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3・「慰安婦」事件・・・郭喜翠さんの被害

郭喜翠さんは1927年、山西省西藩郷銅炉村で生まれました。郭さんの姉は最初の夫が日本兵に殺害されてしまったので、再婚し宋庄村に住んでいましたが、郭さんはここに同居し、子守や家事の手伝いをしていました。

1942年旧暦7月のある日、日本兵と清郷隊(地元の住民により組織された日本軍に協力した武装組織)が宋庄村にやってきました。郭さんの姉の夫が八路軍に協力する活動をしていたことが日本軍に密告され、郭さんと姉夫婦、子ども3人が進圭村の日本軍拠点に連行されました。姉の夫は日本軍の情報隊長によって、棒で何度も殴られるなどの拷問をうけました。その後別の場所に移され、日本軍によって殺害されてしまいました。

郭さんは当時15歳で、両親が決めた許嫁がいましたが、まだ結婚しておらず、性体験はなく初潮もむかえていませんでした。しかし、その夜、郭さんは清郷隊員によって、日本軍の隊長のいる建物につれていかれました。隊長は郭さんの服をはぎとると二度強姦しました。郭さんは陰部から出血し、その夜は痛みと恐怖から眠ることができませんでした。姉と子どもたちは翌日解放されましたが、郭さんは引き続き監禁され、昼間は複数の日本兵と清郷隊員に輪姦され、夜から未明にかけては隊長などに強姦されました。時には日本兵に陰部を切断されたこともあり、そこは治療を受けることもできなかったため、化膿し、発熱し、浮腫が全身に広がったりしました。連行された半月後、郭さんは動くこともできないほど衰弱してしまいました。家族が銀50元を払ってようやく解放されました。家に帰っても寝たり起きたりという状態でした。一週間後、郭さんを最初に強姦した隊長が郭さんの家にやってきました。郭さんは家族のことを思い、再び進圭村に行きました。郭さんは最初に監禁された所に再び監禁され、強姦され続けました。合計郭さんは3回進圭村に行き、監禁、強姦、輪姦されました。

郭さんは旧暦9月ごろ解放され、宋庄村に戻りましたが、郭さんが身体的にも精神的にも極度に衰弱していたため、銅炉村に住む母方の祖母にかくまってもらい、母がつききりで看病しました。

5年後、郭さんは許嫁と結婚し、5人の子どもをもうけましたが、今でも戦時中の監禁・強姦などに起因すると思われる心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状がみられます。

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