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【平頂山事件】楊宝山さんの証言(抜粋)

  1. 私は、1922年9月21日(旧暦では8月18山東省平易県で生まれました。1928年、父が撫順 の炭坑で働くため家族で平頂山に引っ越してきました。事件のあった1932年当時、私の一家は、40歳代だった父楊清起、30歳代半ばだった母楊馬氏、そ して5歳だった弟の楊守山の4人家族でした。
  2. 朝、私が近所の友達と家の裏で遊んでいると、集落の北の方から日本軍兵士を乗せた計4台のトラックが集落の方に近づいてくるのが見えました。

    私は、日本軍兵士がたくさんやってきたのに驚いて、すぐに家に帰ってこのことを母親に報告しました。

    私が家に帰って間もなく、中国人か日本人かわかりませんが、私服を着た男が家に来て、穏やかな口調で「ゆうべ大刀会がここを通ったので、今日はここで銃撃 訓練をすることになりました。危ないから、牛乳屋の方へ避難して下さい。避難したところで写真を撮ります」と言いました。

  3. 私たちが屋外へ出ると、集落の中心を貫通している大通りは、北から南方面へ向かう平頂山の住民や、日本軍兵士で溢れていました。すでに崖下の平地には、平 頂山の住民が集められており、私たちは崖下よりも集落に近い方の位置で止まり、一家4人でかたまっていました。

    日本軍兵士が立っているところには、黒っぽい色で覆われたものが置かれているのが見えました。私はそれが写真機であると思い、「写真機が近くて良かったね」と喜びながら父に言いましたが、父は黙って何も答えませんでした。

    しばらくして、集落の方から煙が立っているのが見えてきました。すると、崖下に集まった住民の中から、叫び声を上げて騒ぐ者が出はじめてきました。そしてそのなかには、「あれは写真機じゃない。機関銃だぞ」という声があがりました。

    その後すぐに、写真機らしきものを覆っていた黒い布がさっと取り払われました。布の下にあったのは、写真機などではありませんでした。そこには、私たち住 民の方へ銃口が向けられた、黒光りする機関銃が現れたのです。機関銃は、すぐに火を噴き、一斉掃射が開始されました。

  4. 母は私の頭を押さえ地面に伏せさせました。私は母の胸の下に抱きかかえられるようなかたちで、北側の方に頭を向けて重なり合って倒れました。周囲では、泣き声、叫び声、そして銃声の音が充満していました。

    しばらくすると、鳴き声や叫び声は消え、銃声だけがしていました。私は、母の安否を確認するため、母の下になりながら、繰り返し「お母さん!」と呼びかけ 続け、母もこれに「うん、うん」と応えていました。最初の機銃掃射は、私たち家族のいたところの若干頭上に向けられて撃たれていたためか、私と母は何とか 難を逃れていました。

    どれくらいの時間が経ったのか機銃掃射が中断されましたが、私は恐怖でどうすることもできず、機銃掃射が始まってからずっと、硬く目を閉じていました。

    すぐにまた機銃掃射が始まりました。今度の機銃掃射は倒れ伏している住民に対しても万遍なく浴びせられました。母は、私を庇うように抱きかかえて横たわっ ていましたが、今度は私が呼びかけても返事は無く、滴り落ちてくる母の血が、私の顔を濡らす感触だけが伝わってきました。そして私も、右脇腹に急にしびれ を感じ、その後熱いものが流れ出している感触と痛みが出てきました。私はやはり恐怖で動くことができずに、じっと目を閉じていました。

  5. いつの間にか日本軍兵士が私たちの近くに寄ってきて、私の上に折り重なって倒れている母を、銃剣で持ち上げるようにして裏返しました。母の下で倒れていた 私は、顔が空を見上げるようなかたちであらわになってしまいました。日本軍兵士が銃剣で私の身体をつつきましたが、私は「動いたら殺される」と思い、じっ と目を閉じて動かないでいると、日本軍兵士は軍靴で私の頭を蹴るようにして踏みつけてゆきました。私はこのとき頭部に傷害を負いました。

    やがて、日本軍兵士が、トラックに乗って引き上げてゆく音が聞こえました。私は、その場から逃げようとして起きあがりました。

    そして、まず傍らに倒れている母を見ると、母は目を見開いたまま、口や鼻から血や泡を流していました。私は「お母さん!」と叫ぼうとしましたが、日本軍兵 士が来るかも知れないと思い、無言で母の身体を何度も何度も揺すりましたが、母はもう、びくとも動きませんでした。

    母の傍らにいた父も目を見開き、身体中血だらけで、揺すってもびくとも動きませんでした。弟は、母の後ろの方に身体中血だらけで倒れていました。父や母と同じく、いくら身体を揺すっても動くことはありませんでした。

    私は、数十歩ほど歩いた後、「もしかしてまだ母が生きているかもしれないと」と思い、振り返って再び元いた場所に戻ろうとしましたが、血塗れで折り重なった無数の死体の山の中で、どこに母がいるのかさえ。もう分からなくなってしまいました。

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