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無差別爆撃事件・原告 高熊飛さんの陳述から

弁護士 山森 良一(1998年10月24日)

高さんは一九四三年十一月四日、福建省永安市で日本軍の飛行機による大規模な爆撃を受け、本人とお母さんとともに右腕を失いました。高さんは一九三九年二月四日に生まれました。大学を卒業し、現在、大学で助教授をしています。

爆撃以前のこと

高さんは右腕を失う前、日本軍の攻撃を避けるためにお母さんについて山に避難しましたが、再び爆撃するのを恐れて、避難する人びとについて徒歩で苦難な長 旅をしました。二百キロ余り離れたところに百日余りかかって行きました。途中、日本軍機に度たび爆撃されたり、機関銃で掃射されたりしました。死傷難民の 数は数えきれず、惨たらしくて見るに耐えぬ光景だったそうです。

爆撃のこと

一九四三年十一月四日の午後一時頃、福建省永安市は日本軍の十六機の飛行機による大規模な爆撃を受け、二百発余りの爆弾が落とされました。高さんはお母さ んと家で昼食をとっていましたが、家の中庭辺りにも一発の爆弾が落ちて、高さんとお母さんは同時に右腕を失いました。

受けた被害のこと

お母さんは以前病院の総婦長などをしていましたが、右腕を失い、仕事を失ってしまいました。家計もすぐさま苦しい状態に陥りました。お母さんはその時以来 日常の料理、家事、子育てなどは片手でしなければなりませんでした。体が衰え入退院を繰り返し、精神的にも追いつめられ、お母さんは幾度となく自殺をはか りました。

高さんは幼い頃に右腕を失い、バランスが取れず対応できずによく転びました。発育も悪く、腕がなくなったため血液の循環が阻まれ、骨格の生長点がかけ、右 腕と右肺の発育は不全で、身体は痩せ虚弱で病気がちでした。差別されたり嘲ったりされ、イジメに遭いました。同世代の子供達に捕まり頭や首のほうに泥や土 を入れられたり、髪の毛の上に砂をまかれたりしたこともあります。また、何の理由もなく高さんは蹴られたり、殴られたりしました。「腕のない者が来た」と 叫ばれて、見世物になったこともあります。進学についても、身障者であることを理由に一旦は試験を受けることを拒否されました。負けず嫌いで努力家の高さ んは世論を動かし入学試験を受けることができるようになりました。就職、結婚でも差別を受けました。

高さんは自分で大変苦労した分、他人の気持ちを思いやる大変暖かい人です。

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