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1・南京大虐殺の事件で・・・李秀英さんの被害

李秀英さんは1919年2月に南京で生まれました。1937年に上海市の通信士であった陸浩然と結婚し、上海に住んでいました。その時すでに日本軍がやってきて、生活が難しくなったので、その年9月に南京に戻りました。この年の12月に日本軍が南京に侵略してくると大混乱の中五台山にある外国人小学校に避難しました。日本軍は13日に南京を占領し、捕虜・一般市民の虐殺を開始しました。李さんの避難場所は18日に発見され、翌19日の午前中、日本兵が数名来て、強姦するため若い女性を連れ出し始めました。李さんは貞操観念が強く、当時子どもを身籠もっていたので、強姦されるぐらいなら死のうと決意し、壁に頭を打ち付け、失神してしまいました。そこで日本兵らは連行を一旦は断念しました。しかし、夕方再び3人の日本兵がやってきて、李さんを連れ出すのが不可能なため、そこで強姦しようと同室の者を追い出し、李さんの服に手をかけました。李さんは必死で強姦を拒絶しようと、右手で日本兵の腰の剣をとり、壁を背にして立ち、防御の姿勢になりました。兵は両手で李さんの右手をつかんで抵抗を封じようとしましたが、李さんは左手で兵の左手の襟を掴んで振り回し、兵の両手をかんだりして激しく抵抗しました。兵は大声を出して加勢を求め、これを聞いた2人の日本兵がかけつけて銃剣をとりだして李さんを37回も刺しました。刺された箇所は足・額面・首・腹などの29ケ所にも及びました。李さんは腹などをされた時失神し、日本兵は李さんが死亡したと思い立ち去りました。

李さんの父は李さんが死んだと思い、穴を掘り李さんをそこへ運びました。李さんは生きかえりましたが、身籠もっていた胎児は翌20日妊娠7ケ月の状態で流産して亡くなってしまいました。

その後、李さんは健康が回復しても左目の下の傷が変形し、物がはっきり見えず左頬は骨が一部失われ、右頬は骨がずれて、ずっと洗顔の時に痛みを感じ、口の中も刺し傷によって歯ぐきが損なわれ、22歳のころから義歯を使うなどの後遺症があります。

夫陸浩然は1938年に上海で李さんと再会し、その後9人の子どもができましたが、李さんは後遺症のため働くことができませんでした。李さんはまわりの人たちが外見の異様さを気味悪がったため、就職ができませんでした。

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