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平頂山事件1審判決と控訴審における闘い

一,平頂山事件訴訟1審判決

平頂山事件とは、日本の中国侵略の初期である満州事変(1931年)の翌年(1932年)に、日本軍が中国遼寧省の露天掘りで有名な撫順炭鉱近くの平頂山村を襲って3000名ともいわれている無辜の村民を虐殺した事件です。

昨年6月28日に、平頂山事件の奇跡的生存者3名(原告莫徳勝・楊宝山・方素栄)が、被告日本国に対して損害賠償請求を求めていた裁判(平頂山事件訴訟) の判決が、東京地方裁判所民事6部で言渡されました。判決は、日本軍による平頂山住民の無差別大量虐殺の事実をほぼ原告側主張のとおりに認めました。しか し、損害賠償請求については、国家無答責を理由に棄却しました。

二,平頂山事件70周年紀念式典に参加して

折りしも判決の言渡された2002年は、平頂山事件勃発から70年目の年であり、事件のあった9月16日に、中国撫順において、事件殉難70周年紀念式典 が10000人もの人を集めて盛大に開かれました。日本の弁護団と市民で作る平頂山事件の勝利を目指す実行委員会のメンバーも、この式典に中国側から来賓 としての正式招待を受けて参加しました。

その機会に、改めて平和を願う日中両国市民の連帯により、平頂山事件訴訟の勝利と解決を図っていくことが確認されました。

以下に、撫順市で開かれた日中シンポジウムにおける発言の内容を掲載します。

平頂山事件判決の意義と課題について

(撫順市社会科学院主催:平頂山事件シンポジウムの発言より)

1、はじめに

1996年8月14日、平頂山事件の被害者楊宝山さん、莫徳勝さん、方素栄さんの3名は、日本国に対して事件の損害の賠償を求める裁判を提訴しました。こ の平頂山事件訴訟は、東京地方裁判所において、合計22回にわたる審理の後、本年6月28日に判決が出されました。

本日は、皆様に、私たち弁護団の提訴から判決にいたるまでの主な訴訟活動とこのたびの判決についてご報告いたします。

2,平頂山事件訴訟の経過

平頂山事件訴訟は、他の戦後補償裁判と同様に様々な困難を抱えて始まりました。 その中でも弁護団が直面した最大の課題は、以下の2つでした。

  1. 1つは、日本の裁判所に、平頂山事件の歴史的事実(日本軍による大虐殺の事実)を如何にして認めさせるかという課題です。
  2. 2つ目の課題は、国家無答責任(国家無責任)の法理という訴訟上の壁を如何にして突破するかということでした。
  3. 事実を認めさせること

    提訴当時、平頂山事件訴訟に先行して提訴されていた戦後補償裁判においては、日本軍の行なった数々の虐殺・蛮行の事実についての審理を一切行なわず、簡単 に裁判を打ち切って、原告(被害者)敗訴の判決を言渡す例が多く存在しました。日本の戦後保障裁判においては、裁判所に事実を認定させること自体が非常に 困難な時期でした。

    とりわけ、平頂山事件の事実は、提訴当時はまだ、日本ではほとんど知られていませんでした。日本では平頂山事件に関する専門家の研究書、論文もほとんど存 在しませんでした。事件当初より日本軍、日本国によって徹底的な証拠隠滅が行なわれていたため、証拠資料が残っているかどうかがわからない状態でした。

    このような中で、弁護団は、裁判所に平頂山事件の虐殺の事実と原告らの被った筆舌に尽くしがたい苦痛と損害の事実を認めさせるための訴訟活動に全力をあげて取り組みました。

    日本の裁判所は何よりも書面による証拠を重視します。そこで、弁護団は裁判を支援する日本の市民・歴史研究者とともに平頂山事件の研究調査活動を開始し、 日本の防衛庁に保管されていた1932年当時の貴重な証拠を発見しました。また北京図書館では、マイクロフィルムに収められていた1932年当時の平頂山 事件に関すると思われる新聞記事を多数探し出すことに成功しました。

    また、我々弁護団が最も重視したのは、原告3名の本人尋問(原告が日本の法廷において、証言すること)です。頑で冷たい裁判官の心を動かすことができるの は、幼いときに目の前で肉親を皆殺しにされた被害者本人の怒りと苦痛に満ちた必死の訴え以外にはないと考えたからです。本人尋問を成功させるために、我々 弁護団は、数回にわたって訪中し、原告からの聞き取り調査を行いました。原告、通訳、弁護団が一致団結して本人尋問にあたりました。こうして、2000年 2月の楊宝山・方素栄尋問、2001年12月の莫徳勝尋問はいずれも大成功を収め、自ら進んで法廷証言を傍聴に来た多くの人々に深い感銘を与えることがで きました。

  4. 国家無答責の原則の突破

    我々弁護団が事実の立証とともに最も力を注いだのは、国家無答責の原則を打ち破る理論の構築です。それまでの戦前の日本軍・国の行為の責任を問う戦後補償裁判では、ことごとくこの原則を理由に原告側が敗訴していたからです。

    「国家無答責の原則」とは、国の権力的行為により生じた損害については国は賠償責任を負わないという原則を言います。この原則は、戦前の帝国主義憲法のも とで日本の裁判所により採用されていました。しかし、現在では、日本国憲法(現憲法)の制定により、全面的に否定された考え方です。にもかかわらず被告国 は、平頂山事件が戦前に起きた事件というだけの理由で、現在も国家無答責の原則の適用により国は責任を負わないと反論し、裁判所もこの国の主張を全面的に 採用しているのです。

    我々弁護団は、この「国家無答責の原則」の壁を打ち破るために、行政法の著名な学者(京都大学芝池義一教授)と共同研究を行って、法理論的に見てもこの原 則が如何に不合理なものであるかを主張しました。また、戦後補償裁判では初めて、国家無答責についての学者の証人尋問を行うことにも成功しました。

    そもそも、「国家無答責の原則」といっても、法律で定められていたわけではありません。私たちは、この原則は、戦前の天皇制国家という特殊な状況の中での 裁判所の判断に過ぎないと主張しています。現憲法下において、裁判所が戦前の裁判所の判断を踏襲しなければならない法的な理由は何もありません。また、被 告国は、国際的な舞台では「国家無答責の原則」は主張していません。「国家無答責の原則」は日本国内のしかも裁判所という極めて限られた中でのみ主張され ているのです。この原則がいかに国際的非難に耐えきれない理不尽な原則であることは国自身が自覚しているのです。

3,2002年6月28日東京地方裁判所民事10部(裁判長菊地洋一)判決

  1. 判決の内容
    判決は、平頂山事件の歴史的事実について、ほぼ原告側が主張したとおり認定しました。原告ら3名の具体的な被害の事実についても、すべて認めました。
    しかし、原告らの求めていた損害賠償請求は、国家無答責を理由に退けました。また、ハーグ陸戦条約3条に基づく請求についても、「国際法は国家と国家の関係を定めた法律で、個人の請求権を定めたものではない。」として排斥しました。
    最後に判決は、「戦争被害者に対する国の賠償や補償は、国会の裁量に基づく判断に委ねられている」と、日本の国会((立法機関)の責任について触れました。
  2. 判決の意義と問題点
    本判決により、事件以来70年を経てようやく日本の国家機関が、平頂山事件における日本軍の大量虐殺の事実を初めて正式に認めました。その意義は大変に大きいと考えます。
    しかし、その反面、原告らの請求を「国家無答責」を理由に排斥した点は極めて不当です。日本軍の侵略により、原告らが甚大な被害を受けたことを認めたにもかかわらず、損害賠償請求は認めないというのは、明らかに矛盾した判断です。

4,今後の課題と闘いについて

原告3名と弁護団は、この判決を不服として、直ちに上級の裁判所(東京高等裁判所)に控訴しました。

私たちは、この控訴審における闘いの場で、何としても、国家無答責の原則の壁を突破して、勝訴判決を勝ち取るために引き続き全力を尽くします。法の目的は 正義であり、正義の中核は人権保障です。裁判所は正義に適った結論を導く責任を負っています。裁判所に、この本来の責任を果たさせるためには、多数の市民 が、裁判所に対して、「国家無答責の原則は正義公平の理念に反する考えである。」と表明することが不可欠です。我々弁護団は、そのことを世論に訴えて、裁 判所を動かす国民的な運動を組織するよう奮闘します。また、裁判の勝利を目指すと同時に、私たちは、1審判決が触れた国会の責任も追及していきたいと考え ています。

平頂山事件に勝利して、中国人戦争被害者の方々に対する真の謝罪と賠償を実現するために、弁護団は、裁判を支援する多くの市民と力を合わせて今後とも法廷の内外で頑張ります。

三,国家無答責任についての新たな展開と控訴審での闘い

2003年1月15日京都地方裁判所(京都強制連行事件訴訟)において、遂に国側の国家無答責の主張を排斥する極めて画期的な判決が出されました。

この新判断が、平頂山事件をはじめとする戦後補償裁判に対して与える影響はもとよりのこと、戦後補償問題の最終解決(立法・行政解決)を図る上でも、計り知れない重大な政治的影響力を持つものです。

今後は、この国家無答責の判断を京都地裁だけに終わらせず、司法判断の本流にしていく法廷内外の闘いが課題がとなってきます。

2003年2月10

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