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中国人強制連行・強制労働事件とは

1 政府決定による強制連行

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 中国人強制連行・強制労働とは、戦時期、当時の日本政府が、鉱業、土木建築業、造船業、港湾荷役業等を営む企業の要請を受け、国策として、これら企業の労 働力不足解消のため、中国人多数を強制的に拉致したうえで、その意思に反して日本国内に連行し、全国各地の鉱山、造船所、港湾等の事業場において、強制的 に重労働に従事させたというものです。強制連行された中国人の合計は3万8935人、強制労働が行われた事業場は全国135か所に上りました。

この中国人強制連行の端緒は、次のような政府の閣議決定にありました。すなわち、1942年11月27日、日本政府は、「戦争の進展に伴う労務需給の逼迫 に対処」するため、「華人労務者内地移入に関する件」についてと題する閣議決定を行いました。その内容は、華人労務者(中国人労働者)を、まず試験的に日 本に「移入」し、石炭鉱業等に従事させ、その成績を見たうえで華人労務者移入の全面的実施に移るというものでした。これにより、実際に1943年4月から 同年11月までに約2000人の中国人が日本国内に移入されました。この試験的な移入は満1年間の契約期間とされていたにもかかわらず、多くの中国人が戦 争が終結するまで帰国を許されませんでした。

このような閣議決定がなされた背景には、当時、日本の中国に対する侵略戦争が長期化し、さらに1941年からは太平洋戦争に突入し、戦争拡大の中で戦争を 維持し続けるために必要不可欠なエネルギーの確保、とりわけ石炭の増産が強く求められていたという事情があります。

そして、1944年2月28日、敗色濃い当時の戦局下、労働力不足解消を押し進めるべく、日本政府は、ついに「華人労務者内地移入の促進に関する件」と題 する次官会議決定をもって、中国人強制連行の本格実施に踏み切りました。それ以降終戦まで、約4万人の中国人が強制連行、強制労働の被害者となりました。

2 強制連行・強制労働の実態

では、実際にどのように中国人の強制連行、強制労働が行われたのでしょうか。

強制連行の被害者の多くは、主に日本の軍部によって身柄を拘束された人たちです。日本の軍人に銃剣を突然突きつけられ、有無を言わさず後ろ手に手錠を掛け られるなどして身柄を拘束された人々が多数、収容所に連行されていきました。日本人から「新しい仕事を紹介する」と言われてトラックに乗ったら、騙されて そのまま収容所に連れて行かれた人もいました。 ある人は農作業中に、ある人は買い物をしている際に、軍人たちによって、全く罪のない民間人が両親、妻 子、兄弟、友人、恋人その他の愛する人たちから強制的に引き離されてしまったのです。

身柄を拘束された中国人たちが連行された収容所(労工訓練所)は、華北の石門(石家庄)、済南、青島等にありましたが、そこでの生活は、想像を超える悲惨なものでした。

収容所では、狭い建物の中に大勢の中国人が押し込まれ、周囲は電流の通った鉄条網で囲まれていたので逃げることはできず、粗末で不衛生な衣服、わずかな食事や水しか与えられませんでした。収容所内で病気により命を失った人も多数いました。

その後、中国人たちは、青島や塘沽等の港に連れて行かれ、そこから日本まで船で運ばれました。 船の中でも収容所にも勝るとも劣らない悲惨な生活が待って いました。中国人の輸送に使われたのは、船といっても客船ではなく、石炭などの物資を運ぶ貨物船であり、狭い船倉内に大勢が押し込まれ、劣悪な環境下で日 本まで運ばれていったのです。さらに悪いことに、当時は戦局が悪化しており、日本近海は危険な状況にあり、迂回を強いられ、航海にかかる日数も多かったの です。

最長では日本到着まで39日を要したこともあり、食料や衛生事情の悪い中、多数の死者が出ました。 船中で死亡した人は564名、日本の港に着いても事業場にたどり着く前に力つきて死亡した人も248名に上りました。

日本の港に到着した後、彼らはすぐさま、炭坑や港湾など全国各地の事業場に連行されました。 そこでは、衣食住は全て劣悪な環境であり、ある事業場では、 衣類は中国で支給された作業着1着のみ、食事は1日にお粥1杯のみ、板に1枚のわらの敷き布団が敷かれたところで2人が一緒になって寝る、寒い冬にストー ブもないといった悲惨な状況でした。

このような劣悪な状況や過酷な労働のため、当然ながら、病気になる人が多数出ました。脚気、結核、肺炎、腸炎、大腸カタル、赤痢、疥癬その他ありとあらゆ る様々な病気に罹りました。病気になっても、医師の治療は受けられず、薬の支給さえもなされませんでした。その結果、死亡者は、6000名もの莫大な人数 に上りました。その中には、過酷な労働や生活に耐えかねて自殺した人も含まれています。

さらに、各事業場における労働の内容も過酷なものでした。厳重な環視のもと、中国人たちは、トンネル工事や石炭採掘などの危険な労働に従事させられました。

貧しい食事しか与えられず激しい空腹の中、休憩も休日もなく、1日10時間以上にも及ぶ長時間の労働を強いられました。このような過酷で危険な労働で、事故により手足を失った人や命を失った人が多数出たのです。

こうして、彼らは、終戦まで、まさに生き地獄のような生活を送らなければなりませんでした。

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