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4・平頂山事件・・・莫徳勝さんの被害

莫さんは1925年7月に平頂山村で生まれ、平頂山事件の時7歳で両親・妹・母方の祖父母と暮らしていました。莫さんのお父さんは撫順炭坑で、お母さんは日本人が経営する火薬工場で働いていました。祖父は薬局を経営する漢方医でした。

1932年9月16日朝、莫さんが外で遊んでいると、トラック4台に分乗した日本兵が村の北側にあった牛舎の前で車から降りてくるのをみました。莫さんが家に戻り母に日本兵が来たことを知らせました。まもなく日本兵がやってきて「匪賊(抗日武装組織の日本側の呼び名)が来るので守ってやるから外に出ろ」と命じました。父は拒否しましたが、日本兵は銃底で父を殴り、家族全員を外に追い出しました。莫さんと家族は他の住民とともに村の南西にある崖の麓の窪地に追い立てられていきました。その場所には既におおぜいの住民が集められて、日本兵が包囲していました。

まもなく、日本兵が住民に対して一斉掃討を開始し、住民は次々に銃弾に倒れました。莫さんのお父さんは莫さんを地面に伏せさせ、家族も地面に伏せましたが、莫さん以外の家族はこの銃撃に被弾して死亡しました。銃撃がやんだ後、一列に並んだ日本兵が倒れている住民の体を銃剣で刺しながら近づいてきました。莫さんは日本兵が泣き叫ぶ子どもを銃剣で突き刺して殺害するのを目撃しました。一人の日本兵が地面に横たわっていた莫さんを足蹴にして仰向けにし銃剣で肩を突き刺しましたが、莫さんは痛みに耐え身動きせず死んだふりをしていたので、日本兵はそれ以上何もせずに過ぎ去りました。

まわりが静かになり、早く逃げるように、という声も聞こえたので、莫さんは起きあがり、そばにいた父に声をかけ、その手を噛んでみたりしましたが、父は血を流したまま動きませんでした。莫さんは母や妹、祖父母も皆死んでしまったことに気づき、しばらく呆然としていましたが、早く逃げるように促す声が再度きこえたので、その場を離れました。その後父方の祖父母にひきとられて育ちました。莫さんは1944年に結婚し、8人の子持ちとなりました。1948年撫順市の製鋼所に勤務し、1980年からは工場長となり、1986年に退職しました。

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