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【強制連行事件群馬訴訟】芮化江陳述書

東京高等裁判所
意見陳述書

尊敬する裁判官:

 私は芮化江といいます。1962年11月日生まれ、今年は数えて48歳です。中国・河北省永清県曹家務郷張家務村に住み、農民です。父親は芮慶華、かつて日本軍によって強制連行された被害者です。 私たちはきょうだい4人で、2人の兄、1 人の姉、私が末子です。父親は2002年5月に日本政府、加害企業を相手取って提訴したのですが、裁判始まって間もなく病気のため亡くなりました。私は父親が強制連行された日本から帰国した後で生まれたのですが、よく生前の父親から強制労働させられた苦難を聞かされました。今日、ここで父親に臨終で託されたことや沢出の強制連行被害者の願いを託されたことで、意見陳述をします。

 父親の芮慶華は、強制連行される前に同じ張家務村で、その両親と兄、妹と農作業をしていました。1043年、数え年の19歳のとき、八路軍の遊撃隊(抗日ゲリラ)に入隊しました。その年の旧暦の10月、ゲリラ隊はある村で日本軍に包囲されて、父親も48名のゲリラ隊員とともに捕まりました。

 48名は捕虜としてロープで後ろ手に縛られて、1台のトラックに載せられて、北京の西苑というところに連れられました。トラックの前と後ろに銃を持った日本兵が一人ずつ乗っていました。途中ずっと縛られたまま、夕方西苑の収容所に着き、大きな.庭に入ってようやくロープを解かれました。収容中の周りには電流の通った鉄条網が張り巡らされて、至るところに銃剣をつけた銃を持った日本兵が立っていました。ある時、逃げようとして鉄条網に触れて感電死した人を広場に置いてみんなに見せました。その人は、着ていた綿入れの服が燃えて、真っ黒になっていました。 父はその情景を見て、収容所から逃げ出すことは困難だと思いました。

 西苑の収容所で1日3回、高梁のご飯が出され、地面に超末な紙を敷き、配る人は茶碗一杯ずつ計って紙の上に乗せて配りました。寝具はぼろぼろになった毛布1枚を渡され、着衣は捕まったときに着ていた自分の服だけでした。西苑に3か月くらい留まった後、貨物列車に載せられて、外の様子はまったく見えませんでした。彼らは天津に移動された翌日、1000人ぐらいの中国人が船に乗せられ、船倉に入れられました。船は空襲を避けてしばしば止まるために半月ぐらいかかりでやっと日本に到着しました。

 父親はまた500人ぐらいの人と、列車で群馬まで連れられました。これらの場所や地名ものちに分かったものでした。当時はまったく知りませんでした。父親たちは、日本が降伏する1945年8月15日まで、利根郡月夜野町(当時、利根郡桃野村)で強制労韻を強いられました。トンネルを掘る工事に従事させられました。住むところは、木の板で作った建物で、屋根は木の皮で葺いたものでした。 中は両脇に板敷きの寝台があり、真ん中は通路になっていました。いつも日本人に監視されていました。作業服は一度も支給されたことはなく、捕まった時のままの服でした。トンネルの中の作業するために、破れた靴のようなものを麻袋で足に巻いて働きました。食事は、1日3回、毎回2個、大豆かすと小麦粉をこねて作った饅頭のような食べ物でした。長時間の重労働にもかかわらず、粗末で少ない食べ物しか与えられなかったので、中国人労働者はいつも飢えていしました。

 父親たちは毎日12時間以上も働かされて、トンネルを掘り、大きな岩を運び、“クルマ”と呼ばれたトロッコを押しました。トロッコを押す力がなく、現場監督の人に木の棒で殴られました。父親の頭にも大きな傷跡が残り、私たち子供もみな見たことがあります。また、日本語が分からず、誤った工具を渡して、斧で肩や背中にも殴られた傷跡があります。日本で働いた間、まともな食事も寝具衣服も与えられず、飢餓の中、連日重労働を強いられ、多くの中国人が病気になり、死亡しました。

 1945年8月15日、日本の敗戦によって父親ら強制労働者は、苦役から解放されました。敗戦から3ヶ月ぐらいは、父親たちは月夜野に留まりました。米軍から食べ物、着るものと靴などを支給されて、風呂にも入れるようになって、やっと人間らしい生活を送るようになりました。

 その後、父親たちは神戸からアメリカの船で青島に帰国しました。 青島で国民党の軍隊に3ヶ月入ったが、また田舎に戻って農民に戻りました。その後に結婚し、私たち男3人、女1人の子供が生まれました。

 私たちが大きくなり、みな父親から強制連行・強制労働の苦難を聞かされました。訴訟を起こす動きがあると分かると、父親も日本政府に正義を取り戻そうと立ち上がってきました。残念ながら訴訟の過程や結果も知らずに世を去りました。私は子供として、遺族を代表して父親の遺志を受け継ぎ、日本政府や加害者企業に対しての戦いを続けます。

 私は法律が公平なものだと信じ、日本の法廷も正義を擁護するところだと信じています。かつて日本政府や加害企業が犯したことに対し、正義惑のある中国人はみな忘れることせず、正義惑のある日本人も決して忘れることはないと思います。私は正義感のある裁判官の皆さんに、良心に従い、法律の尊厳を守るためにも、公正な道理を擁護するためにも、心から公平かつ正義な判決を下すようお願いします。従って、私たちは日本政府や企業に対し、戦争中に行ったことにきちんと責任を持って、中国人強制連行・強制労働被害者とその遺族に謝罪することや、私たちにしかるべき経済的な賠償を、強く要求したいと思います。そうすれば亡くなった父親も瞑目するでしょう。そうでなければ中国人民が許さないし、日本の人民も許さないし、全世界の人々も許さないです。私たちは公正、公平な結果を勝ち取るまで、戦って行きます。

 今日は法廷から私に意見陳述の時間を与えていただいて、感謝いたします。

陳述者:芮化江
2009年10月6日

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