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第1回:中国の高速道路

中国に行けるようになった一九八〇年代前半のころ、中国にはまだ高速道路というものはなかったように思う。北京空港や上海空港から市内までの並木道は、牧 歌的でほのぼのとした感じがしたが、時間がかかった。八〇年代後半から高速道路の建設が始められ、九〇年代になると中国のモータリゼーションの加速化とと もに高速道路が次々と完成し、今日ではもはや珍しいものではなくなった。

三年ほど前、ある研究者を訪ねて南京から連雲港の近くまで行く機会があった。南京は江蘇省の省都で、連雲港は江蘇省北方の都市である。同じ江蘇省といってもそこは広大な中国、とても遠い。バスで五、六時間かかったと思うが、連雲港までは高速道路が開通していた。

高速道路の路線バスの乗客は、南京に仕事か買い物に来た帰りの人が多かった。いちおうバス停はあるが、降りたい人は車掌に「あの辺で留めて」と言えば停車 する。蘇北の平原、一面の畑で人家も見えないところで降りていった買い物帰りの娘さん。これからどれくらい歩いて家に着くのだろう。

三車線の一番内側は、制限時速一一〇キロのところを一四〇キロぐらいのスピードで、ベンツとかBMWとか紅旗などの高級車が走っている。まん中は普通の車 やバス。外側をオート三輪など。なかには農業用トラクターもいる。日本の高速道路と違うのは、路肩を農民などがときどき歩いていることだ。道路を横断して いる人もいる。横断施設があまりないのだ。いちばん驚いたのは、路肩を荷物を引く馬車までが走行していたことだ。

考えてみるとこれは現在の中国を象徴しているとも言えそうだ。あらゆる雑多なモノが、それぞれの速度で疾走しているのだ。その混沌から活力が生まれている。

ゾルゲ事件で処刑された戦前の最も優れた中国研究家のひとりであった尾崎秀実は、かつて中国社会の特徴のひとつを「極めて原始的な生産様式から高度なる生 産様式までを悉く含んでいる」点にもとめ、それが同一空間に併存しているところこそ日本や高度に発達した資本主義国と異なることだと指摘していた(『現代 支那論』一九三九年、岩波新書)。尾崎秀実が今の中国を見たら、何と言うだろうか。やはり中国は中国だと言うだろうか、中国はすっかり変わったと言うだろ うか、そんなことをぼんやり考えながらひまわりの種を食べていたのであった。(井上久士

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