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心の傷跡、悲しい記憶 ―平頂山事件を間近で聞いた桃雲鵬さんの証言―

 国際シンポジウムが行われた日、最初に、平頂山近くの千金賽に住んでいて平頂山事件のことを当時から知っている老人の桃雲鵬さんから「心の傷跡、悲しい記憶」と題する証言がありました。以下桃さんの証言の概要をご紹介します。

 平頂山事件は多くの人を殺した悲しい事件です。私が住んでいた千金賽(せんきんさい)は撫順炭鉱から100mのところにありました。東に平頂山があるところです。露天掘りの炭鉱は今よりも小さく、深くもありませんでした。
 1932年、私が7歳の時でした。中秋節の夜、月餅を食べながら美しい月を見ていました。しかしその夜は恐怖の夜になりました。オンドルの上の母のそばで寝ていましたが、夜中に突然、母が私を起こしました。爆竹の音を聞きました。どんどん激しくなっていきます。東の方でたくさんの炎が上がり、空も赤くなりました。とても怖くて歯がガタガタなり、体は震えていました。母は私を抱いて「怖くないよ」と声をかけてくれました。私は怖かったけれど、そのまま寝てしまいました。
 翌日、昼の食事の時、東南の方から銃声が聞こえていました。戸を閉め、ふとんを敷いて窓の隙間から見て母は言いました。「平頂山の方で何か起こっている。炎がみえる。煙と炎が大きくなっている」。これを聞いて私はまた怖くなりました。母は月餅をくれました。泣き声が聞こえないように口をふさぐためです。この時何があったかについては、ひいおじいちゃんが教えてくれました。クリスチャンだったので、英語を話すことができ、その話を神父さんから聞いたのです。
 そして、事件の翌日、日本の黒い帽子(警察のこと)がやってきて、ひいおじいちゃんを連行しようとしました。事件について知っていると思われたのでしょう。しかし教会に隠れ難を逃れました。ひいおじいちゃんの兄弟は警察へ連行されて、私はそっと後をついていきました。中の声を聞こうとすると、悲鳴が聞こえてきました。その人は長い間拷問をうけて意識不明で家に戻ってきました。黒い帽子の者には「平頂山の事を口にしたら、憲兵隊に連行して犬に食わす」と言われました。家族全員怖くなって、母が馬車を借りてきて、馬車に乗って逃げ、撫順の南の方、撫南にいる母方のおばあちゃんのところに隠れました。
 歴史はすぎさりましたが、悲しい記憶となって残っています。私たちは今何をすべきでしょうか。戦争反対と世界平和を願っています。

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