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第2回:日中不再戦

 「井上先生、見ましたよ」。学校の教員控え室で中国語の祁放先生から声をかけられたのは1年余り前のことだ。さて最近働いた悪事はなかったかと、瞬間的 に頭をめぐらした。さしあたり思いつくふしがなかったので、あいまいな返事をしているうちようやく事情が飲み込めてきた。

 彼女が春休み中国に帰郷したおり、何かの用事で塩城に行ったというのだ。塩城は江蘇省北部の都市で、そこに新四軍の記念館があるのだが、たまたまその記 念館に行ったところ井上の書いた石碑があったというだ。天網恢々疎にして漏らさず。やはり悪いことはできないものだ。

 事情はこうである。私が塩城に行ったのは1987年の末のことだった。南京大虐殺の調査を終えてから、先ごろ建設されたという新四軍の記念館に行ってみ ようと、長距離バスに乗った。塩城というのは、皖南事変(新四軍事件ともいう。1941年1月安徽省南部を移動中の中国共産党指導下の新四軍が、国民政府 軍に襲撃された事件。軍長の葉挺は捕らえられ、副軍長の項英は戦死した)により一時壊滅的打撃を受け間もなく再建された新四軍が、本部をおいた所である。 新しい軍長に陳毅が、政治委員として劉少奇が就任した。そういうわけで塩城は「華中の延安」とでもよべる抗日と革命の根拠地になった。これを記念して設立 されたのが、その記念館で、正式には中国語で新四軍重建軍部紀念館という。

 1986年にできた記念館は当時真新しく、日本から来た初めての歴史研究者だということで親切にして頂いた。四日間ほど当地に滞在した。

 塩城を去る日、また記念館に行くと曹晋傑館長らスタッフが紙と墨汁を用意して待っていた。ここに来た記念に何か一筆書いてくれというのだ。困った。毛筆など小学校の書道の授業以来持ったことがないし、私の字はお世辞にもうまいと言えないからだ。

 もちろん鄭重にお断り申し上げたが、それでもどうしても書いてくれと言う。あまり辞退するのも礼儀に反するような気がしたので、「では、どうしてもとい うことなので書かせていただきます。しかし、私の字はへたである。けれどもこれをもって、日本人はすべて字がへただとはどうか思わないでいただきたい。こ れは私の個人的能力の問題ですから。」などと訳のわからない弁解を言いながら書くことにした。

 さて何を書こうかと思い、とっさに「日中不再戦」と書いた。ちょっと一枚練習してから書いたのだが、うまく書けるはずもない。しかし温かい記念館の皆さ んは「頂好、頂好」(とってもいいよ)などと言って下さった。日本語も書いてくれというので、調子にのって横に平仮名で「にっちゅうふさいせん」と書いて 署名した。記念館のスタッフには悪かったが、まあ旅の恥は何とやらと心の中で言い訳をして塩城を後にした。

 それから1年くらい経ったときだったろうか。わが家に中国から本が1冊送られてきた。『新四軍紀念館蔵書画選』(江蘇人民出版社)と題するグラフ誌ほど の本である。見ると李先念元国家主席の「国民革命軍新編第四軍重建軍部紀念館」という題字から始まって、中国の政治家や書家の堂々たる字や画が載ってい る。しかし恐るべきことにこの本の後ろの方にあの「日中不再戦」が臆面もなく掲載されているのだ。「まいったなあ」と思ったけれど、これは字のうまいへた はどうでもよかったのだ、「日中不再戦」という精神を記念館の皆さんはかってくれたのだ、と思うことにした。それにこんな地方都市に行く日本人なんてそん なにいるわけないし、まして私の書いたものに気がつくはずもない。そう密かに考えて10年以上が過ぎた。

 しかし祁放先生の訪問で、やはりばれるときはばれるということがわかった。祁放先生によると、なんとあの字は石碑となって記念館の庭に鎮座しているというのだ。せめてこれが21世紀の日中友好のための捨て石になることを願うばかりだ。(井上久士)

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