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第11回:紙銭

三月中旬、河北省藁城市の梅花鎮を訪れた。梅花鎮といっても日本人は普通知らない。恥ずかしながら、実は私もそこに行くまでよく知らなかった。今回、河北省の省都石家荘へ資料調査に行った際、河北省社会科学院の案内で訪問する機会をえた。

 石家荘から東へのびる高速道路は、藁城市付近まではほぼ鉄道(石徳線)に平行に走っている。藁城市を過ぎしばらく行ってから右折し、鉄道を横切り田舎道を南下する。一面の平原である。藁城市の南端に梅花鎮はあった。もう少し行くと趙県である。

 一九三七年七月日中全面戦争が始まると、北京から南下した日本軍は、九月二十三日保定、二十八日定県、十月十日石家荘を占領した。九月下旬から十月上旬 にかけて、石家荘付近では両軍の激しい戦闘が続いていた。中国側にあって平漢線(現在の北京・武漢間の鉄道)一帯を防衛していた第五三軍六九一連隊(呂正 操連隊長)が、一時拠点としていたのが梅花鎮である。十一日夜、六九一連隊は撤退したのだが、日本軍は十二日朝この村を占領し、その後十五日に去るまで一 般村民に対する暴行と虐殺が行われたという。

 一九四七年の調査によると、戦前二千五百人ほどのこの村で、一五四七人が殺害されたという。今はのどかな農村のたたずまいだが、この事件を忘れないため に、村には新たに改築された梅花鎮惨案紀念館が設けられている。吉秋群館長ときれいな案内員の小姐が迎えてくれた。紀念館の敷地内には、日本軍が虐殺した 村人を投げ込んだ井戸の跡(血井)などもあった。

 一九三七年十月といえば、上海で激戦がおこなわれていたころだ。南京陥落はこの年の十二月十三日である。日中戦争のきわめて初期の段階から、一般住民に 対する虐殺があったことを梅花鎮は教えてくれる。この河北省の作戦に参加した第十六師団(中島今朝吾師団長)は、十一月から一転して南京攻略戦に参加、あ の悪名高い南京大虐殺に手を染めるのである。(井上久士)

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