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第7回:中国の風呂屋

実は私、最近肩こりがひどいのでよく旅先で按摩を頼んだり、サウナに行ったりする。シャワーだけとか西洋式バスは、事務的すぎてやはり疲れがとれないので ある。というわけで、昨年済南に行った際、中国の知人に頼んで風呂屋に連れていってもらった。在水一方というなんだか分かったような分からないような名前 の風呂屋だったが、これがなかなか新しくきれいで立派なところだった。

脱衣場で服と持ち物をロッカーに入れ、短い廊下を通って中に入ると大きな湯船がある。サウナ室もある。やはり入浴はこうでなくてはいけない。入口でタオル を渡してくれるのだが、中国人客は日本人のようにタオルで前を隠したりしない。平然と堂々と廊下や浴室を歩いているのである。皆がそうだから、へたに隠し ていると、こいつよほど自信がないのか、ことによったら病気か何かではないかと勘ぐられそうな気さえする。

戦前中国ものをたくさん書いていた後藤朝太郎という人がいる。日中全面戦争が始まった1937年に出版された彼の『支那の男と女』(大東出版社)を何気なく見ていたら、その中の「支那風呂」という箇所にこれと同じようなことが書いてあってびっくりした。

後藤はこう書いている。「日本人のようにその歩きながら、腰を曲げたり、手で隠したり恥ずかしげな恰好をして行く者は一人もいない。皆堂々とちゃんと姿勢 を作り、威張ったわけでもあるまいが、少しも頓着のない恰好をして行く。さながら鼻を耳を人前に出しているのと同じような大陸的な気持ちでもって、悠々と 廊下伝いに歩を進める。その辺の光景は如何にも大国民であるとのことが窺われる。その中に一人の日本人が交じって手拭いで隠したり、五本の指で押さえたり などして行くのを見るのは、如何にも小国民のような気持ちがして、囲りのものに対して気恥ずかしいような気がする。だからと云って俄にそこで大陸人のよう な態度をとれと云われても執れず、どちらとも付かない曖昧なような気持ちで、廊下を行くものであるから、直ぐ気兼ねの多い日本人であることが見透かされて しまう」。生活の習慣は世代を越えて受け継がれるものだ。私も「小国民」の一員であることをあらためて認識させられた次第である。

ついでに述べれば、「中国人は風呂に入らない」などと言って中国人の生活を軽蔑する日本人を後藤は批判している。中国のうわべを見ているだけにすぎないと 言っている。もっともな言である。後藤はまた、中国の風呂屋は男性用だけであり、女性は行かないと書いている。当時はそうだったのであろう。しかし、在水 一方も入口を右に入ると男性用、左は女性用であった。エントランスには普通の女性客もたくさんいた。歴史は進歩しているのである。(井上久士)

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