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「みんな離れていってしまった」 龍国安さん・本人尋問、藤井医師証人尋問(9月7日)

 

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 9月7日は医師である藤井正實さんへの証人尋問から始まりました。藤井さんへの尋問では、珍しく国側が反対尋問をおこないました。国側は被害者の症状が毒ガス被害と因果関係はないのではないか、という答えを藤井さんからなんとかひきだそうとしていましたが、これは失敗しました。
 藤井さんへの主尋問は三坂弁護士が担当しました。以下、おおまかな内容です:
 2005年にはじめてチチハルの被害者を検診して、この人たちが就労できないのは何かあるなと思い、かかわり始めました。レントゲン、喀痰検査の異常もさることながら、自律神経系の症状ではないかと思いました。大脳での高次機能障害の恐れもありました。イペリットによって呼吸器障害がおこっていることは疑いがありません。慢性気管支炎になっています。被爆後数年で「慢性」の症状で出ているのです。免疫機能の低下も顕著です。
 引き続き、原告・龍国安さんへの尋問が行われました。担当したのは井堀哲弁護士です。井堀弁護士はチチハル市内の地図を示し、小さい時からこの地域に住んでいた龍さんに第一現場である団地の駐車場のところに旧日本軍の飛行場があったことを確認しました。その上で被害状況について尋問しました:
 私は事故にあう前、種苗会社の運転手をやったり、貨物輸送のトラックを購入した人が登録するときの手続きをドライバーにかわって代行する会社(民族車体)に勤め、副業として運送業も手がけていました。生活は順調に進んでいました。事故前の収入は年30万元ほどになっていました。5人家族で3人の女の子と幸せな生活をしていたのです。
  2003年8月4日、会社の向いの団地の工事現場から出て来たトラックから土を買い、会社の敷地を整地しようとし、作業しました。この土が毒ガスに汚染されていたのです。帰宅後、全身のかゆみ、のどの不調、目もかすんできました。皮膚に異常を感じました。両足のつめの色が変って黒くなってきて、病院に入院しました。隔離されて、どんな病気かという説明もなく、失明するのでは、という不安がずっとありました。また他の患者の絶叫も不安を増幅させました。
 退院後、体調がすぐれず、もとの仕事ができなくなりました。マス・メディアの報道によって毒ガスに感染したことが知られ、まわりの人が避けるようになりました。職場に行くと、親戚や同僚もあいさつをしただけで消えてしまうのです。体の症状では、目、喉の痛みに加え、頭がボーッとして混乱し、集中して物事を考えられなくなってしまったことです。いつもイライラしています。よく風もひきます。
 暮らしぶりの変化についても大変です。労働能力がなく、仕事ができないし、収入もありません。妻とはよくケンカをするようになりました。家族とは別々に食事をとっています。下の娘に「お父さんは毒をもっている」といわれたのがショックでした。友達も離れ、怒りっぽくなったと思います。乱暴な言葉使いにもなり、精神病になったのでは?と思うときもあります。さびしさをまぎらわすために半年前から犬を飼っています。毎日犬をつれて外にいきます。一日の大半をそこですごします。多くの時間、川をながめてボーッとすごします。自分のことを考えると、被害にあって、人生がダメになりました。無為の人生を送るよりも飛び込んでしまおうと思ったこともあります。

 

  最後に裁判官に一言と促され、「戦争中日本軍がやったことで、毒ガスが中国に残りました。被害を与え、家族にまで苦痛を与えています。一日も早く、化学兵器を撤去して平和できれいな環境を。合わせて被害者と家族への謝罪と補償もお願いします」と結びました。
 法廷終了後、弁護士会館で報告集会が開かれました。井堀弁護士からは、日本軍がチチハルの事故地点に毒ガスを遺棄した証拠を語ってもらえた、と説明がありました。藤井先生からも「傍聴が多いほど力がはいります」とあいさつがあり、龍さんからも支援のみなさんありがとう、とお礼の言葉が述べられました。

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