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国家無答責の原則について

平成17年2月23日
弁護士  森田太三
東京高等裁判所第15民事部 御中

1 国家無答責の原則は,これまで多くの戦後補償裁判に立ちはだかる壁でした。しかし,ここ1,2年の間に,この原則を克服する判例が次々と出ています。

この強制連行、強制労働は企業と国の共同実行とはいえ、国の関与がなければ到底実現しえませんでした。敵国の中国から4万人もの中国人を捕まえ、拉致し、 収容し、船に乗せ、日本各地135事業所に配属させることなど、国の関与がなければ到底実現しなかったでしょう。私達は、戦前の強制連行、強制労働に関与 した国の責任をはっきりさせること、この国の責任を司法が明確に認定すること、このことが高等裁判所の主要な争点の一つと考えています。

国家無答責の原則を本件に適用して被害者の救済を切り捨て、国家の責任を免罪することが,一体どのような意味を持つのか、改めて問い直されなければなりません。

国は,何故に、これほどまでにこの原則にしがみつくのか。強制連行、強制労働が、いかなる面から見ても許されないことは(当時の国内法やILO条約等から みても)明らかです。しかもこの被害は、戦闘行為の場面でやむなく犠牲になったというのではなく、当時の日本国内の労働力を補うため(日本の産業と国力を 養うために)、経済的な側面から計画されました。何の罪もない一般市民,農民を強制的に拉致し、日本に輸送し、日本の事業所で使役する、これほどまでに明 らかな違法が、何故、国家が実行したら免罪されるのでしょうか。

2 原判決は,多くの批判を浴びながらも,この原則の適用を排除した点で大きな意味を持ちました。原判決は,この原則の実体法上の根拠が明らかではないと して,法の解釈から導き出されたものであれば,日本国憲法下の法解釈において,これに拘泥する必要はないと判断しました。しかし,今もなお,国家無答責の 原則は「法がなかったから仕方がない」とする判決がいくつか散見されます。

しかし,この理由はこの問題の真剣な検討からの逃避です。「法律がない」というのは権力行為には民法の適用がないから法律がないといっているに過ぎません。では,何故,民法の適用がないのだ,という問には答えません。

日本の法令のどこを見ても,国家の権力行為に民法の適用はないという法律は存在しませんでした。国は,明治23年にすでに確立された法政策だったと主張し ます。しかし,現行民法715条の論争を見れば,明治28年においてすら,民法起草者の中では,権力行為に民法を適用する立場が優勢でした。民法の適用を 排除するなら「特別の立法が必要だ」との立場が有力であり,特別の立法がない限り,民法の適用があると現行民法の起草者らは述べています。

そして,結局,この判断はその後の判例に委ねられることになりました。その後の経過を見れば,紆余曲折を経ながら,権力行為には民法は適用されないという判例が出現してゆきます。しかし,この原則についてははっきりと二つの点が指摘できます。

その一つは,実体法上の根拠は明らかではなく,結局,判例による法令の解釈で認められていったということであり,二つは,その適用も次第に,国だからこそ行う行政行為を権力行為として捉え直して,適用の範囲を狭めていったという点です。

戦前の判例においても,この原則の根拠は曖昧なものでした。突き詰めていくと,その理由は,当時の国家主義から来る実質的な理由でしかなく,井上毅が声高 に述べていた「国家行政作用への障害、麻痺の回避」という要請にしかないというべきです。しかし、そうであれば,その適用には自ずから明らかな限界がある はずです。

大審院判例は,戦前の厳しい国家主義の下でも,今の私たちが驚くほど,被害救済の立場から,可能な限り,その適用範囲を限定し,法の救済の枠を広げていき ました。この姿勢は,「法律がない」として国家の免責を認める今日の一部の判決とは無縁なものです。大審院判例が守ろうとしたもの,この原則の画する範 囲、理由を裁判所は、是非、本訴訟でも探求していただきたいと思います。この点から、私たちは、今回の書面では、3つの観点から国家無答責の適用排除を主 張しています。

3 一つは、この原則は、正義、公平の原則から適用を制限されるべきであるというものです。戦前の判例の事例と本件との間には、明らかに事案の違いが存在 するからです。加害行為の残虐非道性、被害の甚大さ、通常の国家行為を前提として起こる通常の過失行為ではないこと、被害者が国家の主権に服さない中国人 であること、ILO第29号条約に明らかに違反しているという点です。こうした相違は、国家無答責の原則そのものを具体的な事案如何によって見直すことを 求めています。

裁判所は、戦後のどさくさにまぎれて、国家が企業への損害補償として今の価値にして500億円に近い補償金を出したことをご存じでしょうか。この金は、国 への懇談会、記念品贈呈、酒の饗応など贈収賄まがいの行為によって支出されたものです。強制連行、強制労働を行った共同不法行為者が、自らの損害を国家に よって穴埋めしようとし、国家がそれに唯々諾々として応じる。中国人被害者には一銭の補償も行わずにです。その一方で,国家無答責を主張して,被害者から の責任は否定する。これがこの原則の実態です。法の目指すものが正義であるなら、この原則の適用ははっきりと排斥すべきです。

4 ILO29号条約違反について、再度注意を喚起したいと思います。ILO第29号条約を日本国家は批准しましたが、このことによってこれに違反する行 為は、それが国家によるものであったとしても、日本国内法によって違法であると評価されていたことは明らかです。確かに,国際法上の平面では,個人の請求 権は認められていなかったかもしれません。しかし,この条約は,強制労働者の人権保護を目指したものである以上,他の人権規約と同様に,国家が個人に対し て意味を持つ規範でもありました。そうであれば,国内法上の平面で,被害者が加害国家に対して責任を追及できるかどうかは,純粋に国内法の解釈の問題であ り,国際法上,個人請求権があるかどうかとは別の次元で考えるべきであることは明らかです。

国家は違反に対して条約上の責任を負う。その規範は個人に対しても意味を持つ。その個人が国際法上では請求権を行使できないから,加害国の国内法で責任を追及する。その成否は純粋に国内法の解釈の問題であるはずです。

5 私たちの主張の3番目は、本件が私法的性格を持ち、国家無答責を適用しない事案だということです。中国人強制連行、強制労働問題は、もちろん国家の犯罪行為ですが,国家無答責が問題とする「権力行為」であるかどうかは今一度再検討が必要です。

中国人の内地移入の事業は、大きな国家プロジェクトでした。その性格は、中国人の労働力を日本の戦時経済体制の中で如何に効率よく利用するかという経済問 題でした。この制度設計の上に中国人の内地移入の事業が計画され,契約労働を前提とする細目が計画されます。しかし,その制度設計がそのまま履行されず、 強制的な連行、強制労働という違法行為が犯されました。したがって,この問題は、中国人労働者の斡旋,輸送,使役,雇用といった経済問題を土台として起 こった国家の犯罪行為であるという私法的性格をもちます。

この問題には民間企業が共同行為者として関与しました。民間企業は言うまでもなく企業の論理、資本の論理で経済行為として関与しました。それが強制的であることと民間企業が経済的私法行為として関与することに矛盾はありません。

ならば,民間企業は責任を負うが日本国は国家無答責で免責されるという奇妙な結論は、ただ国家として犯したという理由だからに過ぎず、そのような結論は大審院の判例から見ても明らかに違反するというべきです。

6 裁判所におかれては,以上の諸点を十分に検討されて,国家無答責の原則の適用につき,明確に排斥する判断をなされることをお願いして,私の意見とします。

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