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李秀英さん最高裁勝訴 -李秀英名誉毀損裁判最高裁判決勝利-

今年(2005年)1月21日、最高裁判所第1小法廷から李秀英名誉毀損裁判弁護団のもとに、「本件上告を棄却する。本件を上告審として受理しない。上告費用及び申立費用は上告人兼申立人らの負担とする。」との決定が届きました。

この事件は、李秀英さんが松村俊夫、展転杜らに対し、その著書『南京虐殺」への大疑問』(展転杜出版)の中で、李秀英さんがあたかも南京虐殺事件の被害者 として仕立てられた偽物であるかのように記述して、李秀英さんの名誉を著しく侵害したとして訴えた事件です。李秀英さんは、未だ南京虐殺事件の損害を日本 国から償われていないにもかかわらず、この著書によって、さらに本人の人生そのものを否定されるという筆舌に尽くしがたい被害に遭ったのです。1審、2審 判決で、松村俊夫氏らによる名誉毀損の事実が認められていましたが、最高裁判所において松村らの上告が棄却され、受理しないとされたのです。これにより、 松村らの名誉毀損を認める勝利判決が確定しました。

李秀英さんは、1937年12月19日、南京市の国際安全区内の小学校の地下室に隠れていた際、日本軍人によって強姦未遂にあい、抵抗したために瀕死の重傷を負わされる被害を受けました。

1995年、尾山宏弁護士を団長とする中国人戦争被害調査団と出会い、日本国を相手方として自らの被害の賠償請求の訴えをなすことを決意し、翌1995年 8月、731部隊被害者遺族、永安無差別爆撃被害者とともに日本国を相手として損害賠償を求める訴えを提起しました。

この裁判は、1999年9月22日、第1審判決があり、判決では、被害事実について認定され、国は謝罪すべきとの判示がなされたものの、賠償請求権につい ては認められませんでした。その後、李秀英さんはすぐに控訴し、本年(2004年)7月29日に控訴審も結審し、現在判決日は追って指定とされています。

一方、李秀英さんは、1995年以降、数度来日し、全国各地の証言集会に参加し、戦争を知らない若い世代の日本人に、日本の加害の実態と中国人の被害の事 実を語り続けました。李秀英さんの優しい人柄と、強い信念に多くの日本人が感銘を受けてきました。李秀英さんの日本での証言活動は、日中両国民の今後の友 好関係に必ずやよい影響を与えたことと確信いたします。

李秀英さんは、国に対する損害賠償請求事件、名誉段損事件の両事件の闘い半ばにして、この世を去りました。李秀英さんの無念はいかばかりのものかとお察し するとともに、ご存命中にこの最高裁の勝訴判決を李秀英さんにお届けできなかったことを深くお詫び申し上げます。

そして、何らの救済も行わないまま60年もの長き間、李秀英さんを始めとする被害者らを放置し続けた日本国に対して、強く抗議するとともに、一日も早い解 決を要求します。この度の最高裁勝利判決は、南京虐殺を否定する人々にとって大きな痛打となったと思います。現在、本多勝一さんを被告としていわゆる「百 人斬り裁判」が行われていますが、この裁判に'とつても大きな影響があると思います。(弁護士南典男)

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