Home > 平頂山訴訟 > 井上久士・証人尋問発言要旨

井上久士・証人尋問発言要旨

2004年12月3日(金)に東京高等裁判所101号法廷で行われた井上久士駿河台大学教授の証人尋問発言要旨です。

平頂山事件の特徴は、第一に、日本軍による「匪賊」討伐中の行き過ぎ行為とは性格を異にしており、直接関係のない一般住民をもっぱら報復目的で大量殺害し ていること、第二に、事件後軍や外務省、すなわち国家をあげて徹底的な証拠隠滅、真相の隠蔽を行ったことにある。

そもそも満鉄が経営していた撫順炭鉱のあった撫順市は、満州事件以前から日本人が多数居住し、関東軍独立守備隊によって守られており、満州事変後も治安は 良好であった。中国人住民も含めた市民は平穏な日常生活をおくっていた。1932年9月15日夜の抗日義勇軍による炭鉱襲撃事件は、それだけに受けた衝撃 は強かったと言えるが、16日未明までには襲撃した義勇軍は殺されるか撃退され、襲撃事件自体は基本的に終結していたと判断される。住民が抗日義勇軍の通 過をいち早く日本側に通告しなかったとしても、それが殺害の正当な理由にはなりえない。したがって翌日の平頂山集落に対する虐殺は、軍事作戦上全く不必要 なものであり、報復目的以外全く考えられない蛮行であった。

虐殺規模は約三千人、一般住民を無差別に殺害したものであり、そのなかには老人や幼児までも含まれる。これは無差別の集団殺人以外の何物でもない。その方 法も記念写真を撮るなどと騙して住民を家から追いたて、広場でいきなり機銃掃射し、その後まだ息のある者は銃剣でとどめを刺すという悪どいものであった。 さらに住民の家に放火し、村ごと焼きはらい、村の存在自体を消し去ってしまったのである。

さらに翌日か数日後、現場に放置されていた遺体にガソリンをかけて焼き、崖を爆破して土をかけてその証拠を覆い隠してしまった。

これらの行為は、軍事作戦上の目的から説明できないし、一般的な見せしめでもない。住民全員を殺すことが目的のきわめて異常な戦争犯罪行為である。

有名な南京大虐殺では、捕虜の殺害や市民・女性への暴行と殺人が行われたが、本事件はこれとも異なる。日本軍は、中国軍と住民の殺害を目的に南京を占領し たわけではなく、結果として虐殺を行ったのである。しかし平頂山では、殺害そのものを目的として集落に行ったのである。住民の殺害自体が自己目的化されて いるという点では、後のいわゆる三光作戦と類似しているが、三光作戦の対象となった華北の村落では八路軍による民兵の組織化など抗日闘争が展開されている 事例が多い。しかし本事件のおこされた平頂山などの集落で抗日武装闘争が行われていた事実はなく、無辜の住民が虐殺されたという点では、より悪質であると 言うことができる。

本来関東軍独立守備隊は、満鉄線の警備や満鉄附属地の防衛、「満州国」の治安維持にあたる任務をもっていたが、平頂山での住民虐殺はこれらの任務に照らし ても正当化できない。それは全く合理性と必要性のない行動であった。事件後多くの中国人炭鉱労働者が撫順から逃げだしているところからみても、撫順炭鉱の 経営にとってマイナスでさえあった。

日本側は事件現場の立ち入りを禁じ、関係者の口外を禁止したが、虐殺の事実は付近住民にたちまち広がった。そのため事件二日後の9月18日、守備隊長と炭 鉱長はそれぞれ布告を出している。そこには労働者と住民は動揺するなと書かれている。これはかえって事件後動揺が広がっていたことを示している。さらに布 告には、抗日義勇軍を支援した住民にたいし「厳重なる方途に出でた」とか、「厳行さん除をなした」などと述べている。つまり虐殺を事実上認めているのであ る。

虐殺事件後約二ヵ月後の11月15日の『新聞報』、『申報』、『中央日報』などの中国各紙は平頂山事件をはじめて報道した。続報も相次いだ。これらは虐殺 をかろうじて生きのびた人が事件を伝えたからである。中国政府は11月24日、国際連盟で平頂山事件を「満州住民の惨状」の例としてとりあげた。

これにたいし日本代表松岡洋右は、「事件の真相を知らないので、判明次第伝える」とその場で回答したが、外務省はすぐに「虚構」、「事実無根」との指示や声明を出し、26日上海の有吉公使は逆に中国に「皇軍の名誉を毀損した」との抗議までした。

28日武藤信義満州国全権大使・関東軍司令官は、この事件は「匪賊の捜索中に発砲されたので応戦、村落は交戦中焼失し、匪賊350人をたおした」という 「自衛処置」であるとする報告を外務省に送った。日本側は外務省と参謀本部で「事実無根」とするか「自衛処置」とするかで協議し、結局「自衛処置」の線で 説明することにし、30日国際連盟に伝えたのである。

12月2・3日にはアメリカのハンター記者がひそかに現地を取材した生々しいルポが、米紙に掲載され反響は国際的に広がった。ハンター記者の記事は、この虐殺が日本軍による報復であると明確に指摘していた。

中国外務省は12月6日、「日本軍を中国から撤退させることこそ皇軍の名誉を守ることだ」と指摘する抗議を再度日本に提出したが、日本外務省は「回答しない」ことを決定し、そのままうやむやにしてしまったのである。

しかし日本側が当時から虐殺の真相を知っていたのは明らかである。森島守人奉天総領事が、事件後知りえた真相を外務省に報告したとその回想録で明記してお り、また虐殺の1週間後奉天の独立守備隊大隊本部から調査担当者が川上中隊長の案内で現地を訪れている。こうしたことから関東軍、参謀本部、外務省、すな わち日本は国をあげて事件の真相を隠蔽したと判断される。それはこの事件は重大な戦争犯罪行為であり、これが全面的に明らかにされれば日本の責任は免れら れないと考えたからこそ、事件の国際調査を拒否し、事件を否定あるいは歪曲したのである。

この事件は異常な出来事ではあったが、同時に日本による中国東北地方への侵略(満州事変)と「満州国」の建国という侵略政策の結果生じたものである。日本 軍による中国東北地方の占領、「満州国」建国に反発して、抗日義勇軍が自然発生的に生まれた。それへの報復として本事件はおきたのであり、日本の軍事侵略 がこの悲劇をもたらしたのである。

さらに日本はこの戦争犯罪行為を隠蔽し、開き直り、うやむやにしたわけであり、その国家責任は非常に重いと言わざるをえない。日本がうやむやにしたり、否 定したとしても歴史的事実が風化し、自然に消え去るものではない。また被害者だけでなく多くの中国人もこの事件を決して忘れてはいない。うやむやにしてい ることで、実は被害者を傷つけ続けていること、中国人の反発をまねいていることを日本は知る必要がある。

日本は今までこの事件について、正式の謝罪も賠償もしたことがなかった。日中両国が本当の信頼関係を確立するためにも本件事件について明確に責任をとるべ きことを強く訴えたい。それこそが日本と中国、日本とアジア諸国との友好と信頼を確立し、再び平頂山事件のような悲劇をくり返さないための基礎であり、最 低限の保証であると信ずるものである。
井上 久士

Home > 平頂山訴訟 > 井上久士・証人尋問発言要旨

検索
解決へ向けた取り組み
おすすめ書籍

Return to page top