅(明治21年2月から明治24年5月まで法制局長官在任)は,「裁判所構成法案意見」と題する書面において,

「官吏ノ公務ニ對シテハ要償スルコトヲ得ス何トナレハ其ノ公務ハ国権ノ一部ニシテ国権ハ民法上ノ責任ナキ者ナレハナリ官吏ニ對スルノ要償ハ其官吏ノ私事トシテ訴フル者ニ限ルヘシ」

との意見を述べてこれに反対し,国家は公権力の行使に基づく損害についての賠償責任を負わないとする井上毅の上記意見が採用される形で,国家責任に関する請求を地方裁判所の事物管轄とする規定部分が法律取調委員会案から削除された。

(イ)旧民法(財産編ほか)は,明治23年4月21日法律第28号をもって公布されたものであるが,その立法過程についてみると,その立法に携わったボア ソナードは,国家又は公共団体の権力的作用にも民法を適用すべきことについて,フランスその他の諸国においては異論のないところであり,日本においても同 様にすべきであるとし,旧民法草案(財産編)において,393条(修正案373条)として「公ノ事務所」の損害賠償責任を肯定する規定を設けていた。この 規定について,井上毅は,司法大臣らに対し,各国の学説と大いに異なるとしてその学説を紹介した上,実際の裁判例では特別に賠償を認める規定がある場合を 除き国家に賠償責任を認めていないとして,反対する意見を表明した書簡等を送り,審議の結果,旧民法373条から国家責任の規定が削除された。

この点に関し,井上毅は,旧民法公布の翌年に発表した「民法初稿第三百七十三條ニ對スル意見」において,

「行政権ハ国家生存ノ原力ヲ施行スルモノナリ故ニ其原カヲ實行スルニ當リ假令一私人ノ権利ヲ毀損シ利益ヲ侵害スルコトアルモ權利裁判若クハ訴願ニ依リ之ヲ 更正スルニ止リ国家ハ其損害賠償ノ責ニ任スルモノニ非ス」とした上,「職権アル官吏カ行政權ノ原カヲ執行セノカ爲メ施行シタル事件ニシテ人民ノ權利ヲ毀損 シ若クハ利益ヲ侵害シタルトキ私權上ノ所爲ト等ソク民法上ノ原則ヲ適用シテ政府其ノ損害賠償ノ責ニ任スヘシトセハ社會ノ活動ニ従ヒ公共ノ安寧ヲ保持シ人民 ノ幸福ヲ増進センカ爲メ便宜經理ヲ爲サゝル可カラサル行政機関ハ爲ニ其ノ運轉ヲ障礙セラレ危険ナル効果ヲ呈出スルニ至ラン」

とし,それ故に「現行民法ニハ此ノ條ナシ」として,国家責任を認めたボアソナード民法草案の規定を,国家は公権力の行使に基づく損害についての賠償責任を負わないとの前提で削除したものである旨明確に述べている。

また,現行民法(第1編から第3編まで)は,明治29年4月27日法律第89号をもって公布されたものであるが(明治31年7月16日施行),民法典起草 委員として草案の作成に当たった3名は,それぞれ次のとおり意見を明らかにしている。穂積陳重は,715条(草案723条)に関し,明治28年10月4日 の法典調査会において,

「一ノ明文ガアリマセネバ固ヨリ政府ノ事業ト雖モ私法的関係ニ付キマシテハ本案ハ當ラナケレバナリマセヌカラ他ニ特別法ガナイ場合ニ於テハ本案ハ當ルト御 答ヘシナケレバナリマセヌガ併シ本案ガ當ルガ良イカ惡ルイカハ第二ノ問題デアリマスガ此案ヲタテマストキニモ政府ノ官吏ガ其職務執行ニ付テ過失ガアツタト キニハ其責ニ任ズルヤ否ヤト云フ箇條ヲ置カウカト思ヒマシタガ併シ之ヲ民法ニ置キマスノハ不適當ノ場所デアルト考ヘマス」

等と回答し(穂積八束の質問に対するもの),官吏の職務上の不法行為に基づく国家賠償責任は民法(715粂)の規定の対象とはしていないとの見解を示している。梅謙次郎は,明治41年2月発行の法律雑誌中の「法典質疑録」と題する論文において,

「官吏ノ職務上ノ不法行為に基ク民事上ノ賠償責任」

に関し,

「國ニ付テ何等ノ規定ガナイカラト云ッテ,民715ヲ適用スルコトハ出來ヌ,寧ロ國ニハ不法行為ノ責任ナシト論決セネバナラヌ」

等と回答し,冨井政章も,東京帝国大学における大正元年の講義において,

「此ノ条ニハ或ル事業ノタメニ他人ヲ使用スルトアリ,爰二於テ官吏ノ加害行為ニ對スル国家ノ責任モ此ノ条文ニヨリテ規定シ居ルモノナランカ余ハコノ場合ニ 適用スヘキ規定ニアラスト思フ,民法ハ此ノ問題ノ決定ヲ行政法規ニ譲ル考ナリシカト思ハル・・・現行行政法ハ如何ニナリ居ルカトイウニソレハコゝニ説明ス ヘキ事項ニアラサルモ余ノ解スル所ニヨレハ特別ノ明文アル若干ノ場合ヲ除ク外一般原則トシテハ国家ニ賠償ノ義務ナシト云フ仕組ニナリ居ルト思フ」

と述べ,両名とも,官吏の職務上の不法行為に基づく国家賠償責任は民法(715条)の規定の対象としていないとの見解を示すとともに,一般に官吏の職務上の不法行為に基づく国家の賠償責任を根拠付ける規定は,民法以外にも存在しないと述べている。

(ウ) 次に,国家賠償法について,その法案の国会における審議経過によって,公権力の行使による国家賠償の問題と民法の不法行為責任の問題との関係についての起 草者側の見解を見ると,奥野健一政府委員は,昭和22年7月16日の第1回国会衆議院司法委員会において,

「今までは公権力の行使については國家は絶対に賠償の義務がないということであったのが,このたびの憲法の改正,並びにこの國家賠償法が施行ということに なりますれば,國家に賠償責任があるということになって,相当こういう事件が現れてくるのではないかという予想は十分もっております。」

「民法におきましては私法関係の規定でありまして,本法におきましては国家公共団体の公権力行使による場合の関係で,いわゆる公行政の関係で,私法的関係 ではありませんので,やはりこれを民法の中に規定するということはやはりその私的関係,公的関係と立場が違いますので,これを特別法にいたして,ここに国 家賠償法案なるものを立案いたしたわけでありまして,その内容等につきましては,第四條にありますように,大体ここに規定する以外の事柄はすべて民法の規 定によることにいたしたのであります。実質については,民法の不法行爲に関する点そのまま適用されることになりますが,先ほど申しましたように,これは公 法的な関係であり,民法は主として私法的な関係を規定してあるというところに差異があるというふうに考えます。」,

「従來国家公権力行使についての不法行爲の場合においては,國家は賠償責任がないという理論が判例,学説で大体確立されておりますので,今度憲法の規定に よって國家が賠償責任があるというそういう立法をすべきことを憲法で要請されておりますので,すなわちこの法律によって初めて国家が賠償の義務あることを 明らかにいたしたものと考えております。すなわち民法の直接そのままの適用が,今までの解釈から言つてないということになっておりますので,特にこの特別 法といいますか,この法案によって國家の賠償の義務あることを明らかにいたしたわけであります。」

等と答弁し,従来,公権力の行使について国家の損害賠償責任はないものとされ,この点について民法の適用はないものとされていたこと,国家賠償法によって初めて,公権力の行使についての国の損害賠償義務があるものとされたものであることを述べている。

(エ)学説の状況についてみると,大日本帝国憲法当時の支配的見解であった美濃部達吉及び佐々木惣一の所説も,公法関係に民法の規定を適用することはでき ないとするとともに,官吏の権力的作用による損害について国家の賠償責任を否定し,裁判例(大審院ほか司法裁判所)は,一貫して,国家の権力的作用による 損害についての賠償を求める訴えについて,民法不法行為規定の不適用を理由として,請求を棄却した。

ウ 上記の立法過程,学説及び判例のいずれの点から考察しても,日本国憲法17条の下で国家賠償法が制定される前においては,国の権力的作用に基づく損害 について国の賠償責任を定める法令は存在せず,国の権力的作用については民法の適用はないものとされていたのであり,国家賠償法によって初めて国の権力的 作用に基づく損害について国に賠償の義務あるとする法制度か成立したことが明らかである。最高裁昭和25年4月11日第三小法廷判決・裁判集民事3号 225頁も,警察官の家屋破壊の不法を理由とする損害賠償請求事件に関し,

「・・本件家屋の破壊行為が,国の私人と同様の関係に立つ経済的活動の性質を帯びるものでないことはいうまでもない。而して公権力の行使に関しては当然に は民法の適用のないこと原判決の説明するとおりであつて,旧憲法下においては,一般的に国の賠償責任を認めた法律もなかつたのであるから,本件破壊行為に ついて国が賠償責任を負う理由はない。」

と判示して,大日本帝国憲法下において,国の権力的作用(公権力の行使)については民法の適用はなく,国の権力的作用に基づく損害について国の賠償責任を 根拠付ける一般的規定は実体法上存在しなかったとの上記説示と同旨のことを明らかにした。そして,この法事象につき,国の権力的作用(公権力の行使)に基 づく損害について国が賠償責任を負わないという国家無答責の法理が基本的法政策として確立したといわれるのである。

エ 控訴人らは,国家無答責の法理に関して,種々非難するが,以下のとおり,いずれも独自の見解であって,採用の限りでない。

(ア)まず,控訴人らは,国家無答責の法理なるものの実体は,民法の適用範囲をめぐる裁判例の集積であるにすぎず,しかも,判例法というほど法的安定性を 有していない旨主張するが,大日本帝国憲法下においては,国の権力的作用に基づく損害について国の賠償責任を根拠付ける一般的規定は存在せず,かつ,国の 権力的作用については,民法の適用も否定されていたことは前記のとおりであり,このような法制度のあり方又は法状況を国家無答責の法理と称していたものに ほかならないから,控訴人らの上記主張は,正当とはいえない。

(イ)また,控訴人らは,国家無答責の法理について,大日本帝国憲法61条,行政裁判法16条等の存在により,国家賠償請求訴訟の管轄が手続法上否定されていたにすぎず,その実体法上の根拠はない旨主張する。

しかし,前記のとおり,国家無答責の法理は,国の権力的作用に基づく損害について国の賠償責任を根拠づける実体法上の一般的規定が存在しなかったことを意 味するものであり,一方,国の権力的作用については民法の適用はないのであるから,法制度の理解としでは,このような実体法上の理由かあるために,行政裁 判所の事物管轄を否定する手続制限が存在しているものとみるのが合理的というべきであり,司法裁判所が民法に基づくこの種の損害賠償請求訴訟を棄却する取 扱いをしたことも理にかなった措置というべきである。

(ウ)控訴人らは,国家無答責の法理は,その実質的な根拠を「治者と被治者の自同性」や「国家と法秩序の自同性」に求めることができるから,国家の管轄に 服する者との関係でのみ適用され,その管轄に服さない者に対しては国家無答責の法理は適用されないと主張する。

しかし,前記のとおり,国家無答責の法理は,大日本帝国憲法下の法事象として,国の権力的作用に基づく損害について,国に賠償の義務がないとすることを意 味するもので,国家の権力的作用の遂行を確保することに根拠を有するものとみるべきであって,「治者と被治者の自同性」,「国家と法秩序の自同性」等の所 説は,国民主権理論の影響の下に,国家公権の発動に対しては何らの責任を負うべきではないとの法政策についての一個の立論の説明概念として存在したものに すきないと理解されるから,これをもって,控訴人らの主張するように,国家無答責の法理の適用対象を限定する理由になるものではないことは明らかである。

(エ)さらに,控訴人らは,本件加害行為については,国家無答責の法理が適用される前提となる「公権力の行使」の必要要件のうち,(1)加害行為が実質的 に強制力ないし権力の行使といえる性質のものであることという要件は満たされているが,(2)適法に行使すれば適法な公権力の行使と評価されるような授権 が与えられていること,(3)加害行為が国の統治権ないし主権に服する者に対する行為であることという要件を満たさないため,公権力の行使とはいえないか ら,国家無答責の法理の適用はないと主張する。

しかし,(2)の点に関しでは,大日本帝国憲法下の法制度の下において,官吏の行為が公権力の行使に該当する場合には国家無答責の法理が適用され,その該 当性が否定される場合には官吏個人の行為としてその者が民法の適用によって損害賠償責任を負うものと理解されるのであり,適法に行使すれば適法な公権力の 行使と評価されるような授権さえも与えられていないような場合にあっては,官吏個人の行為としてその者が民法の適用によって損害賠償責任を負うことになる と考えられるから,このような場合には,そもそも,国家の責任が問題になる余地がないといわざるを得ない。また,(3)の点に関しでは,上記(ウ)のとお り,国家無答責の法理は,国家の権力的作用の遂行を確保することに根拠を有するものとみるべきであるから,加害行為が国の統治権ないし主権に服する者に対 する行為であるか否かによってその適用に差異を設けるべきことにはならないことは明らかである。

(オ)このほか,控訴人らは,本件加害行為が著しく残虐な非人道的行為であることにかんがみ,国家賠償法附則6項の適用を制限し,新法を遡及適用するべきである旨主張する。

しかし,国家賠償法を遡及適用するという法律不遡及の原則に反する措置を採るには,その旨の明文の規定を要するものであるから,特定の事例について,たと え控訴人ら主張のような事情があるからといって,法律によらないで,同法を遡及適用することはできないものというべきである。

オ 以上によれば,仮に,本件加害行為について,法例11条1項が適用されて不法行為地法である中華民国法が適用され,これによって被控訴人について不法 行為が成立するとされた場合においても,同条2項の定めるところにより,当該行為は,本件当時の「日本ノ法律」においては「不法ナラサルトキ」に当たるも のとして不法行為として認められず,結局,中華民国法の適用が否定されることが明らかである。控訴人らの主張は,採用することができない。

3 争点(3)について

(1)仮に,本件加害行為につき,法例11条1項によって不法行為地法である中華民国民法が適用されて不法行為の成立か認められ,かつ,同条2項により日 本法によっても不法行為であると評価されたとしても,同条3項により,不法行為の効力に係る日本法が累積適用されることになり,その規定として民法724 条後段か適用されることになることが明らかである。

法例11条3項は,不法行為の効力の全面にわたって日本法によって制限されることを定めたものと解するのが相当であり,同条2項と併せて,同条1項によっ て準拠法として不法行為地法が選択された場合であっても,不法行為に関する法が国内の公益秩序の維持にかかわるものであること等から,不法行為による救済 を日本法の救済の限度に留めたものであって,不法行為の成立と効力の全面にわたって日本法が累積適用されることを定めたものと見ることができるからであ る。法例11条3項の規定について,損害賠償の額及び方法にとどまるとする控訴人らの主張は,採用の限りでない。

(2)次に,民法724条後段の規定の適用について検討すると,同規定は,不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定めたものであって(最高 裁平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2209頁参照),時効を定めたものとする控訴人らの主張は採用することができない。

さらに,控訴人らは,最高裁平成10年判決を援用し,本件においては,極めて特殊な事情があり,控訴人らが権利行使をすることができなかった主要な原因が 被控訴人にあるから,除斥期間の適用が制限されるべきである旨主張する。しかし,最高裁平成10年判決が,民法724条後段を適用することが著しく正義・ 公平の理念に反しその適用を制限することが条理にかなうとした事例を見ると,「不法行為の被害者が不法行為の時から20年を経過する前6箇月内において右 不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合」という極めて限定された事実関係の下で,民法158条の規定の適用が時効の 場合について可能であるのに除斥期間については不可能となることによる不均衡等をも考慮の上,文言とおりの法規の適用が法全体を支配する正義・公平の理念 に著しく反するものと判断し,民法158条の定める期間の範囲内で権利行使をすることを許容したものであって,除斥斯間の適用を具体的事情によって制限す ることを広く認めたものではない。ところが,本件においては,控訴人らの主張を前提とすれば,控訴人らは,本件加害行為に係る加害者が旧日本軍の構成員で あることを,本件当時から認識し又は容易に認識し得たことが明らかであるといえるから,政治上その他の事情によって,本件におけるような権利行使か困難な 事情にあったとしても,そのような事情があることをもって除斥期間の延長を容認することは,民法724条後段の法意にもとるものであって,最高裁平成10 年判決の趣旨を超えるものというべきであり,そのほか控訴人らの主張する事情をもって,民法724条後段の適用を排除すべき特段の事情とするには当たらな い。

(3)そうすると,本件請求に係る訴えは,控訴人ら主張に係る本件加害行為があったとする時期から20年以上を経過した後に提起されたものであることが明らかであるから,民法724条後段の規定により請求権が消滅したものとして取り扱われざるを得ない。

4 まとめ

以上の次第であるから,控訴人らの本件請求は,その余の点について判断するまでもなく理由がなく,本件控訴はいずれも棄却を免れない。

第4 結論

よって,主文のとおり判決する。

東京高等裁判所第4民事部
裁判長裁判官 門口 正人

裁判官高橋勝男及び裁判官長秀之は,差支えのため署名押印することができない。
裁判長裁判官 門口 正人

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