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劉連仁訴訟控訴審口頭弁論終結にあたっての意見書

2004年10月26日
東京高等裁判所第14民事部 御中
被控訴人ら代理人 弁護士 小野寺 利孝(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団団長代行)

1.はじめに

本件訴訟は、たった一人の被害者に関わる訴訟であるにもかかわらず、一審で5年3ヶ月余、控訴審では、3年3ヶ月の長期に及ぶ審理が必要とされた事案で す。裁判促進が至上命題とされる今日の司法状況下では、異例とも言えるほど充実した審理をつくしたものと評価されます。
私は、控訴審の最終弁論の冒頭において、裁判官の皆様が、この間劉煥新氏の幾度にもわたる意見陳述をはじめ私たちの弁論に常に真剣に耳を傾けていただき、たえず公正な訴訟指揮に意を尽くされたことに対し心からの敬意を表する次第です。

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2.一審判決と劉連仁さんの死

ご承知のとおり、一審判決は、劉連仁さんの体験した過酷な強制連行・強制労働事件について、その背景事実と被害の事実をていねいに認定し、その上で劉連仁 さんの13年に及ぶ逃亡生活のもたらした筆舌に尽くしがたい被害との関連で、日本国の「戦後責任」を厳しく断罪し、劉連仁さんに対し金2000万円の損害 賠償の支払いを命じました。

しかし、この戦後の日中関係史と日本の司法の歴史にしっかりと刻み込まれた輝かしい判決を、劉連仁さん自身は聴くことなく、闘いの継続を妻と子に託して 2000年9月2日この世を去っています。劉連仁さんは、逃亡生活に終止符を打った1958年2月以来、日本政府に対し、強制連行と強制労働の事実を認 め、誠実な謝罪と賠償を支払うよう生涯かけて求め続けてきました。闘い半ばにして逝った劉連仁さんの心中を考えますと、どんなに無念であったか、察するに 余りあるものがあります。

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3.劉連仁さんとの出逢いと裁判提起に至る経過

私が、劉連仁さんと初めてお会いしたのは、1994年暮れ、北京のホテルの小さな一室でのことでした。私は、13年間も厳しい北海道の冬と闘って生き抜い た不屈の人という先入観があったこともあって、目の前に坐って自らの人生体験を淡々と語る姿に接し、そのおだやかな人となりに深く感銘を受けたことを昨日 のように思い出されます。

その翌年の初めに、再度北京でお会いして、より詳しく体験と未だに癒されない被害の実相を聴かせていただくとともに、日本政府に対する積年のおもいと要求をどう実現するかについてあれこれ相談しました。

この当時、わが国では90年代に入って提訴された多くの戦後補償裁判が、積極的に闘われていました。しかし、日本軍による戦争犯罪の中で、最大の被害をも たらしたのは中国ですが、その中国人戦争被害者を原告とする戦後補償訴訟は、いまだ1件も提訴されていませんでした。当時において、最も早く提訴を検討し ていた花岡事件の関係者の中でも、未だ提訴は不可能というのが共通の認識になっていました。

その最大の障害は、仮に日本の裁判所に提訴したとしても、被害者たちが原告として裁判所に出廷するために中国を出国し訪日することについて、中国公民の出入国を管理する中国政府がその出国を許可してくれる保障がないことに由来するものでした。

事実、花岡事件をはじめとする中国戦後補償裁判が提起できるに至ったのは、1995年3月15日、銭基探外相によって、戦争被害者個人による戦後補償裁判を容認するという談話があったからでした。

当時、このように裁判を提起すること自体が大変厳しい状況にあったこともありますが、劉連仁訴訟が、花岡事件から8ヶ月ほど遅れて提起されたのには、別の 理由があってのことです。劉連仁さんは、戦後50周年という大きな節目を迎え、日本政府、当時の村山内閣総理大臣に対し、最後の試みとして自分の積年のお もいと要求を手紙に記し、これを直訴状として首相に直接渡し、その回答をぜひもらいたいと強く望んだのです。

その理由を、劉連仁さんは、私たちに対し次のように語ったのでした。
「1958年2月、自分が13年の逃亡後北海道の山中で発見され、日本軍国主義の敗戦をはじめて知ったとき、華僑や日本の平和を求める人々の支援を受けて 日本政府に対し、「謝罪」と「賠償」を要求しました。しかし、それに対して、当時の岸内閣は、官房長官愛知揆一氏をして、早く中国へ帰ってくれという手紙 に添えて10万円のお金を私に渡そうとしただけでした。当時の政府は、私の要求を拒んだのです。私は、趣旨不明のお金は受けとれないと拒み、なによりも謝 罪を強く求めました。しかし、当時お世話になった周囲の人々から、いずれ日本政府が回答するよう努力するから、とりあえず中国へ帰って回答を待って欲しい と説得され、帰国したのです。そのとき以来、いつの日か、日本政府からの誠意ある回答をもらえるものと今日まで待ち続けて来たので、どうしてもその念願を 果たしたい。決して、裁判が目的ではない。自分の人生を奪い、取り戻しの出来ないまでに破壊した日本政府の誠意ある謝罪が欲しい。そのうえでの賠償があれ ば、それで良いということだ。」

私たちは、劉連仁さんのこのおもいと要求を重く受けとめました。そして、このおもいと要求をその後の闘いの原点に据えることを確認して、劉連仁さんの闘いは出発したのです。

劉連仁さんは、この直訴状において、積年のおもいを詳しく綴り、自分に対する日本政府の真摯な謝罪と誠実な賠償が、必ずや日中両国民の信頼回復と日中両国 の真の友好と平和を築くうえで役立つにちがいないとの確信を記しています。この直訴状を、当時の社会党の党首である村山首相が受けとってくれたことを、誰 よりも劉連仁さんが喜んでいたことを私は忘れません。

しかし、2ヶ月、3ヶ月経っても、劉連仁さんに対するなんらの返事もありませんでした。残念ながら、村山内閣は、この劉連仁さんの最後の訴えに耳を傾けな いばかりか、岸内閣同様これを無視したのです。その後劉連仁さんは、私たちと提訴に向けての話し合いを行いましたが、その中で、「日本政府を被告にして裁 判を提起し、自分の命をかけて勝利するまで闘う。自分が死んだ後は、息子や孫が必ず勝利するまで闘うことになる。」と全身を怒りに震わせながら決意を語っ たのです。このような経過をたどった末、本件訴訟が、1996年3月26日に提訴されるに至ったものであることを、改めて裁判官の皆様にご認識いただきた いと思います。

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4.原告らと弁護団が司法に求めるもの

(1)一審判決を経て学んだ教訓を生かした努力

劉連仁さんの亡きあと、その遺志を継いだ本件訴訟の一審原告らは、本件訴訟を最終的には日本政府との間で全面解決を合意して終結を図りたいと強く希望してきました。

それだけに、一審判決を得たとき、原告の劉煥新さんと弁護団は、この裁判を支える活動を担った市民の代表とともに首相官邸に赴き、「国は控訴を断念し、劉 連仁事件を全面的に解決するため、話し合いに応じて欲しい。」との申し入れを行いました。しかし、政府は、私たちと話し合うことさえ拒否し、一方的に控訴 してしまったのです。

私たちは、容易に国側の本件控訴を許してしまったという痛みを伴う体験で学んだこの時の教訓を生かし、控訴審で勝利判決を得たときには、一気に本件訴訟を 全面解決出来るだけの諸条件を可能な限り整えることを決意し、この3年3ヶ月の間、日中両国内で多様な努力を重ねてきました。

その主要な1つが、控訴審での法廷活動です。私たち弁護団は、一審判決で勝利した日本国の戦後責任をしっかりと打ち固めることは当然のこととしました。一 審判決は、戦前の強制連行・強制労働の事実を認定し控訴審でその加害と被害の事実をより厚く立証することによって、国の不法行為責任と安全配慮義務違反を 明らかにし、国家無答責と時効・除斥の適用を排除・制限する判決を獲得することに全力を投入したことでした。

私たちは、一審判決を超える質の高い勝利判決を獲得してこそはじめて、一審判決の持つ政治的制約を克服し、政府をして上告を断念させ、本件訴訟の全面解決を政治決断させる決定的な力になると受けとめているからです。

私たちは、これまで全国各地裁・高裁で到達した成果に加え、当審で積み上げた主張・立証の到達点を踏まえたとき、一審判決を克服した全面的勝利判決を必ずや得られるものと確信している次第です。

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(2)和解勧告と裁判所の見解の表明を

ところで、近年の日中関係は、小泉首相の靖国参拝に象徴される政治姿勢によって、この数年来両国首脳の相互訪問が途絶して首脳会談が断絶し、そのため今日の日中関係を称して「経熱政冷」と言われる緊張した状況にあります。

それだけに、私たちは結審にあたって、判決後について大いなる危惧を抱いています。つまり、当審で勝訴判決を得れば、原告らと私たち弁護団は、今度こそ政 府に対し、上告を断念し、本件訴訟の全面解決をはかることを要求し、この実現をめざします。しかし、判決後の上告期間、わずか2週間という短期間で、小泉 内閣をして全面解決を決断させることができるか、残念ながらぬぐいがたい疑問があります。

他方で、劉連仁さんの妻である原告の趙玉蘭さんは、高齢のうえ現在病弱であり、長男の劉煥新氏は、ぜひとも母の生きている間に本件訴訟を解決し、母の人生 の最後をおだやかに過ごさせたいと強く希望しております。私たちは、この要求を支持し、なんとか実現したいと考えています。

そこで、私たちは、日本政府に対し、この最終弁論の機会に、あらためて次の諸点について要求したい。

何よりも、本件訴訟の到達点を直視して欲しい。そのうえで、今は亡き劉連仁さんが求め続けた要求の重みを受けとめて欲しい。

さらに、この間、政府が外務省報告書を隠蔽し、国会答弁で劉連仁さんに対する強制連行・強制労働の事実を否定し続けたことを深く悔い改めて欲しい。これら の政府の所業と対応が、どれだけ劉連仁さんを傷つけ、さらには強制連行の被害者たちだけでなく中国国民の日本に対する信頼を損ねたかを自覚して欲しい。

そのうえで、劉連仁さんの全面解決要求を拒み続けた一連の負の歴史を改めて真摯に受けとめ、ここで本件劉連仁事件を政治的に解決することを決断されるよう強く求めたいのです。

ところで、私たちは、本日付で提出された控訴人の最終準備書面を一読して、日本政府の歴史認識の欠如と本件訴訟を含む戦後補償裁判の意義と過去の克服に関 する見識のなさに愕然としました。これが日本政府の公式見解というのであろうかと思わず我が目を疑ったほどです。

この準備書面の中で、日本政府は、本件中国人強制連行・強制労働事件というかって日本が国家ぐるみで犯した戦争犯罪が中国国民にもたらした被害を、無神経 にも侵略と被侵略の区別をあえて無視して「戦争によって全国民が蒙る被害」にすり替えています。それだけでなく、本件訴訟で亡劉連仁さんとその家族らが政 府に対し求めている「謝罪」と「賠償」の要求を「私益」であると一方的に決めつけているのです。加えてこれらの問題は、サ条約と二国間の条約で法的に決着 したと事実に反する主張を繰り返しています。この国が主張する「決着済み論」は、事実に立脚しないという点で全くの仮装にすぎません。にもかかわらず、国 はこの仮装の状態を日中両国間の「公益」とまで主張し、結論として劉連仁さんらの「私益」は、この「公益」を害してはならないと強弁しているのです。

果たして、日本政府は、このような見解を中国政府に外交ルートで表明しているのでしょうか。ちなみに、今日もなお中国政府は、駐日大使館のホームページを 通じて、「中国人労働者強制連行に関しては、中国政府は人民の正当な利益を擁護する立場から、日本側に真剣な対応と善処を要求している。」旨公表している のです。

この恥ずべき日本政府の主張は、国際社会、とりわけ中国をはじめとするアジア諸国民のなかで、日本国と日本人への信頼を大きく失墜させるものです。中国人である原告らはもとより、日本国民としてもこのような政府の主張を絶対に容認出来ません。

私たちは、現時点では、小泉内閣の政治姿勢とともに、政府が本件訴訟において示した「正義と公平」を足蹴にして一向に恥じるところのない姿勢や、わが国に 求められる国際感覚を全く欠いた対応を観るとき、本件訴訟を和解によって解決することは、極めて厳しい状況であることを充分認識しています。

しかし、そのうえでもなおかつ、先に述べた理由から裁判官の皆さんに対し、判決までのふさわしい時期に、「和解勧告」を試み、「和解にあたっての裁判所の見解」を提示されるよう求めたいのです。

私たちは、本件訴訟の勝利を支持してくれた署名、日本人約37万筆、中国人約63万筆、合計100万筆を2003年11月第7回口頭弁論までに裁判所宛に 提出しています。私たちは、結審後も、日中のこれら広範な人々へ働きかけ、政府が本件訴訟の和解のテーブルに着くこと、そのうえで、亡き劉連仁さんが求め てやまなかった日中両国民の信頼関係の回復と真の日中両国の「友好」と恒久の「平和」を確立することこそ、本来日本政府が追求すべき真の「公益」であるこ とを自覚するよう全力を尽くす決意です。

私は、最後に、裁判官の皆様による真に「正義と公平」を貫く勇気ある判決を心から期待しつつ、重ねて「和解」による本件訴訟の早期全面解決を実現するうえでふさわしいご尽力をもお願いして、弁論を了える次第です。
以上

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